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「走馬灯に浮かぶ思い出を増やす」

こんにちは!城居です。

今回は、最近考えていた「自分が人生通して、できたら面白そうだなと思っていること」を発散したいと思います。

結論はタイトル通り「走馬灯に浮かぶ思い出を増やす」こと

最近、ようやく結論から話す癖がついてきました。笑

以下、Wikipediaからの引用です。

走馬灯、走馬燈(そうまとう)とは内外二重の枠を持ち、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠(灯篭)の一種。
死に際に見るという、自らの人生の様々な情景が脳裏に次々と現れては過ぎ去っていくさまを、「走馬灯のように」と形容する。

「実際にやりたいこと」に近そうなこと①

「思い出のシーンを自ら撮り直す旅」なんかはわかりやすい例だと思っています。

こないだ、あるテレビ番組でバナナマンの日村さんが「中学時代の同級生に謝りたい」みたいな感じで人探しをしてたりしましたが、そういうナイトスクープとかに近い感じのもサービス化できたら面白そう。(ってかそういうサービス既にありそう)

「実際にやりたいこと」に近そうなこと②

”結婚式”という特別なイベントを「ユニーク」「オーダーメイド」などの要素で実現しているのは、割と近いんだと思います。

「実際にやりたいこと」に近そうなこと③

私も面白そうだなーと思って、スカイツリーに並ぼうとしましたが…
大盛況過ぎて、並ぶことすら許されませんでした。笑

私が言いたいことは、ほぼ下記記事にカバーいただいてました。

なんでやりたいと思ったか①

中学校3年生の時に母親を亡くしています。がんでした。

亡くなる前日、電話で文句を言ったことは今でも強く脳裏に刻まれており、人生で唯一の後悔と言っていいかもしれません。

「最後の最後で、息子に文句を言われた」
真実はわかりませんが、そんな風に思って母は息を引き取ったのではないかと思う時もあります。

そんな思いをする人や「させてしまったかもしれない」と後悔する人が、少しでも減ればな…というのが原点です。

なんでやりたいと思ったか②

大学野球の最後の試合が終わった後、負けたってこともあったと思うんですけど、なんか灌漑深いものがあり。

高校時代は、「数年ぶりの1回戦突破」みたいな公立校に負けて終わったので、そことのギャップも強くて、今でも割と鮮やかに思い出せます。(スマホに写真はあるものの、”終わって食べたセブンの中本のカップ麺”は写真なんか撮っていないはずですが、覚えています。)

「その時のことは、きっと死ぬ時にも思い出すだろうな」とふと思ったのも1つのきっかけです。

最後に

とりあえず突発的に書いてみました。

特に、「なんでやりたいか」は他にもいっぱいあるのですが、ひとまず最も強烈な2つを記載しておきます。

恐らく、随時アップデートするなり、別記事書くなりするかと思いますが、ぜひ少しでも感じることがあればご連絡ください。

青二才でしかないので、反対意見や「甘すぎる」のような指摘なども大歓迎です!

お読みいただいた方、ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。

城居

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