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負けず嫌いと挫折 東ア船への挑戦―羅針盤#2-1

✔ 「東南アジア青年の船」へ導いた2つの挫折
✔ 負けず嫌いに火をつけた日ASEANユースリーダーズサミット
✔ 偶然に後押しされた,東ア船への応募

内閣府の青年国際交流事業である「東南アジア青年の船」に参加した青年たちの物語を特集する「羅針盤」.今回は第2弾です.

登場いただくのは,日本代表団の副リーダーにあたるAssistant Youth Leader (AYL)を務めた細川瑛代(あき)さん.東南アジア青年の船に参加するまでの経緯やAYLを務めようと思った理由など,赤裸々に語っていただきました.計4本の連載でお届けします.

※「東南アジア青年の船」に関する詳細は,こちら内閣府のウェブサイトをチェック!

―――じゃあまず最初に,簡単に自己紹介お願いしていいですか?

あき(以下,A):細川瑛代です.今24歳で,社会人3年目です.北海道出身で,バックパックとかで海外に行くのとかが好きなんですが,長期留学の経験がなくそれが結構コンプレックスです(笑)

―――コンプレックス(笑)

A:コンプレックスつながりでいうと,私大学受験で失敗していて.それでも,新卒で入った会社はいわゆる東証一部上場企業でしたけど(笑)

―――おー,すごい(笑)

A:まあ,そういう世間体とかはあんまり気にしていたわけでないけどね.留学と学歴の2つのコンプレックスが結構あります(笑)あと,大学の専攻は社会学で,まちづくりとかコミュニティ,コミュニケーション,メディアとかに興味がありました.人とか地域とか,何かの間にある「つながり」が結構好きで,特に人とのコミュニケーションが好きでした.そのコミュニケーションの延長で,英語を勉強することとかは軸にあって,海外に興味もありました.

「負けず嫌いに火をつけた,2014年の秋」

―――その長期留学のコンプレックスはどこから来たんですか?

A:大元のきっかけになったのは,日本ASEANユースリーダーズサミット(Japan-ASEAN Youth Leaders Summit, 以下YLS.注1)かなぁ.このYLSに2014年,大学3年の時に参加したんですが,大学の教授がたまたま教えてくれて.選考とか一応あったんですが,それも通って,英語の勉強にもなるし,「よっしゃいくか!」って感じでした.けど,いざ参加すると会う人会う人すごくて(笑)「最近フィンランド留学から帰ってきました」とか,「生まれはイギリスです」とかいう人ばっかりで.それでディスカッションのプログラムとか,すごいボロボロでした.もちろん楽しかったしそこで出会った人たちと友達になれてよかったと思って帰ってきたんだけど,ここでの経験がさっきの長期留学コンプレックスの原体験ですね.ないものねだりというか,負けず嫌いなのかも(笑)ただ,英語のスキルが足りなかったのはもちろんだけど,日本語で同じディスカッションしてもうまくできないんじゃないかとも思った.そういう意味で二重で挫折した.

―――確かに,周りがそういう人ばっかりだとコンプレックスになりますよね.自分も高校時代,国際系の高校だったんですが,帰国子女とか海外経験ある人がほとんどで.そういう人たちって「自分にはわからない世界」を観て経験してるオーラがあって,「ああ,なんか住んでる世界がちげえなあ」ってずっと思ってました(笑)

(2014年秋のYLSに参加した当時の写真.)

A:私そのコンプレックス結構拗らせてて(笑)多分,いわゆる有名大学とか,長期留学の経験とか,自分にはないものを持っててしかもそれを存分に活かしてる人たちを目の当たりにしたから,このYLSが強烈な経験として残ってるんじゃないかなあと思ってます.

―――なるほど.東ア船に関してですが,そのYLSの時にはじめて知ったということですか?

A:そうですね.でも,YLSに参加する前は東ア船は全然知りませんでしたし,東ア船が何なのかもさっぱり(笑)でも,そのYLSで会った周りの人たちが,「東ア船乗りたいよね~」みたいなことをみんないってて,そんなにみんなが「参加したい」とか「いいよね~」って言ってる事業ってどんな魅力があるんだろう,とは思ってました.しかもディスカッションでぼこぼこにされて挫折して帰ってきたからから「ちゃんと世界みにいかないとなあ」とも思いはじめてました.

「初海外での原体験」

(タイ王国スタディツアー参加時.これがのちの東ア船につながる原体験となる.)

A:ちょうどそのあとすぐに,推進センターが主催してる「タイ王国スタディツアー」っていうのがあって,「これはチャンスだな」と思って参加しました.2015年の3月で,これが初海外でした. 10日間ぐらいのプログラムで,タイの孤児院とかを周るんですけど,最後の3日間に孤児院の子どもたちを集めて林間学校みたいなことをやってるんですよ,しかも海軍も協力してる.それを主宰してるのが東ア船の第2回のタイからの参加者で.だから,最近東ア船に参加した人たちも手伝いに来てて.その時もみんな「東ア船っていいよね~」とか「素晴らしいよね~」って言ってて,「やっぱりすごい事業なんだ」とここでも思いました.で,さらに,そのツアーの担当者も日本の既参加青年で東ア船に乗って「人生変わった」って言ってて.「そんなすごいプログラムなんだ」って思って,この時私も「いつか乗ろう」と決意しました.

―――YLSから東ア船に参加しようと決意するまでは展開が早かったんですね.

A:そうかも.実際に乗るまでは3年くらいかなあ.でも東ア船の選考には毎年出そうとしてたんですよ.けどずっと出してなかった.

―――それは就活とかがあったからですか?

A:そうそう,でも,応募書類は毎年作ろうとしてたんですよ.書こうとするんだけど書けない,ってなってて.しかも,知り合いで,「船の選考2回落ちてやっと受かった」とかいう人もいて,やっぱ国の事業だからそんなに選考厳しんだあと思ってました.でも30歳まで乗れるから,そんなに焦らなくていいかなあとも(笑)

―――確かに(笑)チャンスはまだ10回くらいあるとか思っちゃいますよね(笑)

「偶然に後押しされた,追加募集での応募」

A:それで,仕事帰りの電車の中でたまたまfacebookを開いたら,追加募集(注2)のお知らせがありました.その日仕事ですごい嫌なことがあって落ち込んでて,その追加募集を見て「あ,これは私のための追加募集だ!」って勝手に思って(笑)「よし,応募してやろう」と思い立ちました(笑)

―――すごいですね,その行動力(笑)

A:そう(笑)でも,その応募に至るまでにはいくつかのドラマが実はあって…その春の時に,人間不信になる出来事があったんですよ.それで,「なんでこんな風になっちゃうんだろう」ってすごい悩んでたら,あるときたまたま道を歩いてたらタロット占いのイベントをやってて.ちょうど追加募集を知るの1週間前のことでした.で,その占いを受けて,「あなたはいま落ち込んでるけど,10月とか11月とか,秋ぐらいにすごい運気が上がってくるよー」って言われました.ほかにも,月間占いみたいなやつを見てるんですけど,それでも秋ぐらいに運気が上がるって言われてて,なんか占い大好きみたいになってるけど(笑)

―――(笑)でも,「気の持ちよう」というか,そういうのは結構大事だったりするんじゃないですか(笑)しかも秋ぐらいって,ちょうど東ア船の時期じゃないですか!(笑)

A:そうそう!こじつけだけど「ちょうど運気が上がる時期と同じじゃん!」って(笑)それもあって,「これは逃しちゃいけないチャンスだ」って応募を決めました.それで急いで書類を準備して,出したら次の日に1次選考合格ですって連絡がきたんですよ.「あらあらラッキー」って感じで,5月下旬の2次選考に向けて準備し始めました.

―――ちなみになんですけど,応募した時点で仕事はやめようと思ってたんですか?

A:いや,実は迷ってたんですよね.休職になるかな?とは思ってたんですけど,新しい世界が見たくてわざわざ応募したのに,仮に参加して帰ってきたあといま自分がやってる同じ仕事に戻りたいかって言われたらそんなことないなあって思って.その意味では何となく覚悟はしてたと思います.結果2年で辞めたんですけど,ゆくゆくは本部とかに上がって広報業務とか,東南アジア関係の国際交流業務とかやりたいなーって思ってて.けど2年目でそんなにうまいチャンスが回ってくるわけじゃないともわかってたので.応募した時点では半々って感じでしたね.ただ,2次に受かった時点で,会社に言いました.8月の事前研修兼最終選考に行くって.

―――そしたら,2次の結果が出る6月中旬くらいまではふわふわした感じだったんですね.

A:そうですね.しかも2次選考の手ごたえが全然だめだなと思ってたので余計に.けど,2次選考の結果の書類が届いて,「あ,受かってる…」って思って,窓際に10分間くらい立ちすくんでたのを覚えてます(笑)その10分間の間に,「あー,上司に言わなきゃな―」とか,「2か月開けっ放しの自宅はどうしよう」とか考えてました.ぼーっとしてるけど冷静みたいな.

―――まあ確かに,選考通ってからじゃないといいづらいですもんね.しかも自分たちの代までは,8月の事前研修が最終選考を兼ねてるみたいな感じで,2次選考に受かっても「正式決定」ではなかったじゃないですか.自分も大学の先生になんて言おうって,ずっと悩んでました(笑)

A:そうそう.あくまで「2次選考通過者」であって正式に決定したわけじゃないから,「確実に辞めます」みたいなことは言えなかった.けど,状況を直属の上司と支店長に言いに行ったら凄い応援してくれて.伝えたその日のうちに上司とか支店長が色々動いてくれて.結局そういう自己都合の休職みたいなのは認められないから「続けるの難しいよね」ってなったんですが,「8月の選考落ちたら続けてもいいからね」とも言ってくれて.それで8月の研修は休みとって行きました.

>次回,#2-2「リーダーとして「恩送り」を」へ続く.

(注1)日本ASEANユースリーダーズサミット(YLS)
東南アジア青年の船の東京プログラムの一環として一般募集の青年100名程度が船事業参加者とともに2泊3日でディスカッションや文化交流プログラムに参加し、相互理解を深めることが目的。2007〜2016年まで行われた。(注2)追加募集
3月に行われる都道府県毎の一次選考締切の後、数年に一度行われることがある。通過した場合は、推進センター推薦という形で、5月の二次選考に参加できる。

(編集後記#2-1~ざーたくの戯言~)
 今回あきさんは,2つのコンプレックスがあったと打ち明けてくれましたが,わたくしざーたく(記事の編集者&当プロジェクトディレクター)もザ・コンプレックスマンでございます.高校時代,周りの結構な人が3週間でうん十万もする海外の姉妹校への派遣に行ってて,「よくそんな金出せるよな~」とか思いつつ羨望の眼差しで彼らを見てました.「社会経済的格差とはこういうことか」とまざまざと現実を見せつけられたざーたくは,その後見事に「留学コンプレックス野郎」へと変身致しました...
 あきさんはそのコンプレックスにしっかり向き合って原動力にできたからこそ,日本代表団の副リーダーに当たるAYLとなり,大役を果たし大活躍をされたわけです.コンプレックスほど自分自身に発破をかけるのに適したものはないとさえ思える...ちなみにざーたく自身もそのコンプレックスを原動力に,(見事に?)今年9月から1年間,自己費用負担ゼロの留学を勝ち取ることができました!コンプレックス,おそるべし...

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※東南アジア青年の船に関する詳細は,こちら内閣府のウェブサイトをチェック!
※「東南アジア青年の船」に参加した青年たちの物語を紹介する本プロジェクト「羅針盤」に関する詳細はこちら

※本note,及び「羅針盤」ウェブサイトに掲載されている内容の一切は,「東南アジア青年の船」事業主催である内閣府の公式見解ではありません.