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犬を飼う(覚書)

 私は犬を飼いたかった。それはもう巨大な欲望であった。私はこの寒空の下、木枯らしが吹きすさび木々の息絶えたさいたま市大宮区にて、激烈に犬と過ごしたかったのである。私は今まで犬というものに縁がなく生きてきた。そしてその孤独な歩みはこれからも続くはずであった。しかしこの不可逆な野望が立脚してしまった以上、私は立ち上がらざるを得なかった。
だいたい猫というのは気まぐれな生き物である。さっきまで北を向いていたと思えば、次の瞬間には南を向いていたりする。大変にあまのじゃくである。彼らは私の欲望を察知し、それと真っ向から対立するのである。その人智を超えた第六感に貢献しているのは、あのひげである。彼らの口元からいじらしく生えるまばらなひげは、人間の欲望を察知し、ある時は従順に、ある時は反骨的に、人間を翻弄するのである。しかしひげくらい私とて生えている。いくら剃ったところで次の朝には生えてくる、無限の生命力に富んだ代物だ。たかだか猫畜生のひげが何だというのだ。私のひげこそが本物、体現さるる生命の神秘である。一度私のひげを引き抜き、水につけておいたことがある。次の日には、二本になっていた。私のひげは独自のバイオリズムに則り、私の肉体の埒外にあってもなお、生き永らえていたのである。私は驚嘆し、生命の神秘に改めて脱帽した。Cheers!私が脱帽すると、寒空の下にますます寒々とした頭が露わになった。ひげに比べて私の髪はやけに不健康で、打たれ弱いようであった。「吹けば飛ぶような」とはよく言ったもので、私の髪は最初こそ今冬の強烈な木枯らしにも泰然と靡いていたが、やがてぱちんと頼りなげな音を立てて千切れ、風のまま彼方上空に巻き上げられていった。私はたどたどしい足取りで彼らの行方を追ったが、別れを告げる間もなく彼らは天上の父の下へと召されたのだった。千鳥足でよたよた駆ける私を傍目で見てにこやかに微笑む人物がいた。イギー・ポップその人である。彼は黄金の長髪をなびかせ、私に語りかけた。「いいひげをしているね」「あなたもいい髪をしています」「ありがとう」彼は大変な偉丈夫であった。それだけ言ってしまうと、彼は大きな肩幅を翻し、大宮駅の西口へと悠々と歩きだした。きっと上野へ行くのだ。彼は芸術の人だ。きっと上野の美術館へ行き、西洋の高尚な絵画を吟味したのち、こう言うのだ。「いい絵だね。」彼の言葉は父なる神の抱擁に他ならなかった。どこまでも純粋で温かく、それ故に力強かった。迎合するなかれ、と彼の目は告げていた。孤独でもいいじゃないか。私は彼とどこまでもつながっていた。犬など飼わなくていいと思った。

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