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【バニシング・ポイント 4Kデジタルリマスター版】車は裏切らない

満を持して

TSUTAYAのレンタルDVDで本作を観たことがあった。その時思ったのは、「惹かれる映画だけど、これこそ劇場で観たかったなー。ま、無理だけど」だった。

本作は1971年公開。私は生まれてない。はい無理。
どこかの名画座で上映されるのを辛抱強く待つとするか…と思っていた。
時は経ち、4Kデジタルリマスター版の公開を知ったのだ。
映像に詳しい訳ではないが、4Kということは確か画素数が多いということだ。ということは、大きなスクリーンで観てね!ということだ。(曲解)
大きなスクリーンかつ4Kプロジェクターで公開する劇場で観なければ!

はるばる立川へ

そんな劇場は都内では立川にしかなかった。
張り切って3列目のど真ん中をとってしまったよ。
でもこれが正解だった。
物凄い没入感だった。

バニシング・ポイントって改めて観るとカメラのアイレベル(撮っている高さ)が異様に低くて、それが疾走感を強調してくる。
センターラインが物凄い速さで後ろにすっ飛んでいく。もう殆ど、白と黒の点滅を見ているみたい。目がパチパチして最高だ。

チャレンジャーに限らず、登場するのは70年代あたりの車だから、現代の車と違ってとてもやかましい。音も排気ガスもうるさくてアピールがすごい。

対してドライバーのコワルスキーはよく言えば寡黙。言い方変えれば暗い男だ。
いつも難しい顔をして「ああ」とか「いや」とか、あまり多くは語らない。
だからコワルスキーがなぜ走り続けるのかわからない。

あらすじは以下引用で失礼します。

陸送屋のコワルスキーは、70年型ダッジ・チャレンジャーをデンバーから1200マイル離れたサンフランシスコまで15時間で届けるという無謀な賭けをした。爆走するその車を追って各州警察が追跡を開始。警察無線を傍受した盲目の黒人DJスーパー・ソウルは、ラジオでその模様を実況中継する。大勢の野次馬やメディアが押し寄せる中、コワルスキーは、ブルドーザーが道路封鎖するバニシング・ポイント<消失点>に向かってアクセルを踏み込んでいく…。

出典   バニシング・ポイント4Kデジタルリマスター版公式サイト

ふんが!ふんが!

小一時間も観ていると、チャレンジャーが可愛くて仕方なくなってきた。
初めは「古い車ってかっこいいよなあ」と思っていたのに、コワルスキーが車道からはみ出てオフロード(というかほぼ砂漠)を激走するものだから、チャレンジャーは車体のお尻を「ふんが!ふんが!」と上下させながら岩や乾いた植物を乗り越える。
この気張りようが可愛い。

多くの映画ファンにとってはかっこいいシーンなのだろうけど。

終ぞコワルスキーにさほどの愛着が湧かなかったわりに、すっかりチャレンジャーファンになって帰ってきた。

車は裏切らない

もしかしたらコワルスキーは、人より車によって生きたり死んだりしたかったのかもしれないと思った。

なぜ走り続けるのかは語られないけれど、
「捕まりたくない」これは違うだろう。単に捕まりたくない割には彼は諦めすぎている。

「死にたい」これもきっと違う。ただ死にたいだけならもっと別の方法がある。

「任務を完了したい」これはラストシーンが示すとおり、違うだろう。

そもそも捕まりたくないとか仕事を完了させないといけないとかいうのは、人にどう見られるかという自意識がそこにある。
コワルスキーの道中には、そういう、人への執着がみられない。欲望を満たそうとか、傷付けてやろうとか、そういうものがみられない。
死んだかな?とひょっこり確認しに行って、生きているとみると、ヤドカリにとっての貝みたいに車へ戻っていく。
人間への執着が極限まで削ぎ落とされているように見えた。

あの時代にあの国で青年だった者にしか体験し得ない体験があったと思う。
したくないことをして、見たくないものを見て、聞きたくないことを山ほど聞いたのだと思う。
その残像を消すのは、アドレナリンとかセロトニンとかの類いだったのかもしれない。多くのニューシネマで青年たちがドラッグやセックスや暴力に溺れるように。

あの2分

そういえばDJスーパーソウル、彼もDJブースに入るまでは黙々と歩いてくる。
コワルスキーにとっての車が、ちょうどDJスーパーソウルにとっては音楽だったのかなとも思った。
車や音楽にのってる時だけなんだ、彼らが叫ぶのは。

ところで最後であり最初の2分間が気になる。
もう1回観たい。
みなさんはどう考えますか?

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