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ep.2保護猫ボランティア3年目の高校生が考えること


はじめに

どうも、最近タスクに追われているすらんです。全然終わらない。あれもこれもとやることが迫ってきて疲れる反面、幸せな悩みだなと感じております。

そんなことはさておき、なんと保護猫ボランティアから始まった私の動物との関わりが3年目に突入しておるのです。
いやもう3年目なの早すぎて…。感傷に浸りながら綴っていきます〜。

私は家で預かりボランティアとかミルクボランティアとかではなく、保護猫団体さんのボランティアスタッフとして参加しています。
そのため、保護するところから卒業するところまで全部やっていたわけではなく、一部のお手伝いをさせていただいたので特別すごいことは書けないかも知れませんが、ご容赦くださいませませ。

今まで経験したこと

主に団体さんの活動を手伝わせてもらったことが大きいです。
基本的にはトイレ掃除したり、掃除機かけたり、ご飯をあげたり。日常を支える力添えさせていただいてました。

猫撫でててる時の自分の顔は兵器

初めの頃は団体のスタッフさんと一緒に作業をしていたのですが、最近は私1人で任せてもらうことが増えて自己肯定感が爆上がりしています。
いうて私はまだ高校生だし未熟な部分も数え切れないですが、そんな中でも信頼して任せてもらえる嬉しさはボランティアならではだなと思います。
もちろん、その信頼を裏切らないように猫たちを脱走させないことを最重要に気をつけて、彼らの生活の質を上げられるよう作業をしています。


2年目からは月1の譲渡会が始まり、そのスタッフとして参加できたこともいい経験になっています。

今までは、さまざまな事情を持って入所してくる猫と、施設で暮らす猫の姿しか見れませんでしたが、譲渡会の参加により里親さんとのいい縁が結ばれて卒業していく姿も見ることができるようになりました。
そこでは卒業が決まって喜ぶこともあった反面で、里親が決まるのはビジュアルが良い、若い、懐いているような子たちばかりという現実も知らされました。
私はボランティアとして長期的に猫たちの様子を見ているので、それぞれの子の良さを把握できていますが、譲渡会で知る一瞬の一面だけではそれを知ることは難しいんだと。

だからこそ、どういう方法であれば譲渡会だけでは伝わらない猫の良さを伝えることができるのか。猫に限らずですが、たとえば疾患を持っている、たとえば身体的障害がある、たとえばまだ人に慣れていない、そんな子たちにフォーカスを当てることができるのか。そんな課題を感じるきっかけでした。

愛い

そこから思ったこと・考えたこと

それは数え切れないほどあって、全て私の価値観や人生に影響を与えたものばかりなのですが、ここでは特に重く受け止めたことを2つ書きます。

まず、どうすれば里親さんと縁が結ばれる機会を平等に与えられるのか
先述もしましたが、スタッフとして参加した譲渡会を通じて猫のフォーカスの当たり方に課題を感じました。

とにかくひざに乗りたいらしい猫

そして原因から考えてみたのですが、やはり折角おうちに迎えるなら不安なく迎えたいという思いがあるのかなと思います。
そしてその不安要素には、現時点で人馴れしていない、疾患を持っているが該当してしまうのかなと。あと不安とは少し違いますが若い方が長く一緒に暮らせる、も。

ただこれって全部、ちゃんと考えるきっかけを作ることで改善できることなのではないかなと考えています。

たとえば人馴れしていないのなら、なぜ人を怖がっているのだろう。それは野良猫として生まれて母親にそういう教えを受けたから。はたまた今までに人間にトラウマになるような行為を受けたから。そういう理由なら人が怖いのも当たり前だよね。
じゃあそれってずっと人慣れしないのだろうか。そうではなくて、人と同じでじっくりゆっくり、その子のペースに合わせて向き合っていけば、心を開いてくれる。実際に私も3年の中で何度も心を開いてくれる様子を見てきました
個人的には、そうして猫と時間をかけて関わって、だんだん触らせてくれるようになった時の嬉しさって半端ないし、保護猫の魅力ってこれだな〜と思っております。

スンスン

ただ、どうしても保護猫の施設って一時的に保護しているわけなので一対一でじっくり向き合う時間を全ての猫に取れるわけではないです。あくまで私が行っているところではですがね。
けれど、おうちは違う。一対一、もしくは多頭飼いだとしても、毎日同じ飼い主さんがお世話をしてくれる。そうすると猫としてもお世話する人が立ち替わり入れ替わりでない環境の方が安心できると思います。
そして、それが心を開いてくれるきっかけになることもあります。
だから保護施設で人馴れしていないから、お家に来ても無理なのかも知れない、ではなく、お家に来ることで人馴れしてもらえるかも知れない

そんなことを知識として知れて、自分の価値観で考えて、その上でどんな猫がいいか悩む
初めから選択肢を持たないのではなくて、人馴れしてる子・してない子、キャリアがある子・ない子、子猫・大人猫などたくさんの選択肢を持った上で選択をしていく
こうした考え方を浸透させていくことで、少しずつみんなにフォーカスを当てることができるのかなと思います。そして、その当たったフォーカスを活かすには、本人の猫語だけでは伝え切れない部分もあるでしょうから、人間が通訳として張り切る必要があると感じます。

いい顔してるのに目やにが…


次に、人と動物の関係性について
これが私の人生の本題になったのですが、今まで気づいていなかっただけでそこらじゅうに関係性の課題って転がってるんだなと実感しました。

難しそうな書き方をしてしまいましたが、そんな特別なことではなく、たとえば、人はたくさんお肉を食べているけれどその裏で何が行われているのかを知らない、とか、動物が好きだから飼うけれど、ちゃんとした知識を持っていない場合もあって結果ネグレクトになってしまう、とか。

簡単に言えば、人間は動物からの恩恵だけを受けて、その他負担を動物に押し付けすぎているのではないか?みたいなことを感じたわけです。
自分の語彙力がなくて怖い人みたいな主張になってしまったのが申し訳ないです…。
私は別にお肉を食べることにも動物を飼うことにもそれ自体には否定も反対もするつもりもないし、むしろお肉美味しいもぐもぐの人です。


ただ今の形は変えるべきなのかなって思っています。

お肉について言えば、生産性と効率をを重視して、工場的な、集約的な畜産で畜産動物の本能や欲求、自由を無視してしまう形。

動物園について言えば、人間がたくさんの動物を見れることに力を入れすぎて、野生的な行動を取れる広さやご飯の食べ方、群れでの活動ができず、毎日退屈な時間と人に見られ続けるストレスを感じてしまう形。

ペットについて言えば、命に値段をつけて販売することが大きな業界として発展し、命がお金を稼ぐための商品になってしまっている形。

他にも実験動物や野生動物などなどたくさんの動物と関わりを持っていますが、お互いの福祉が守られた完璧な関係というものは残念ながら存在しないと感じています。
一方で、異なる種族が関わっている時点で、両方の福祉を完璧に守ることは不可能だとも感じます。

けれど最近ではアニマルウェルフェア・動物福祉、という言葉や取り組みについて耳にする機会が増えたため、私が思っているより時代が進んでいる可能性があるので、上記のことは過度に信用しすぎないでください
ただ、私が住んでいる周りではまだまだ遅れているなと思うことがたくさんあります。

よっ!猫界の橋本環奈!!(????)

話を本題に戻して、そんな今の形を改善したいし、しないといけないと感じました。

お肉なら、一頭あたりの活動できる広さを広くして、本能が満たせる環境、たとえば豚なら床を土にする、鶏なら止まり木を用意するなど。そして最終的にと畜する時にも、可能な限り彼らが恐怖を感じないシステムを取り入れる。

動物園なら、その動物の習性を理解し、群れ行動なのか、どのくらいの広さが必要なのか、野生ではどんな形でどんなものを食べているのかを忠実に再現する。また圧迫感のある檻やガラス張りをやめて、展示場と人間の間に大きな溝を掘ることで、動物側へのストレスを少なくし、人間の安全も確保する。

ペットなら、ペットフードや服、おもちゃの価格品質で企業が競合し、生体は大切に育てているブリーダーさんから、その子にかかったお金と今度の活動資金分のお金を払い家に迎える。そのお金のやりとりに、ブリーダー活動の存続の意思はあっても、過剰に儲けようとする意志はない。

みたいなことを考えています。全部海外の受け売りなのですが…
けど日本でもそんな風になればいいなと願いを込めて書かせいていただきました。

しかしこれは全て、現状で成り立って生活している畜産家さんや動物園スタッフさん、ペット業界の方から見ればデメリットの方が大きいと思います。
だってお金も手間もかかる上に、今の状態でも消費者は利用してくれている
そう、消費者が利用している。つまり消費者が無意識下でこれを求めているのです。
この方式に気付けば、あとは私のやることが見えてきました。

消費者の需要を変えてしまえばいいのです

というわけで次項に続きます。

これからにどう繋げるか

さて、これに気づいた私はもう無敵です。
幸いにも私はZ世代と言われる年代に生まれ落ち、ネットの世界には自然と詳しくなっていたため、じゃあネットと掛け合わせてやろうと企んだのです。
具体的にはYoutubeやInstagram、Twitter、そしてnote。私ができる範囲でネット上で活動しようと色々考え始めました。

色々考えてたどり着いた私がやりたいこと。それは淡々と事実のみを発信することです。受け取り方は、受け取った人の価値観に一任する
それが、一番自然に、そして正しいルートを辿って関係性を改善していけるのではないかと考えました。

たとえば、私1人だけの価値観、考えを発信し広まってしまったら、極論そのルートはたった一つの価値観だけで構成されてしまう。多少のブラッシュアップはあるかも知れませんが、基準がそれになってしまう。

けれど、初めからたくさんの価値観が混ざり合って、その総意として関係性を改善しようとなったら、偏った意見にならず、バランスの取れたルートを辿れるのではないか、ということが言いたいのです。伝わってますか…?
伝わっていると仮定しますが、そうしたルートを辿るために、私は事実のみを発信するべきだと考えています。

またその活動の中で、最重要としているのが度を越さない方法で伝えること
たとえば、お肉はこういう過程を経て私たちの食卓に届いています。だけを届けたい。凄惨な画像を使って、これが現実です!肉食やめましょう!!も事実は事実ですが、私はやりたくないです。
人と動物の関係性を改善したい!と言いながら人間への配慮をしていなかったらどないやねんって話ですし。

ただ、そうしてしまうとインパクトに欠けて流されやすい情報になってしまい、結果受け取り側の印象に残らないと思うのです。残念なことに。
けれど、印象に残らないとしても、私はただ事実だけを届けたい
なんど考え直してもここは曲げられませんでした。きっと工夫次第でどうにかなるだろうと思って。


結局どうやって活動するってことなんですが、私はSNSの使い分けをして効果的な発信をしたいと考えています。

Youtubeはshortsできっかけ作りを、横動画でより詳しく解説を。
noteはYoutubeではできなかったさらに詳しい解説を。たまに考えの整理に使ったり。
Twitterは日常の投稿を主にして信頼感や親近感を持ってもらう
Instagramはボランティアなど、どこかに訪れた活動録として使用し、ポートフォリオに

そんな感じで経験や実績を積んでいき、次のステップに繋げていきたいと思っています。この次のステップってのも考えているのですが、まだ不明瞭な部分もあるのでこれはまたの機会に。

さいごに

さて、ここまで考えてることって、こうしたらなんかいい感じになるのではないかな〜とすごく楽観的な部分もあるので、壁にぶつかることも多いとは思いますし、思われたかも知れません。全くその通りです
しかし、壁にぶつかった程度で諦めない目標だってことを証明してやるためにも、折れず貫き通して実現します。

俺にたくさんのことを教えてくれた心の支え猫


とまぁ、かっこいい風に言いましたが、結局動物のためを装って、巡って自分のためであったりもするんですよね。
私は他人のために人生を捧げられるほどできた人間でもないので、自己肯定感を上げたいだとか、自分を好きになる理由が欲しいだとかそんな理由も多くを占めています。

だから何を伝えたいかって、動物を思ったり、彼らのために行動一つ変えることって動物が好きな特別な人がやることって思って欲しくないんです。当たり前のことだと思って欲しいんです。

人と人でもそうですよね。自分がされて嫌なことは他人にしてはいけないよ、って小学1年生の時のクラスに貼ってあった気がします。
動物も同じなんです。種族の違いこそあれど、相手を理解して、相手が不快になることは極力しない。当たり前のことじゃない?

なんかそんなことが世の中の一般意識になればいいな〜と思い、今日もなんやら活動してることと思います。

ここまで長々と稚拙な文章を読んでくださってありがとうございました!

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