内面の深さ

昨日のQuoraの質問。

「経験や哲学がある重厚な人ほど、私の話を多く聞いてくれて、自身のことをあまり語りません。本当に聞きたいのはその人の深くに根ざした思慮や世界感です。彼らにその内面を深く語ってもらうには何が必要でしょうか?」

私の回答は下記。

この質問は大変おもしろいので回答します。
私の体験(75年)から言うと、深い内面のある人は非常に少ないようです。
たぶん、5%もいないでしょう。

まず、精神的に安定していないと、内面を安定させることができません。
そして、深い内面をもつには、独りきりになる時間が不可欠です。

青春の頃に深い悩みがあり、自問自答してきたとか、
あるいは、瞑想などで内面と対話することを習慣にしているとか、
また、そのようなテーマで小説などを書いている人などです。

深い内面をもつには、そのようなムダな時間が必要です。

若い頃から勉強・受験・就職・出世などで多忙な人は、自分を見つめる時間が充分にもてません。
本など読んで、それをきっかけにして思考することはあるでしょうが、
人の経験から学ぶには、自身が同様な体験をしていないと、本当に学ぶことはできません。知識の段階に留まるだけです。

内面の深さがない人が、内面を深く語ることは不可能でしょう。
内面が深い人は、ちょっとしたきっかけがあれば、自身の中身を出してくれると思います。

内面がある人は大体、人を見る目がある人です。
相手を見て、適切に反応するでしょう。(回答終わり)

この回答は、かなり微妙な問題をはらんでいる。
深い内面がある人を5%以下だと言っている。

深い内面などなくても、人は結構幸せに生きられる。
あるいは、ない方が楽かもしれない。

神があるとかないとか。
この世は存在するとかしないとか。
あるいは、未来への予想や不安。
そんなことは考えても仕方ないというのは普通の処世。

この社会を変えようとする人も少ない。
ムダなこと、利益にならないことは時間の無駄、
効率に反する。
あるいは、個の責務を超えること。
世の中をうまく渡るには、中庸や要領。

日々のテーマに真剣に取り組み、
その場その時で気ままに選択。
そういう生き方でいいのではないか。

内面の深さなどは、誰にも分からない。
たぶん、当人さえも。

人が生きるには実感だけで充分。
実感の深さは比較不能。

内面の深さが、言葉や概念の豊富さと同等なら、
それほどの価値や意味があるとも思えない。

言葉や概念など抽象的なものがなくても、
人は充分楽しく快適に暮らせる。
それでいいのかもしれない。

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