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福岡と僕と、時々、ヌーラボ

2023年もあと1週間で終わり、もうすぐ2024年。我ながら今年もいろいろあったなーと思い返しています。年末年始は引っ越しの準備も進めなくてはならないので、バタバタして年越しを迎えそうです。

はじめまして、Shibuyaと申します。2023年10月に株式会社ヌーラボへ入社し、デジタルマーケティングに携わっております。早いもので入社してから3か月が経ち、徐々に職場にも慣れてきました。

僕は現在、兵庫県に住んでいるのですが、来年はヌーラボの本社がある福岡へ引っ越す予定です。ヌーラボはフルリモート勤務なのでわざわざ引っ越す必要はないのですが、僕にはずっと福岡への憧れがありました。

ヌーラボブログリレー2023 for Biz Advent Calendar 2023で書く機会をいただいたので、これまでのキャリアを思い返しながら記事を書きました。


株式会社ヌーラボ「福岡本社」

ヌーラボが上場したのは2022年6月。それまで僕は会社でBacklogを半年くらい使っていましたが、提供している会社名までは知りませんでした。同じようにまだ会社名を知らない方々も多いと思います。

僕は株価や企業について調べるのが好きなので、「あ、ヌーラボってBacklogの会社なんだ」と上場のタイミングではじめて知りました。僕がヌーラボから内定をいただいた約1年前のことです。

そのときは特に興味を持たなかったのですが、会社情報を見たとき「福岡本社」の文字が…。

「福岡に本社があるの!?珍しい!」

僕が一番ビビッときたのは「福岡本社」という点でした。実は僕には10年前から福岡(特に福岡市)に住みたいという気持ちがずっとあったのです。

「ヌーラボに転職して福岡に住むぞー!」

そんな想いでヌーラボへ応募し無事に内定をいただき、いまこうして働くことができています。

ヌーラボへ入社が決まったら福岡へ引っ越さない理由があるだろうか、いや、ない。

大濠公園は水と緑のオアシス

新卒1年目の話

なぜ福岡にそんなに憧れがあるのか?少しだけ僕の過去のキャリアについてお話させてください。僕はちょうど10年前、大学を卒業し社会人生活をスタートしました。

よーいドン!で転んだ新卒キャリア

新卒で入社した食品メーカーでは最初、福岡県にある八女市へ配属となりました。仕事はハード系のエンジニア職。工場の改善やライン設計、立ち上げをおこなうのが主な業務でした。

僕は学生時代まで東北生まれ・東北育ちだったので、なぜか配属先の中でも最南端の福岡への配属が決まったときは「面接の場で、最初の配属先は近場の東北とか関東がいいっていったじゃん!」と内心憤りを感じていましたが、選択権はなかったのでまぁ仕方ないです。(海外にも興味ありますとかいった気もします)

もちろん九州には知り合いがいるわけもなく同期も同じ場所には配属されておらず、職場では先輩から叱られる日々だったので、赴任して2か月くらいは毎日のように夜な夜な泣いていました。

「社会人ってこんなに辛いんだ…もう辞めたいなぁ…」

そう思っても入社してすぐに、ましてや全く知らない土地で転職することは選択肢として考えられませんでした。最低でも3年は続けないといけない、そう思っていました。

いまは転職してキャリアアップしよう!という風潮になっていますが、10年前は転職することのハードルはとても高かったように思います。

福岡の街

仕事が終わっても日報や改善案の提出、新入社員の課題レポートに追われていたので、なかなかゆっくり休めた思い出はありません。

辞めたいけど辞められず、それを相談できる人もいない状態で、憂鬱な日々だったことをいまでも覚えています。いまとなってはいい思い出ですが、当時は本当にしんどかったなぁ。

そんな毎日を過ごしていましたが「ここにいては気持ちが落ち込むだけだ!」と思い、休日はよく電車に1時間以上乗り福岡市へ気分転換しに行っていました。福岡市に行くことは当時の唯一の楽しみといっても過言ではありませんでした。

この景色の中にあることを誇らしくも思っていた10年前(写真は2022年撮影)

博多や天神、中洲といった街は、社会人になった僕にとって眩しく輝いて見えました。「福岡めっちゃ都会じゃん!」という新鮮な気持ちでわくわくしながら街を歩いていたことを思い出します。

これまで見てきた景色とはまた違う、社会人になってから初めて触れた都会が福岡でした。

「物価も安くて、食べものもおいしくてサイコーッ!!将来は福岡市に住みたいなー」

そんなことを想っていたのですが、半年後に茨城へ出向することとなります。

茨城での生活

当時、勤務していた食品メーカーの関東圏最大の工場が茨城県の守谷市にあり、そこの大規模な工場の改修・立ち上げメンバーに選ばれました。ほとんどの理系技術職の若手社員が、こういった経験をさせられます。そのため、僕は福岡の生活に少し慣れてきたタイミングで茨城へ出向しました。

博多といえばとんこつラーメン

福岡を離れることに悲しい気持ちは一切なく、むしろ働く環境が変わることに嬉しさを感じていました。(それほど嫌だった…)
そして同期がいると雑談や相談ができるので、とても安心感がありました。

茨城では朝8時前から夜中日付が変わる時間まで働いていたのですが、同期がいたので切磋琢磨し頑張ることができました。帰宅するころにはどこのスーパーも営業していなかったので、よくコンビニでお弁当を買い、同じ部屋で食べながら将来についていろいろ語り合っていました。

大変でしたが、厳しくも優しい上司や同期に恵まれ充実した日々を過ごすことができました。そのとき学んだことは、いまでも僕の仕事観に生かされています。

茨城に来て半年が経つころには担当していたプロジェクトがほとんど完了し、いよいよ福岡に戻ることになりました。あくまで出向というかたちだったので、所属は福岡に残ったままでした。そのまま茨城への移籍となれば、いまのキャリアもまた違ったものになっていたかもしれません。

わずか1年で転職、東京へ

福岡に戻ったあと、僕はすぐに退職を伝えました。実は茨城への出向中に転職を決め、東京の会社へ転職することにしていたのです。どうにも福岡の職場に馴染めず、またこの先もあそこで働かなくてはいけないのかと思うと憂鬱でした。

「福岡に戻ったら転職活動が難しくなる。だったら茨城にいるいましかない!東京に転職活動へ行こう!」

新卒入社した会社は割と大きな会社だったので、辞めることを親に伝えたときは猛反発にあい大変でしたが、僕自身は「なんとかなる!」と根拠のない自信がありました。

そうして僕の福岡生活は怒涛の幕切れとなり、これといった想い出もなくあっという間に終わってしまいました。いろいろ行きたかった場所もありますし、「また福岡に住みたいなー」とそのときから思っていました。

この記事を書いててふと思ったのですが、もしかしたら当時の後悔や記憶が美化されて、福岡に住みたい熱がやたら高いのかもしれません。

ごまさばは福岡に行ったら必食

キャリア探しの話

東京の企業に転職してからも、ここでは書き切れないほどなんやかんやありました。

東京は最高

転職してから数年後にはキャリア探しをはじめました。これまで学んできたことに縛られて、この先の人生の選択肢を狭めたくなかったのです。

キャリア探しという名のフリーター生活ではバイトを最大4つ掛け持ちし、ほぼ休みなくシフトを入れまくり、年間360日は働いていました。朝から夜まで働き、月曜の午前中以外は基本的にどこかの職場で働いていました。
ホテルで働いたり、カフェで調理の仕事をしたり、おはぎ屋で働いたり、それはもういろいろと。

東京は企業が多く求人が多いので、自分のやりたいことや向いていることを探すには東京は最高の環境だと思います。

都庁展望室から見た東京

マーケティングの世界へ飛び込む

キャリア探しをする中で、将来自分がなりたい姿を描き始めたころに、偶然マーケターとしてのチャンスをいただきました。最初はベンチャー企業でアルバイトとしてWebデザイナーを志望していたのですが、適性検査の結果を見て「マーケティングやりませんか?」とお声がけいただきました。

マーケティングについて特に何かを知っているわけではなかったのですが、「なんか面白そうだな」と直感的に思い飛び込みました。(むしろ断ったら落とされるとも思ったので…)

もともと僕のキャリアはハード系のエンジニア職としてスタートし、それがいまやマーケティングの仕事をしているというのですから、世の中はどうなるかわからないなと。多くの転職を繰り返してきたからこそ余計にそう感じます。

人事の方に怒られるかもしれませんが、新卒入社した会社で人生が決まることは少ないので、どうしても嫌なら転職してしまいましょう。会社名ではなく、自分のビジョンを大切にしてほしいです。

ベンチャーは浅草橋にオフィスがあり、よく隅田川沿いを歩いて帰ってました

キャリアもゆっくり、いそげ

決して順風満帆なキャリアではなかったですし、最初からマーケターになりたいと強く思っていたわけではないですが、マーケティングの仕事は非常に面白く自分にマッチしている仕事だと思っています。(大変なことも多いですが…)

自分に向いている仕事というものは結局のところ、自分では見つけられないのかもしれません。僕はそのとき持っていた知識や経験だけでは、決して見つけることはできませんでした。

一見すると遠回りに見えることも、あとで振り返ってみると近道だったと気づくこともあります。一生懸命に目の前のことに取り組んでいると、思いがけないチャンスがやってくるのかもしれません。

ヌーラボは仲良しクラブ

社会に出てから10年でいろんな人たちと出会い、いろんな街に住み、いろんな仕事を経験し、現在はヌーラボで働いています。ヌーラボの話も少しだけしなくては。

ヌーラボへ応募した理由は最初に書いた福岡に本社があるということがきっかけでしたが、それ以外にもプロダクトの強さや働きやすさ、そして代表の橋本が書いた『会社は「仲良しクラブ」でいい』を読んで、ヌーラボが目指す組織像と僕が昔から思っていた理想の組織像に近いものを感じたからです。

タイトルだけ見て読まず嫌いな人も多いかもしれませんが(僕もそうでした)、実際に読んでみると良い意味で裏切られた内容でした。ヌーラボの根っこの部分を知ることができるので、ぜひヌーラボという会社やヌーラボの組織文化に興味のある方は読んでみてください。

仲間と楽しむこと、ワクワクすることは大好きでいつまでもしていたいですが、仲間感を味わいたいために、仲間と組んでいるわけではないのです。今の仲間は、今、そのときそのために集まった即席の群れでしかなく、各個人が自分の人生を歩んでいる、自主性を持った人たちです。僕としては、個人の判断を尊重して、惜しむことなく送り出すのが良い姿勢だと考えます。

会社は「仲良しクラブ」でいい

面談や面接で会った方々はとても話しやすく、予想していなかった個性的な質問もありましたが、ありのままの自分をしっかり伝えることができました。相互理解のために面接を何度も設定していただき、対話の中で僕自身、新たに気づきを得ることもありました。
そのおかげか、入社前と入社後のギャップはほとんどありません。

フルリモートで働くことは、応募者側も採用者側もお互いに不安なことが多いかもしれません。でもヌーラボのメンバーと話をしてみたら、そんな不安は吹き飛ぶかもしれませんよ。

これからの福岡へ

学生時代に見つけられなかったやりたいことが、社会人になってからようやく、ほんの少しだけ見えてきた気がしています。ほんの少しだけですが。

まだまだやりたいことがたくさんあり、それはヌーラボという会社でやりたいことだけでなく、仕事以外の時間にもやりたいことがたくさんあります。
1年後にはこうなっていたいな、3年後はこう、5年後にはこう、10年後は...。

もしかしたら僕のような人間にとってヌーラボという会社、そして本社がある福岡という街は、とてもよい場所なのではないかと思います。

ただ単に再開発が進んでいるとか人口が増えているとか、そういった数値上にあらわれないような、他にはない「街の空気感」というか「街の勢い」が福岡にあると感じます。

そしてそこに魅力を感じた人たちが集まり、さらに街が面白くなっていく。これから想像できないような面白いことがたくさん待ってるような、そんな予感がしています。

もちろん、街の勢いにヌーラボも僕も負けていられません。来年は今年以上に変化の年にしたいと思います。

その前にまずは、無事に福岡への引っ越しを完了させなければ…!

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