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『学習する社会』#12 2.知ること 2.2 知るための媒体 2.2(3)道具としての他者 

2.知ること

2.2 知るための媒体

2.2(3)道具としての他者

我々はモノの道具化で身体という最初の道具を拡張し、環境についての知を拡大する。しかし、道具として使うことができるのは物だけではない。我々は自分でない人【他者】の行為を通じて自己の意図を達成できる。探り杖やラケットが道具になるように、他者もまた環境を知り、環境に働きかけるための道具となる。

他者の道具化の過程

他者を他者として意識せずに自己の身体の延長として意識する【他者の道具化】という見方で、知るということを考えてみよう。そこに、物的な道具になじんでいく過程と同様に、他者の道具化の過程を見ることができる。

  1. 他者の不透明化:他者を他者として意識する。何かをするための道具としての特性を引きだそうとする相互作用に意識を集中し、他者の道具的特性を引き出そうと身構える。

  2. 他者のもてあそび :他者との様々な相互作用を繰り返して他者になじむ。他者の道具的特性を引き出す相互作用を繰り返して、引きだした他者の道具的特性になじむ[i]。

  3. 他者の透明化:他者を自己の身体の延長として自身に内在化させる。なじんだ他者の道具的特性をすでになじんでいた自身の延長として自身に内在化させ、自身を外に拡張する。

他者に対して「もてあそび」という用語を使うことは、日常的な語感からは不適切である。ここでは、佐伯(1990)が物的道具の使用で展開した議論を踏襲するために、同じ表現を用いた。本エッセイでの「もてあそび」は対象の反応に意識を集中して相互作用することを指している。

もてあそびから透明化へ

このような他者の道具化の過程は図表のように表される。もてあそびの段階での相互作用は、図表(a)のように①AからBへの行為、②BからAへの行為、③AからBへの再度の行為、④BからAへの再度の行為、…とAが望むBの反応を得るまで続く。AからBへの働きかけは試行錯誤的に続けられる。AのBに対する行為は、Aの行為に対するBの反応に関してまだ調整されていない。この段階で、Aは「AからBへの行為」に対して「Bがどのように反応する」かというBの|雛形《ひながた》ないし模型(モデル)を形成する。

AにとってBが道具として透明化すると、図表のように①AからBへの行為と②Aの行為に対するBの反応が内的行為としてAの意識内部で行われる。Aの意識内部でAとBの相互作用が予行され、その調整に基づいて、①'AのBへの働きかけがあり、②'Bの反応が返ってくる。予行に出てくるBはAがもてあそびの段階で形成したBの雛形である。

図表 二者関係における他者の道具化の過程
(注)行為と内的行為の相違については改めて取り上げたい。

依頼への注目から結果への注目へ

例えば、夫婦関係において夫が妻に、あるいは妻が夫に飲み物を依頼する場合を考えよう。新婚時代であれば、飲み物が出てくることではなく、その依頼の仕方に集中する。妻/夫への呼びかけはどうするのか、命令口調か依願口調か、大きな声か近くまで行くのか、等々。妻/夫に何かを依頼するのになれるまでは、ある程度多様な方法で依頼し、依頼という相互作用に注目する。図表(a)のもてあそびの段階である。次第にれてくれば、依頼の仕方ではなく、コーヒーかお茶か、熱いかぬるいか、つまみがあるかないか、早いか遅いか等々、依頼の結果へと注意が移っていく。図表(b)の透明化の段階である。

夫婦関係を前提する以上すでに相手を不透明な他者と捉える段階は過ぎているとも考えられるが、円滑な相互作用が進行するには新婚時代という互いに他者をもてあそぶ期間が必要である。その後、互いに相手を自分の身体のように透明化して活用できる、互いに相手を内在化した状況が成立する。道具として相手を透明化する程度が増すのであり、相手への潜入の程度が増すのである。

他者の再構成

夫婦関係のような二者関係の場合には、相手への依頼した行為が直接自分の消費行為につながるために、依頼の結果が再び依頼という相互作用への注目を導く。熱いお茶がほしいときの依頼の相互作用、早く出してほしいときの依頼の相互作用、等々である。これは相手を再び道具として不透明化することである。依頼という相互作用に再び注意を集中し、それを内面化して、依頼という相互作用を特に意識することなく、例えば熱さやすばやさのような望みを得ることができるようになる。相手の道具としての不透明化は、包括的存在としての相手と関係している状況を一旦は破壊するが、依頼という相互作用を吟味した後の再構成を通じて、相手の道具としての使いこなしを改善する過程でもある。

互いに他者を構成し合う

他者を道具として使いこなしていくとき、我々は道具として使いこなす他者の雛形を自分の意識の中に創り出している。他者の雛形を創るのは自分だけではない。道具としてなじんでいる他者も自分の雛形を意識の中に創り出している。自分が相手に応じて行為するように、相手も自分に応じて行為する。お互いに相手を「もてあそび」、透明化していく。物的に世界を知るときとの大きな相違がここにある。

例えば、テニスでは、試行錯誤で知ったボールの飛び方を使って相手からポイントを取る。ラケットやボールをモノして知ることはテニスの試合に役立つが、テニスの試合というコト【人間同士の相互作用】は、試合で相手とボールを打ち合って知る。同じようにボールを打ち合っていても、試合と練習は異なるコトである。現実には、練習しか知らない者やし合いしか知らない者はいないけれど、極論すれば、練習しか知らない者は試合で相手がとれないようにボールを打つコトをしようとしない。試合しか知らない者は相手にとれる範囲にボールを打つよう努めるコトを知らない。

他者の道具化によって、道具化の対象となった他者を知ると同時に、他者が行っているコト、自分と他者で行っているコトを知り、人々が行っているコトの世界を体験的に知る。物的なモノであれ、他者の行いのようなコトであれ、それらを道具化することは環境にあるモノ・コトを境界化し、知を拡大していく学びの過程でもある

今回の文献リスト(掲出順)

  1. 佐伯胖/佐々木正人編 (1990)『アクティブ・マインド-人間は動きの中で考える-』東京大学出版会。

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