たぶん少女こなごなの話

私が文章を書いて、秋山ヨキが表紙とその他私に押し付けられたアートワークをやる、ふたりだけのサークル・少女こなごなをはじめて、7年だか8年だか経った。ハタチの時からやってんのにもうそろウチら三十路になるよ時の流れこっわ~~

最初は「磯野! 野球しようぜ!」ぐらいのノリで「秋山! なんかやろうぜ!」つって、文フリに1回か2回出てそれきりになると思ってた。私も秋山さんも、カッコイイ目標を立て、お互いに叱咤激励し、ひとつの物事を続けていくような性格じゃない。努力・友情・勝利にガソリンを撒いてついた火で芋とかスモアとか焼いてる。

だから、少女こなごなっつうサークル名も正直とってつけた名前である。「私のドッペルゲンガーがなんの前情報もなくカタログを捲っていたとして、目につくサークル名」を考えて思いついたのがコレだ。
だっせえな~、と思いつつ、続けていくにつれてサークル名の滋味深さを増している気がするので、なんだかんだ気に入っている。

努力・友情・勝利への対抗としての(?)少女こなごなの三原則はガーリー・ノスタルジー・メランコリーだ。
あまり真剣に考えたり思いつめたりしたことはないが「少女趣味」とか「かわいい」という概念に対して、コンプレックスがある。そういうものが好きな人・体現する人たちの大多数と、ビミョーに私の方向性がズレている気がしてならない。

たとえば、私は吉屋信子や中原純一がえがく女の子が好きだ。お淑やかでありながら強かなお嬢さん。ロリータファッションもいい。フリルとリボンとその他ファンシーでキュートでホイップクリームの味がする何か。ディズニーリゾートだって大好きで、年パス持ってた時期もある。レトロな喫茶店、オードリー・ヘップバーン、きれいな箱に入ったお菓子、いいにおいの石鹸、ガラスペン、ふわふわのねこちゃん……などなど。

ステキなものにくるまれた人って、なんていうか堂に入っているのだ。このようなモチーフが好きな人、言葉づかいがきれいだし、なんだか優しくて品がいい。そして何かをつくるタイプの人だと、趣味が反映されたキラキラした世界をみごとな手法で表現しており、意地悪な部分がほとんど無い。きわめつけ、脳内が露呈しがちなTwitterですら品性を保っている。

全員が全員そういうわけではないけど、そういう人が多いし、できたら私もそのようなかんじになりたい。なりたいけどさあ~~~無理! 無理なワケ!!! そういうブランディングや演出を自分に課し続けている人もいらっしゃるだろうし、それを維持できるのもその人の性質だ。

私も即売会やTwitterぐらいでは「なんてかわいくて素敵なお嬢さんなのかしら♡」と思われるようなキャラをつくれるモンならつくりてえけどそんなんやってられっかよ~~~!!! ストロングゼロ飲んじゃお~~~!!!

少女趣味の面に限らず、とにかく一貫性のある人に憧れがあるのだ。雑に言えばキャラ立ちしてる人。でも、私はめちゃくちゃ天邪鬼なので、ひとつの固定されたイメージだけを持たれてもそれはそれでイヤじゃ人間は多面的な生き物なんじゃクソ~~~ストロングゼロ2本目あけちゃお~~~!!! となるに違いない。

と、いう私の矛盾が凝縮した短編集のタイトルが『かわいい女の子は私の小説なんて読まない』なんじゃないですかね。
ガーリー・ノスタルジー・メランコリー、3つとも私の趣味だし、なんだかどれもふわっと手を繋いでいるようなかんじがしてすごい便利なキャッチコピーなんだよね(失言)。そんで、このうちのどれか一つでも当てはまれば少女こなごな作品としてオールオッケーだと思ってるんだよね(失言)。

だから、新刊を出すたびにちょっとビビっている。何冊も似たような本をつくりたくないと思う反面、やっぱり「前作が面白かったから」という理由でおなじ味付けを求めて買ってくれた人が「な、なんか違う…」ってなってもう読んでくれないかもしれない…とも思う。
私だって好きな作家のたいして好きじゃない作品あるし、100人中100人に全部好きになってもらえるなんてムシのいい話はねえよ~って思いつつずっと不安だと思う。まあ、1冊でも、すこしでも良いなって思ってもらえたらハッピーです。

まあ、そういう不安が発生してる限りいろいろ書けるんだろうなあ。次に出る本、じぶんのこと深層の令嬢だと思い込んで美しい夢を見続けてる水溶液に浸った電極付きの脳みそが主人公だったりするかもしれないじゃん。おもしろ。

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カクヨムもあるよ


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