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リーダーとして「恩送り」を-羅針盤#2-2

✔ タイのスタディーツアーで出会った担当者との奇遇の再会が,AYL立候補を後押し.
✔ 「みんなをヒーローにする」リーダー.
✔ 「恩返し」はできなくても,「恩送り」はできる.

※前回の記事はこちら

「AYLのきっかけ」

―――あきさんは,日本代表団の副リーダーに当たるアシスタント・ユース・リーダー(Assistant Youth Leader, AYL)を務めましたよね.それは8月の最終選考兼事前研修の時に選挙で決めるんですが,2次選考受かった段階でAYLをやろうと思ってたんですか?

あきさん(以下,A):いや,全然考えてなかったです.2次選考通過後に内閣府から届く,事業に関する情報が載った書類に目を通して「頭もよくないし,英語もそんなにできるわけじゃない私には何ができるんだろう」ってずっと思ってました.しかも,YL(ユースリーダー,日本代表団のリーダーに当たる)とかAYLとか,頭いい人とか,もっと元気溌剌としてる人がやるものだと思ってました.

―――いつその気持ちが変わったんですか?

A:事前研修の初日でしたね.タイのスタディツアーで会った担当者がたまたま管理部員として参加していて.その方とのある会話の中で,考え始めました.

―――YL, AYLの選挙は事前研修の4日目とかじゃないですか.ということは考えはじめてから2日か3日で決意したんですね.

A:そうですね~(笑)その管理部員の方は,タイのスタディツアーでほんとにお世話になって尊敬してたから.実は管理部員で一緒に船に乗ることを最初の顔合わせの時まで知らなかったんですけど,研修初めの管理部員の挨拶でその方が出てきたときにすごい嬉しくて涙が出ちゃって.そのあとその方が後ろから回ってきてハグしてくれて,「なんだこれ(笑)」って思って(笑)その時に,「AYLやってみれば?私も乗った時AYLだったんだよ」って言われて,最初は「英語もできないし」とか思ってたけど,「すごく実りある経験になると思うよ」って言ってくれて.それで,まあ自分は会社辞めてまでしていくことだし,そういう経験も悪くないなって色々考えてました.でも,いざ立候補するときもめちゃめちゃ躊躇って緊張してて,立候補した後も少し後悔してました,「やめればよかったかなあ」とか「ほんとに私にできるのかな」とか,うじうじしてました.

(原体験となった,タイのスタディツアーの主催者(左)と,ツアーの担当者(右).ツアーの担当者は管理部員として船に乗船.事業中,タイに寄港した際に撮影.)

―――でもそこで自分から手を挙げられる勇気と決断力はほんとすごいですよ.しかもまだ会って数日しか経ってない集団の中で.

A:すごいドキドキしてました.それでいざ立候補した夜に,選挙のスピーチ何しゃべろうかなあ,原稿ないとうまく話せないなあとか思ってて.その時に,また「自分に何ができるかな」って考えてて,人のことをちゃんと見るのが得意だなって思ったんですね.人が努力してるのをちゃんと見たりとか,人の表情の変化を察知したりとか,今までの人生で思うことが多くて.それってもしかしたら,リーダーっていう立場でみんなの役に立てるんじゃないかなあって思って.みんなの先頭に立って引っ張ったりとか,中心にいてみんなが自然と集まってくる,みたいなタイプじゃなくて,ちょっと枠の外にいて観察してるというか.そういうこと考えてるときに,「みんなをヒーローにする」って言葉が浮かんで.それならできるかな,って思ったんです.

―――一般的にリーダーと来たら,人の前に立ってみんなを引っ張るカリスマ的なリーダーが想起されがちですが,そういうタイプではなくてフォロワー型,調整型のリーダーってことですね.

A:そうかも.圧倒的な牽引力があるわけではないから,そういう形の方が合ってるかなと思ってました.それも,必ずしもYL/AYLという立場じゃなくても,「この組織において,こういう立ち位置でこういう切り口なら,こういう風に貢献できそう」というのを,選挙のスピーチの前にはっきりさせられたのはよかったなと思います.あとは,3年くらい東ア船に乗りたいってずっと思ってたから,ほんとにずっといろいろ準備してて.人生で一度きりのチャンスを逃したくないという想いもありました.実は「船にいつか乗るためには英語が必要!」と思ってフィリピンへ短期英語留学にも行ったんですよ.

(フィリピン留学時の一コマ)

―――そうなんですか?それはいつ頃?

A:タイのスタディツアーから帰ってきたあとの夏ですね,大学4年の,2015年9月.1か月しか行けなかったから,長期留学のコンプレックスは解消できなかったんだけど(笑),ほんとに必死になって勉強しました.留学先の学校では,授業が最短1日4時間コースからあったんですが,最長の8時間コースを取ってたのは私だけでしたね(笑)まあそのあとは結局普通に就職するんですけど,やっぱりなんか窮屈で.だから社会人の初任給をはたいて,土曜日にスクールに通ってました.実はいま,そのスクールを主宰してる会社で働いてるんですよ.だからいまその会社から給料もらって働いてると思うと,投資は回収したなあと思います(笑)授業料,初任給よりちょっと高かったんだよ!(笑)

―――(笑)ちなみにその会社に拾ってもらえるのが決まったのはいつですか?

A:声をかけられたのは,8月の事前研修(最終選考)行く前日でした.「コバルドオリっていう新規事業を始めるんだけど,よかったらどう?」って言われて.研修終わった後に一度話に行きました.楽しそう!と思ったものの,生意気にも「でも私東南アジアにこれから行くんで,どうなるかわからないですよ(笑)」みたいな感じで返しました(笑)でも会社を辞めて,船乗るまで手伝いもしていました.結局いろいろずれ込んで,船降りた後に事業オープンになって,私も結局船降りてすぐその事業に入って,オープンには立ち会えたんですが,やっぱ会社の人には戻ってこないんじゃないかって思われてたみたいです(笑)でも,いまエリアマネジメントの会社にいるんですが,そこでは地域の人とのコミュニケーションがすごい大事で,やっぱり地域とか人とかとの間を「つなぐ」ことが好きな自分には合ってたなあと思ってます.それに,東南アジアの人たちと会って,いろいろ苦労もしてきて,外の世界観てきたからこそなにかできることがあるんじゃないかとも思って,自分の地域に戻って頑張ろうと決意しましたね.

―――YLSで東ア船の存在を知って,タイとフィリピンに…そしてずっと憧れてた東ア船に参加してその経験が今の仕事につながってると.

A:だから,あの時人間不信にしてくれた方には感謝ですね(笑)今となっては(笑)

―――ははは(笑)今となっては(笑)

A:いろいろうまいことカチカチっとはまった感じですね.それでもそこまでたどり着くのにほんとに苦労しました.2次選考のあととかも,いろんな人に相談しまくって.東ア船の過去の参加者とか,スタディツアーの担当者とか,内閣府の他の国際交流事業に参加したことがある人とか,地元の友達とか,大学の友達とか…そこでいろんな人に助けられて参加が決まって.それもAYLやろうっていう気持ちを後押ししてくれたんですよね.何か輝くものを持っているわけじゃない私をすごく応援してくれた友達がいて,恩返しは出来ないけど「恩送り」をしたいと思って.自分が人からもらった恩を,また他の人に今度は自分が送る.その想いもあってAYLに立候補しようと思いましたね.それで船から帰ってきたあとに,その恩送りをしたいと思って,今年の3月に今の職場の「コバルドオリ」でお世話になった人たちに「こんなことしてきたよ」っていう報告会みたいなイベントを開きました.事後活動の一環です.

(帰国後に地元で開催した報告会の案内ポスター.)

>次回,#2-2「こころの隙間とコミュニケーション」へ続く.

(編集後記~ざーたくの戯言#2-2~)
 YL/AYL選挙の日はよく覚えています.事前研修6日間のうち,確か4日目とかだったと記憶してますが,候補者のスピーチで,聞き手の中には涙する人もいるくらい感動的で,かといって何とも言えぬ張り詰めた緊張感で混沌とした空気感でした.ざーたくはおこがましくも司会・進行を務めさせていただいたのですが,進行のためにことばを発するのも憚られるくらいの緊張感がありましたね.はじめて顔を合わせてたった数日しか経っていない中でのリーダー選出という,なかなか経験し得ない貴重な出来事でした.

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