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『学習する社会』#15 2.知ること 2.3 することについて (4)学習する社会における行為 (研究的なシリーズエッセイ)

2.知ること

2.3 することについて

#13で現象学的社会学の行為概念、#14で心理学の行動概念について概観した。「すること」についての複数の考え方を整理して、学習という観点で「知ること」との関連について考えていこう。

(4)学習する社会における行為

多様な観点でとらえられる行為

シュッツ(1970)は、我々が日常的に常に手持ちの知識を使って生活しているととらえ、その手持ちの自明とされる日常的な知識が形成される媒体として行為を取り上げる。ポラニー(1966)の暗黙知の議論や佐伯(1990)の道具の議論から分かるように、知ることができるようになる学びにとって重要なことは単に「すること」ではなく、「したこと」を回顧できるということである。知識の形成を対象としているシュッツの行動概念・行為概念はまさにポラニーや佐伯が展開する主体の学びという視点で議論されていると言えよう。

デシ(1980)は自己決定する心理を研究の対象として、決定の発現として行為をとらえようとしているので、観察可能な人の動きを行為ととらえている(デシは行動について議論しているが、ここでは行為としておく)。明確な心理的な決定の過程がない自動的行為や決定の過程そのものがない非自発的行為まで考察の対象に含めていることから、デシの行為(行動)概念が観察可能という意味で社会性の視点でとらえられていることが分かる。もちろん、デシの議論は行動概念を規定することではなく、非自発的行動は決定の心理に関して議論の対象とされてはいない。

また、デイヴィッドソン(1980)は意図性の視点で行為の議論を展開している。デイヴィッドソンは意図性だけに注目しているわけではないので、シュッツが行為や行動に含めている思考や意識は考察の対象から外れているが、意図性だけに注目すれば行為にはシュッツがいう内的行いまで含まれることになる(図表)。

図表 『学習する社会』における行為の概念
デシは「行動」という用語を使っている

個人の学びにつながる行為

暗黙知の議論では、知ることは近接項と遠隔項の関係づけ(結果として近接項同士の関係性を含んでいる)としてとらえられる。したがって、行為を通じて学ぶ場合、行為と共に行為と関係づけられる環境要因を知り、それを記憶していることが重要となる。その場合、行為の内容について事前に想像する【投企】のような積極性は必ずしも要求されない。何気なく「~したい」という欲求で生起する日常的な行為や環境で生起する事象への反射的な行為であっても、その行為を振り返ることができれば、暗黙知の形成に寄与する。

自動的行為のように再構成が困難であったとしても、行為したことを記憶していれば学びの材料とすることはできる。もちろん、道具の使いこなしの議論で明らかなように、道具を使いこなすように投企して行為する積極性は学びにとって重要である。いずれにせよ、回顧のまなざしでとらえられる行為が知ることを可能とする。個人の学びを考える際には、シュッツの行為概念が適している。

意図の役割

投企は未来の「行為と結果」の想像(予期)である。他方、デイヴィッドソンが意図的であることがしかるべき識別のための基準であろうと述べ(デイヴィッドソン, 1980, 訳書p.66)、沼上(2000)が「意図をもった行為主体」や「意図せざる結果」で言及しているように、意図は行為に先行する結果の予期である。したがって、投企は意図より詳細な想像を伴っている。沼上は行為の「意図せざる結果」と呼んで意図とは別の結果に言及している。予期していなかった結果への注目は自動化された行動の再構成を促すことで学びの材料を提供する。ただし、自動的行動は事前に結果の予期をしないままに行われるので、意図性がない。なんとなく考えている(単なる思考と呼ぶことにする)とき、そこにも意図性はない。意図性を基準とする行為は主体の学びを基準とする行為よりも限定されたものである。

シュッツの内的行為は、一般的には意図的な行為とは呼ばれないが、学びの材料を提供するという意味では行為ととらえられる。もちろん、思考や意識まで概念を拡張する主体の学びの視点は個人の学びを対象にしている。「学習する社会」の視角では、個人が単独で学習するだけではなく、個人の学習が相互作用する。また、学習は個人に特有ではなく組織も学習すると考える。思考や意識はそれだけでは「学習する社会」における相互作用に影響しない。相互作用は相互の働きかけを通じて進行する。「学習する社会」の視角では、相互に観察可能であるという行為の社会性も重要となる。

行為概念の中核

「学習する社会」の視角で、「知ること」につながる「すること」【行為】として取り上げる領域は,シュッツが意識的な外的行為と呼びデシが意志的行為と呼んだ投企された環境への働きかけと,日常的には投企されずに行われても投企して行為するものに容易に変換できる自動化された行為の二種類の行為となる(図表)。それは、意図【達成したい目的=結果の予期】を伴っており、少なくとも「熟慮されたとことがある」という意味で合目的的であり、記憶した内容に基づいて回顧のまなざしでとらえることが可能なものである。

今回の文献リスト(掲出順)

  1. Schutz, Alfred (1970) On Phenomenology and Social Relations (Edited by Helmut R. Wagner), University of Chicago Press. (森川眞規雄/浜日出夫訳 (1980) 『現象学的社会学』紀伊國屋書店)

  2. Polanyi, Michael (1966) The Tacid Dimension, Routledge & Kegan Paul. (佐藤敬三訳 (1980) 『暗黙知の次元:言語から非言語へ』紀伊國屋書店)

  3. 佐伯胖/佐々木正人編 (1990)『アクティブ・マインド-人間は動きの中で考える-』東京大学出版会。

  4. Deci, Edward L. (1980) The Psychology of Self-determination, Lexington Books. (石田梅男訳 (1985) 『自己決定の心理学』誠信書房)

  5. Davidson, Donald (1980) Essays on Actions and Events, Oxford University Press. (服部裕幸/柴田正良訳 (1990) 『行為と出来事』勁草書房)

  6. 沼上幹 (2000)『行為の経営学』白桃書房。

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