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『学習する社会』#6 1.イノベーションから学習へ 1.5「研究的」という立ち位置 (研究的なシリーズエッセイ)

1.イノベーションから学習へ

1.5 「研究的」という立ち位置

サイモン(H.A.Simon、1991)は科学の究極の目的について「秩序なき複雑さの只中に意味のある単純さを見いだす」ことにあると述べているが、その単純さを見いだす方法は多様である。盛山(2011)が「実証主義か観念論か」というような様々な二元論対立(図表1)があり、どの二項対立も他のものとは完全に一致ししてはいないとしているように、複雑な世界を単純化するための方法論は多様であると同時に対立的でもある。

図表1 さまざまな二項対立(盛山, 2011, p.66)

なお、バーレル/モーガンは実証主義の側に「実在論」(盛山が作成した表の「社会実在論」)、観念論の側に「唯名論」(盛山が作成した表の「社会名目論」)配置している(バーレル/モーガン(1979)、訳書p.6)。内容的にはバーレル/モーガンの配置が適切と思われる。ただ、盛山の作成した表は二項対立の多様性をより良く示している。

対立の廻間で

方法論に触れない研究者も多い中で、自らの方法論を明示して議論を展開している研究者も少なくはない。片岡(2010)は機能主義【社会的世界を外部からの観察によって直接認識できる客観的実在物であると仮定】と解釈主義【社会的世界を構成員の意識作用の産物である意味世界としての社会的構成物であると仮定】の対立を取り上げ、自らの方法論的立場を鮮明に解釈主義であるとする。佐藤(1998)は一般的には方法論的集合主義ないし方法論的社会主義と対立するととらえられている方法論的個人主義に立脚しながら、社会変動の水準間移行を説こうとする。

方法論の対立を超える理論展開を試みる研究者も少なくない。沼上(2000)は経営学的研究において変数システムという立場主観主義的立場の間で対話不可能状態があるとしながら、対話可能性を取り戻そうと試みている。沼上は「変数システムという立場」は法則定立的研究・構造機能主義的研究、「主観主義的立場」は解釈学的研究・解釈社会学的研究などに分類されると主張する。加藤(2011)はバレル/モーガン(G. Burell & G. Morgan)の主観主義的接近方法【背景の仮定:唯名論・反実証主義・主意主義・個性記述的】と客観主義的接近方法【背景の仮定:実在論・実証主義・決定論・法則定立的】の二分法に基づいて方法論についての議論を展開し、決定論vs主意主義の対立構造を技術システムの構造化という立場で乗り越えようとしている。

健全な折衷主義

方法論の対立は、複雑な現実世界を捨象する際に何を捨てるかという価値観の問題でもあり、簡単に超克できるものではないだろう。それにもかかわらず、見方の対立を超克することが「ドン・キホーテ的な挑戦であればあるほど」、対立の超克は魅力的な課題となる。このシリーズエッセイでは、方法論的個人主義と方法論的集合主義の対立、主意主義と決定論の対立、あるいは過程論と構造論の対立を超えた議論を展開したいと考えている。

グッドマン/エルギン(N.Goodman & C.Z.Elgin,1988)は次のような立場を掲げている。

私たちがここで素描しようとする知識論は、絶対主義とニヒリズムのどちらも認めない。すなわち、真理は唯一であるという考えも、真偽の区別は不可能だとする考え方も、どちらもしりぞける。私たちの理論は脱=構築(deconstruction)よりも再構築(改築 reconstruction)に重きを置き、本体論的世界も単なる可能世界も、あるいはいかなるレディメードの世界も許容しない[ii]。

グッドマン/エルギン(1988)、訳書p.3。

あえて管見を述べれば、グッドマン/エルギンの立場は、理論的展開の果ての極論よりも現実的な理解を優先しようとする立場であろう。確実性と不確実性の両方に苦しめられる知識よりも真性、信念、確証のいずれも必要としない理解を中核におくことで、「ソクラテスが何も知らないのにもかかわらず、人々の中で最も知恵ある人物でありうる」のはいかにしてかを、私たちも理解できるかもしれない(グッドマン/エルギン(1988)、訳書p.221)。こうした立場は、対立する二つの立場を都合よく使い分ける日和見的な折衷主義でなく、対立する二つの立場を受け入れた上で、現実を日常的感覚で理解しようとする健全な折衷主義とでも呼ぶべき立場であろう。このシリーズエッセイでは、特定の方法論に照らして一貫した議論を目指すと言うよりは、議論における論理性を重視する方法論で議論を展開していきたい。

今後の展開予定

学習は一般的には個人水準の現象と考えられている。「学習する社会」という視座は、そのような学習概念と一般的には活動の主体とは考えられていない社会とを繋ぐつなぐ見方である。もちろん、「学習する社会」の視座は学習する主体として社会だけを取り上げるわけではない。多水準の主体の学習と水準間の相互作用を議論するために、今後のシリーズエッセイ「学習する社会」では個人水準の話題から社会水準の話題へと展開し、その後に「学習する社会」の視座による「社会現象の理解」について分析的な話題を展開したい。現時点では、次のような順序でこのシリーズエッセイを紡いでいきたいと考えている。

  1. 知ること」について

  2. 学ぶこと」について

  3. 情報とコミュニケーション」について

  4. 技術と知識」について

  5. 学習する組織」について

  6. 学習の相互作用」について

  7. 社会の知」について

  8. 社会知の観察」について

  9. 学習する社会の諸相」について

このシリーズエッセイ「学習する社会」で展開する話題の大部分は、私が大学教員時代に執筆した論文等に依拠している。ただし、それらの論文を単純に再掲するものではない。「学習する社会」の視座に立脚して、既発表論文の表現や用語を見直し、加筆修正しながら、それらをパッチワークのようにつなぎ合わせ、改めてまとめていく予定である。

今回の文献リスト(掲出順)

  1. Simon, Herbert A. (1991) Models of My Life, Basic Books. (安西裕一郎/安西徳子訳 (1998) 『学者人生のモデル』岩波書店)

  2. Burrell, G., and G. Morgan (1979), Sociological Paradigms and Organizational Analysis, Hineman.(鎌田伸一/金井一頼/野中郁次郎訳(1986)『組織理論のパラダイム』千倉書房)

  3. 盛山和夫 (2011)『社会学とは何か―意味世界への探究』ミネルヴァ書房。

  4. 片岡登 (2010)『リーダーシップの意味構成―解釈主義的アプローチによる実践理論の探求』白桃書房。

  5. 佐藤嘉倫 (1998)『意図的社会変動の理論―合理的選択理論による分析』東京大学出版会。

  6. 沼上幹 (2000)『行為の経営学』白桃書房。

  7. 加藤俊彦 (2011)『技術システムの構造と革新―方法論的視座に基づく経営学の探究』白桃書房。

  8. Goodman, Nelson and Catherine Z. Elgin (1987) Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences, Hackett Publishing. (菅野盾樹訳 (2001) 『記号主義:哲学の新たな構想』みすず書房)

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