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私とPTA

学校ついにPTA役員になりました。
というのも、我が子の小学校では基本的に全員PTAに加入します。
そして、
「子ども一人につき、在校中に一回は役員をやらなければいけない」
というしきたり。
とはいえ、そもそも役員は一体何をしているのか?ということすら
全然わからないので先輩ママさん等から断片的な情報をゲット。

・卒業年次の6年生と4年生の役員は大変らしい。
(4年生は二分の一成人式が学年行事として恒例らしい)
・低学年のうちに役員をしたい人が多く毎年抽選(激戦)らしい。

ということで、いつ役員になるかわからないのも嫌だし、とりあえず早めに終わらせておきたい私は今年立候補し、無事に役員になれました。

よかった、よかった。

なんて呑気にしていたら、早速PTAの役員顔合わせ&引き継ぎが。
平日の18時スタートで。あれ、その間子どもはどうするの?
と、怒涛のスタートを切りました。
(結局その日は学童はもちろん終わってるし、家で一人でお留守番させるのも不安だったので、いつも21時にしか帰宅しない夫に早く帰ってきてもらうことにしました。)

個人的にわきあがるPTA不要論


最近ネットニュースなどでも見かけるPTA不要論。
実際に役員の顔合わせに行ってみて思うことは、
PTA活動って今の時代で無理がかなり生じている仕組みだな。
これは実際なくても困らないんじゃないかな?

という事。

そもそもPTAとしてやるべき仕事は(我が子の学校の場合)、

通学時の立哨
(横断歩道で旗を持って子ども達を見守る事ね。初めて使った言葉。)
学年行事の企画・運営
(年に一度、親子で楽しめる行事を行う)
放課後の学校解放の見守り
(週に2回学校の体育館などで子供達を遊ばせる時の見守り)
他には、学校周辺の清掃、ベルマーク収集、広報誌発行など。

どの仕事も歴代の部長さん達が残してくれたノートを参考に、例年通りこなしていくらしい。
そもそもPTA活動に割ける時間が圧倒的に足りていない。
集まったメンバーのほぼ9割は仕事をしている。しかも母親。
帰ったら家のことを多く担っている人も多い。
PTAの活動をするためには我が子を留守番させるか誰かに見ていてもらわなければいけないという状況もなんだか腑に落ちない。
PTAの行事や当番などを行うには有給やシフト休など予定を組み立てる必要があるけれど、休みは貴重、できるだけ仕事の無駄は省きたい。
でも例年通りを見直して改革をするには大きな労力が必要とされる。
だから仕方なく例年通り休みをとって活動をする。
悪循環。

例年通りって、自分達の頭で考えなくていいから一見楽だけど、
その「例年通り」ってきっと夫が働いて、妻は家のことをしていた昭和くらいからずっと続いていることかもしれない。
仕事・家のことで時間なんていくらあっても足りない令和の核家族に
「例年通り」は無理が生じている。

PTAは誰のための組織なのか?

そもそもPTAって何のために存在している組織なのだろう?
立候補しておきながら、よく知らなかったので調べてみました。

父母と教師の会。父母・教師の協力による教育の改善・向上、児童・生徒の成長・発達と福祉の増進を目的とする。1897年アメリカで結成。日本では第二次大戦後設立。普通は学校単位に結成。

広辞苑

つまり、子どものために先生方と親が力を合わせる組織。
そうか、「子どものため」なのか。
確かに6年間も通うことになる小学校で、親と先生方が協力しあえる関係性を築くことは子どもにとってメリットがあるのかもしれない。
例年通りの呪縛に取り憑かれているPTAを目の当たりにして、不要論を唱えていた私の気持ちに少し変化が出てきました。

PTAでの違和感

今回立候補して、2回程総会やら引きつぎに出て感じたことは
PTA不要論よりももっとドロドロとしたモヤモヤとした違和感。
てっきり時代に合わない例年通りの呪縛のせいかとばかり思っていたけれど、よくよく考えると違っていました。

・今日欠席している役員はずるい。
・PTAって必要ないと思っているけど、仕方なくやっている。
・6年間ずっと役員しないで逃げきった人がいるみたい。
・ここで改革して来年の人が楽できるのは嫌。同じ目にあってほしい。

活動の間に出てくるこんなワード。
子どものためになるはずなのに、ネガティブワード全開だなぁ…。
私はこんな言葉達にモヤッとしていたんだなと思いました。
そもそもPTAの活動が「子どものため」であるならば、6年間の間に一回は役員をやるという理屈は全然変なことじゃないと思えました。
保育園は親のために子どもを預かってくれる場所だったからすごくありがたかったけど、小学校は子どもに教育を受けさせるところ。確かに学校任せという訳にはいかない。
けど、PTA活動に割く時間が惜しいほど日々の生活が大変なのも本当だし、PTA関係で自分が損するのは嫌だと思う気持ちが生まれるほど、その活動に強制力があるのも事実。だからといって、「子どものため」がおざなりになってしまうような事を親である私たちがしてはいけないんじゃないかなと思ったのです。PTAがあることによって、やりたくもない事を我慢してやったんだ、みんなも不幸になれ!みたいな親になってしまうのはちょっとやだなと。

違和感ではじまったけど…

すごくネガティブな意見や話が沢山出ていたのですが、実際に動き出してみると、色々な事がサクサク決まって思っていたよりも大変ではなさそうです。ほぼLINEで報連相ができるのは仕事をしているお母さんが多くいてくれるおかげかもしれません。学校にわざわざ集まらなくてもできる事があるならやっちゃおー!というプチ改善も、みんなに効率良くやろうという意識があるからこそ。
ネガティブなことを吐き出しつつも、実際に動くときは効率良く楽しくできるのは、みんながPTAって面倒だよねと思っているからなのかもしれないなと思いました。

子どものためにやってみる

綺麗事のように聞こえるけれど、とりあえず「子どものため」にやってみようと思いました。もちろん、時短できることは時短し、無駄は省けるだけ省いて、親も楽しくできるように。
大きな改革は難しくても、「例年通り」の小さな改善が積み重なることも無駄じゃなかったと思えるといいなぁ。
小学校、親としても学ぶべき場所でした。


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