怒らない理由
怒りが少ない思考のプロセスが少明瞭になったので記念
今29歳ですが、「怒ることとか、イライラすることないの?」と聞かれることが結構ある。
流石に全く無いことはなく、反射で不快に感じたりイラッとすることはある。でもその様子を見たことがある人は多分ほとんどいないだろうなと言えるくらいには確かに普段から「怒り」の感情は少ないらし
ただ、それを「優しい」とか「寛容」という言葉で形容されたりする度に“そんなに良いものではないんだよ…”と申し訳ない気持ちになる。それを繰り返しながら生きてきたなぁ
「怒らない事」と「優しさ」なんてドングリとイソギンチャクくらい全く別のものだからね。
まぁ怒りが少なくて困る事ってあんまないので正直これまで深く考えてなかったけど、この度Xのけんすう氏の投稿でこの思考プロセスが素敵に言語化されてたのがめちゃくちゃ気持ちよかったので、記念に記事にしようと思いました。
自分なりの怒らない理由
ちなみに怒ることないの?と聞かれたときはこのようなことをそれとなく答える
全部本心で、中でも「自分は他人の行動に怒ったりイライラできるほどの人間じゃない」ってのは結構強い。
自分を卑下してるとかそんな話ではなくて今の所「本気で素でそう思えている。」というのがなんだか重要ぽい。
ただ、これがあまり伝わった事がない。
真意の伝わらないただの自分サゲは良い印象を与えないことがあるので最近はもうあんまり言わないようにはしている。
そして結局「優しい」や「寛容」や「おだやか」と形容されることが多くなるわけですけど、やっぱ個人的にはなんか違うし、そんな良いものじゃないな と。
もうこの感覚は今後も誰にも共感されないんだろうな…再現性もないし別に共感されなくてもいいけど…
そんな事をうっすらずっと思ってきたんですが、この間みつけたけんすう氏の投稿でめっちゃすっきりしたし、共感されたことのないこの感覚自分だけじゃなかったんだと安心できて嬉しかった。
そのままコピペでまるまる自己紹介に使えるくらいすごい。
なるほど、「好奇心」の要素を加えると良かったのか…とすっきり。
怒りが発生しない思考プロセスに関してはこれまで共感を得ることがなさすぎて、実はなんかずっと寂しかったのかもしれない。嬉しかった。
これからも共感されないとは思うけど、同じような感覚の人は必ずどこかにはいるのであろう。世界は広い。
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