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チャンドリカ 〜 ラーガの月光化


夜空に星は数あれど 輝く月は君ひとり

(ベンガル語の詩、原典不詳うろ覚え)


月ぬ美しゃ十日三日 女童美しゃ十七ツ
(八重山民謡「月ぬ美しゃ」より)


  ※この記事は2022年10月8日のライブ配信の投げ銭用受け皿として書かれたものですが、単独でインド音楽周辺よもやま話としてもお楽しみいただけます。有料設定になっているのは投げ銭として購入いただけるようにするためで、本文自体は最後のひと文字まですべて無料でお読みいただけます。
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《ライブ情報》

■2022/10/8(土)「インド音楽と秋の空」
会場: 西荻窪 音や金時
16:30開場 17:00開演 2500円(25席限定)
出演: 寺原太郎(バーンスリー)
  ヘマント(タブラ)
    木村恵実香(タンプーラ)
寺原百合子(動画配信)
☆詳細:https://fb.me/e/3x0FeVLkR
☆予約先 srgmpure@gmail.com
 または各出演者まで
☆配信URL https://youtu.be/7vVyBD_UB4k


「Choudhvin Ka Chand(十四夜の月)」
(1960,グル・ダット)



インド亜大陸に暮らす人々にとって、古来より月は特別なものだった。ムスリムが新月や三日月を、ヒンドゥーが満月を好むという違いはあるにせよ、月が特別なものであることには疑問を挟む余地がない。インドの人々にとって月は決して無慈悲な夜の女王ではなく、夜の世界を統べる王だった(インドにおいて無慈悲なのはどちらかと言えば太陽の方だ)。神々と人間に活力を与え、寿命を延ばし、霊感をもたらす不老不死の霊薬ソーマは、月の神チャンドラの別名でもある。

そんな訳で、北インド古典音楽の世界にも数々の月にまつわるラーガがある。代表的なのはRaga Chandrakaunsだろう。タブラソロやカタックダンスの伴奏の旋律としてもよく耳にする、代表的な満月のラーガだ。他にもChandra Prabha、Chandra Madhu、Chandni Kedar、Chandrakaushiki、 Chandranandan等がある。お気づきのように、どれも名前にChandraやChandniが含まれている。Chandraは月、Chandniは月の光だ。これらの月夜のラーガには、実は皆ある特徴がある。今日はそんな月の光を身にまとったラーガのお話。


最も有名な満月のラーガChandrakaunsは、同じく深夜のラーガであるMalkaunsの1音違いだ。ちなみにMalkaunsは月のない真夜中で、ラーガとしてはこちらの方がずっと古い。16世紀のラーガマーラーでも「原初の6人のラーガ」のうちの1人として名前があがっている。
Malkaunsの音階とChandrakaunsの音階は、5音階のうちの1つが半音違うだけ。そのたった半音で月のない深夜が満月の夜に変わる。ということは、その1音が煌々と夜を照らす月の光を暗示する音だと考えて差し支えないだろう。

Malkauns - Chandrakauns 音階比較


ちなみに、解説のために五線譜や鍵盤で書いてはいるけれど、このNiの音は通常のNiよりも少し高い。このNiの薄い半音が、キリキリと容赦なく心の奥底まで差しこむ月光の狂おしさに他ならないのであって、平均律で弾いたのでは今ひとつこの音の美しさは伝わりにくいかもしれない。

Chandrakauns、Chandra Madhuに関しては、実は以前にも記事を書いている。このnoteにインド音楽解説の文章を上げはじめた一番最初の記事だ。Madhukaunsから派生したChandra Madhu、そしてそれを元に作られたオリジナルのラーガ、Chandra Madhu Puriyaへ至る道のりが書かれている。最初っからあまりにもマニアックにすぎる記事だったとさすがにちょっと反省していないでもない。

「2021.2.12(金)音や金時インド音楽配信ライブとラーガの話」https://note.com/srgmtaro/n/n01f3a439779f


ChandrakaunsにしてもChandra Madhuにしても、元のラーガとの違いはたった1音だ。ChandrakaunsではNiの音が、Chandra MadhuはGaの音が、元のラーガより半音高くなっている。その半音が闇を光に変える。しかし月の光を暗示する音は、必ず元ラーガより高くなっているという訳ではなく、低くなる場合もある。Chandni Kedarでは、元々のKedarのNiの音に加えて、半音低いkomal niの音が時々使われる。音が完全に置き替わるのではなく、付け加えられる場合もあるということ。こういう場合は音階の形では表しにくい。エクストラの音の使い方には文脈的な規定があって、その音が効果的に響く流れがあるということだ。単なる音階ではなく、一段上から俯瞰的視野でラーガを捉える必要がある。

Raag - "Chandni Kedar" (Live) - Ustad Amir Khan
https://youtu.be/TpxOvO2aZpg
 

ちなみにこの音源、おそらく1960年にスルバハール奏者イムラット・カーン邸で行われたアミール・カーンのホームコンサートの時のものではないかと思われる。客席から漏れる感嘆の声は、おそらくイムラット本人であろう。



さて、この名演の後に並べて書くのも気がひけるが、10/8のライブで僕が演奏しようと思っているラーガ Chandni Hemantは、実はこのChandni Kedarから着想を得たものだ。Chandni Kedarの場合と同じ音に、同じような月光化が施されている。それにより、Raga Hemantの清冽な澄んだNiの音が、柔らかな月の光をまとうことになる。

あまりにも専門的な話になるので特に興味がある人以外は読み飛ばしてもらっても構わないが、一応そのレシピを書いておくと、HemantのNiの表現から一旦Maまで降りてきたところで、Ga Ma ni〜 とkomal niを使うのだけれど、これはつまり、タンプーラにMaを取るHemantがMaから見ればKalyan thaatであることを利用して、Maru BihagでのShuddha Maの使い方を平行調としてHemantに導入したということだ。Maddyam se Maru Bihagとも言える。だからこの光は刺すような冷たい光でなく、甘い愁いを帯びた月の光となる。これって、今度インド音楽講座でも話そうと思っている「新しいラーガを作るってどういうことか」「何をどういう風に考えて新しいラーガができるのか」の一例にもなっているんじゃないかと思う。新しいラーガは僕の場合、こういう形をとって現れることが多い。


Hemant(D) - Chandni Hemant(D) - Maru Bihag(G)



ラージャスターン出身のサーランギの名手Ud.スルタン・カーンは、サーランギの音とよく似たその渋い歌声でも聴衆を魅了してきた。彼の歌うラジャスタンの歌の中にも、月を歌ったものがある。

CHANDNI SI RAAT(月夜に) -  USTAD SULTAN KHAN,  USTAD ZAKIR HUSSAIN
https://youtu.be/sNDNFNvC2QI


ここで歌われているラーガはTilak Kamodだと思うが、本来Tilak Kamodにはないkomal niの音のしっとりとした使い方は、前述の月光化現象と同じものだ。演奏リズムは14拍子のChacharで、これは古典音楽の世界では一般的にDeepchandiという名前で呼ばれるターラである。Deepchandi、つまり"月の光"だ。何から何まで月光づくしである。


ラーガの月光化現象は概ねこうして引き起こされる。元々の深夜のラーガの持つ深夜性を崩すことなく、その中の1音を僅かに変えたり、僅かに違う臨時音を加えることで、そこに月影を感じさせる、それがラーガの月光化現象だ。これは朝や昼のラーガでは起こらない。Raga AsawariがKomal Rishab Asawariになっても、Shuddha SarangがBrindavani Sarangになっても、それは月光とは関係のない場所で起こる音の遷移にすぎない。けれど深夜のラーガDarbari KanaraがGunj Kanaraになれば、それと明記されていなくても、僕はやはりそこに月の光を感じてしまう。



最初に列挙した月のラーガの中には、実はこの説明に当てはまらないものが2つある。Chandra PrabhaとChandranandanだ。これらの月光ラーガは、深夜ラーガの月光化ではなく、すでに月光化されたラーガから派生したラーガなのだ。

Chandra Prabha(月の輝き)は、代表的な満月のラーガChandrakaunsのさらに半音違いのラーガで(komal ga→shuddha Re)、それによって、Chandrakaunsの狂おしいNiの音が、音程はそのままに、Reの柔らかい光に包まれておだやかに眠れる優しい月の光になった。ほんと音階というのは不思議なものだ。いや音階というかやっぱりラーガか。底が知れない。

Malkauns - Chandrakauns - Chandra Prabha



さて、本稿の最後を飾るのがRaga Chandranandanだ。サロードの帝王Ud.アリアクバル・カーンは、その生涯で幾つもの美しいラーガを作った。Bhairavi Bhatiyar、Gauri Manjari、Hem Hindol等々。その中でも一番の最高傑作Raga Chandranandanは、4つの深夜のラーガから錬成される。Malkauns、Chandrakauns、Kaushiki Kanara、Nandakaunsだ。具体的に言うと、5音階のMalkaunsをKaushiki Kanaraで7音階に展開し、Chandrakaunsでshuddha Niを加え、Nandakaunsで shuddha Gaの音を加える。超絶美しいのはこのGaの音で、この音が深い闇の底に差し込む一条の希望の光になっている。美しい。実は同じ音使いの同じような合成ラーガにJogkaunsというラーガもあって、同じKauns系7音階でNi/niとGa/gaを両方とも使うところまでは一緒だけれど、動きや重心や制約が違うので、また違った印象を受ける。

Chandranandan - Ali Akbar Khan
https://youtu.be/KxbOrbp8mWg
 

このラーガは非常に自由度の高いラーガだ。4つのラーガの間を行き来するというより、この4つのラーガの重ね合わせでできる音響空間をカーンサーブ(カーンの旦那、というアリアクバル・カーンを指す時に僕が使う呼称)が自在に奔放に飛翔しているという感じ。冒頭の「dnSG MPdM PGSR nPnd〜」というフレーズがもうどうにもカーンサーブで、何度聴いてもかっこよくて身震いしてしまう。このフレーズは先に挙げたどの4つのラーガの動きでもないのだ。奔放すぎる。ある意味カーンサーブの人間性に深く関わっているようなラーガなので、彼に直接薫陶を受けた人間以外にはちょっと無理ないんじゃないかと思わなくもない。

実は僕も、Chandranandanと名乗って演奏することが時々ある。でも厳密に言えばそれはChandranandanではない。では何かと言えばそれは、もしRaga Chandranandanがカーンサーブからの問いかけなのだとしたら、僕が答えられる解答は現時点ではこれしかない、というものだ。それは前述のものとはまた異なる、僕にとって馴染みの深い4つの深夜ラーガから成っている。即ちKaushiki、Gunj Kaushiki、Chandrakauns、Chandra Prabhaの4つだ。Kaushiki以外はみな月の光をまとっている。月の見せる様々な様相。月の光は清らかに、時に狂おしく、時に優しく我々を包みこみ、心の傷を癒し、時に深くえぐる。優しいだけではない。闇の底に差した一条の光が、闇をさらに色濃く染めることもある。それもまた月の作用だ。千年前の我々も月を見上げて歌を詠み、千年後の我々もまた月に哭く。それとも、人類が月にコロニーを築いて暮らすようになれば、また違う感傷が我々を捉えることになるのだろうか。叶うならば、その頃の月夜のラーガを聴いてみたいものだ。



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