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本来無一物

入門してはじめてのお稽古である。例によって「ご機嫌よろしゅう」で始まる。まずは畳の歩き方から。右足から立ち左足から座る、1畳は4歩で歩く、畳のへりは右足で越える、以上を守っていればとりあえず良いらしい。

前回やった帛紗の復習。何度か指導を受けながら動作を行い、続いて一人でやってみる。意外とできるものだ。家でハンカチ使って練習した成果かな。

「夏の訪れ」なる黄色と白のきんとんをいただく。直径6cmほどの球体。中にこし餡、求肥。ずっしりとした重みがあり、箸で掴んで懐紙に乗せるまでが大変である。黒文字で1/3ほどに切るよう指示を受ける。これ3口で食うにはでけぇよ。1口100円かよ。

太陽のようにもひまわりのようにも見えるでしょうとおっしゃるが、私にはダリアにしか見えない。ダリアも夏の花だしまぁいっか。

【入門】盆略点前

最も簡略化されており、お点前の基本動作が詰まった「盆略点前」を学ぶ。明治末期から大正時代に考案されたものらしい。

一度お手本を見せてもらい、お茶をいただく。
今日の茶碗は「杜若」。先生がこの茶碗は伊勢物語がモチーフで〜とおっしゃったところで、「かきつばたですか?」と尋ねる。よく分かりましたねと驚かれる。一本取りました。

らころも つつなれにし ましあれば るばるるきぬる びをしぞおもふ

この歌は、在原業平が東下りの際に「かきつばた」の五文字を各句のあたまに詠み込んだもの。高校の古典の授業で習った。伊勢物語は茶碗等でよく使われるモチーフだそう。

それでは実際にやってみましょうということで、言われたとおりに動いてみる。まずは帛紗捌き。棗を清め、茶杓を清め、茶筅通しを行う。ここまでやるとちゃんと茶道をやってる感が出てくる。

準備ができたらあとはお茶を点ててお出しするだけ。いつも家で一人でお茶を点てて飲んでいたが、人さまにお出しするのはこれが初めてである。意外と上手く点てられた気がする。抹茶を茶杓2杯と言われたので山盛り2杯入れたが、絶対量多かったと思う。ごめん。

言われたとおりにしていただけなので詳しい動作は覚え切れていないが、10回ほど繰り返せば何も言われなくてもできるようになるらしい。

本来無一物

1回お点前を行い、本日のお稽古は終了。もう終わりなの?と思ったが、一瞬で時間は過ぎ去っていたらしい。まぁ確かに足は痺れまくってるが。

次回の予定を決めて、しばし歓談。出身地を聞かれ、「滋賀の北の方、長浜というところです」と答えると、長浜城、小谷城、姉川、北国街道、石田町、出てくるわ出てくる。かつての旅行の思い出を嬉しそうに語られる。歴史オタクやんけ。

標題についてだが、「本来無一物」、これはこの日の床の間に掛けてあった掛け軸に書かれていた文字である。大徳寺のお坊さんが書かれたものだそう。

大徳寺は千利休に縁のあるお寺。利休が帰依し、山門には利休の木像が飾られた。寺を訪れる者はみな門をくぐり利休の足の下を通らねばならない。これが原因で秀吉に切腹を命じられたとも伝えられる。

京都の話になったので、今日の茶碗は京焼ですか?と尋ねてみる。正解でした。嬉しい。どうやら金が使われているものは京焼と覚えておけばいいらしい。わかりやすくて助かる。

さて、「本来無一物」とは禅の教え。出典は『六祖壇経』と思われる。「人間は本来何も持ってないんだよ。それなのに物にばかり執着して雁字搦めになってしまう。無一物であることを忘れずにいようね」といったところであろうか。

礼儀作法を学ぶ、知識を身につける、そういったことは確かに素晴らしいことだが、それで自分が偉くなったような気になってはいけない。「本来無一物」、この言葉を忘れず、謙虚に生きたいものである。



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