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文化的な遊び、良い〜

最近、文化的な遊びにハマっている。
例えば、博物館に行って俵物の干し鮑、いりこ、鱶の鰭のレプリカを見たり、大学の工芸館でインカ帝国の布を見たり、下駄で散歩をしたついでに河原でギターを弾いたり。

派手な楽しいことはそりゃあ楽しい。
居酒屋で暴れ回って床をビショビショにしたり、カラオケで缶チューハイに穴をあけて横から飲んだり!

でも最近はそういうドカンとした楽しさではなく、ただの日常の中に潜んでいる楽しみを見つけることが楽しくなってきた。
文化的な人間になるという理想への手段という節もあるが、それはバランスである。

最近私がしている文化的な遊びにはどうも既視感がある。まるで、過去に経験してきたかのような…………



……学校でやったじゃん!

幼稚園、小学校、中学校、高校と、特に面白くない活動として適当にこなしていた私は、大人になってからその楽しさに気付いた。

幼稚園で一番印象に残っている活動は、紙粘土で仮面ライダーカブトの顔を作って父親にプレゼントしたことである。当時は余裕なく一生懸命やっていたが、今やったらめちゃくちゃ楽しい。

少し振り返る。

農場で牛乳と何かを容器に入れて振りまってアイスを作る体験をしたこと、そのあとヤギやウサギと戯れてからお土産屋さんでチーズとクラッカーの試食をしたこと。

特に行きたくもない博物館や美術館に行かされ、変なレポートを書かされたこと。

謎の集団が学校に来て、真っ赤な服を着て太鼓を叩いていたのを見させられたこと。

美術の授業でやった数々の作品作り。

音楽の授業で弾いたクラシックギターや琴。

学習発表会で弾いたアコーディオン。

民家に泊まる活動で寝床になぜかエロ本があって同級生とめちゃくちゃ見てたこと。これは関係ないか。


先生たちは、大人になった感性に響くような活動を、知らず知らずのうちに私たちに刷り込んでいたのか……!

策士すぎる。その薄らとした記憶を頼りに、そのような日常に潜む楽しい事をしていこう。


最近の私は文化的な人間になると言って最初に記述したような変な行動をしたりするが、それは往々にして許される。
なぜなら社会科教員を目指しているから。
社会科教員は変な人しかいないので、変なことをしていても許される。
例えば上靴を草履にしたっていいし(下駄はうるさい)、仕事着が民族衣装だっていい。
私の古銭コレクションをみんなに見せびらかしても怒られない。社会科教員ってすごい。
ということは、この前古本屋で買った「愛国忠勇美談」という昭和38年の本を見せびらかしてもいいのか。嬉しい。

学校教員っていいですね。文化的な遊び教えてくれるし。

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