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昭和末期生まれの人間にORANGE RANGEを語らせたらすごい

ORANGE RANGE全盛期の頃、昭和の終わり生まれの私は高校生だった。

自分とそこまで年齢の変わらないチャラそうな兄ちゃん達(実際、最年少のRYOはデビュー時まだ高校生だったはず)が一世を風靡していく様子を目の当たりにしていた。

それを見てファンになる子もいれば、「パクリじゃん」とアンチになる子もいたし、「売れてるけど別に興味ないし…」という子も勿論いた。

ちなみに私は「ファンってほどではないがなんとなくCDは持ってた」という人間だった。
ダブルミリオンを達成した彼等最大のヒットアルバム『musiQ』は中古CD屋で購入し、次作『ИATURAL』は普通に新品で買った記憶がある。

でもORANGE RANGEって僕らの世代は身体に良いってこと知ってますからね(しじみ習慣風)

めちゃくちゃに売れていたから常に色んなところで流れていたし、カラオケでも皆歌っていたので無意識のうちに青春時代の思い出の一つ一つにこびりついている。

私の場合はこんな具合だ。

『以心電信』なら、友達から紹介された男の子とメールのやりとりをする時のドキドキ感。

『ミチシルベ 〜a road home〜』なら、この曲をカラオケで歌っていたクラスのアイドル的存在の女の子のこと。

『祭男爵』なら、体育の時間に法被を着て創作ダンスを踊ったこと。

『ラヴ・パレード』なら、大学生になったらこんな恋愛してみたいな、と授業中にひたすら妄想していたこと。(ちなみに妄想の中の彼氏役は何故かメンバーのNAOTOだった。夢女子か?)

※私はラヴ・パレードが一番好きです。

『キズナ』なら、聴きながら受験勉強をしているフリをして、ガラケーで「朝までから騒ぎ」という真っ黄色な背景のBBSをひたすら見ていたこと。

挙げたらキリがないが、一曲一曲に何らかの思い出が付随しているのだ。
これはきっと私だけの話じゃなくて、同世代の人ならわかってもらえる気がする。

パクリの件だとか音楽性のことは私には語れないが、ORANGE RANGEの音楽は確実に多くの若者の日常に浸透していた。一曲だけじゃなくて沢山が。これってすごいことだと思う。

だからタイトルのように、昭和生まれ平成育ち、ちょうどORANGE RANGEの曲達と一緒に高校時代を過ごした世代の人に語らせたらきっと色々な思い出話が出てくるだろう。


現在の彼等は地元沖縄を拠点とし、自主レーベルで独自路線の音楽を楽しんでいるようだ。
たまーに歌番組でみかけると「おっ!」となんとなく嬉しい気持ちになる。

チャラそうな兄ちゃんだった彼等ももう30代後半。時の流れを感じると共に、ORANGE RANGEという存在が今でもしっかりと続いていることにどこか嬉しさを覚えるのだ。

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