豊年祭

7月中旬から8月にかけて、八重山は豊年祭シーズン。 集落ごとに別々の日程でそれぞれ行われていたので、今回ツアー中、都合3回豊年祭を見る機会に恵まれた。


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西表島、祖納の豊年祭。
 せまい交差点に藁を敷き詰め、村の人々や子供たちが車座になって座り、歌いながら藁を縒っている。
縒った藁紐は、それぞれ思いのままに、頭や腰に回している。
ちくちくする~、とむずがる子供。
でもこれは共同体の証。一緒に今年の福を授かる認証なのだから、どこかに付けておかなければならない。あやしながら子供の頭に紐を縛る母親。共同体が、共同体であることを確認するための儀式。
明日は大綱引きがおこなわれるらしい。


画像2

石垣島、白保の豊年祭
 うってかわってこちらは外向き、エンターテイメント性をもって観客に見せる祭り。パレードあり、演奏あり、芝居あり、綱引きあり。
集客もすごい。普段の閑散とした白保集落からは想像もできない、押すな押すなの人出。

画像3

カミサマ登場のシーン。
うまいこと光がかぶって、カミサマの姿が写ってない。上出来。


そして写真はないが、3箇所目、それが石垣島宮良の豊年祭。 通称、アカマタ・クロマタ。

なぜ写真がないのかというと、それはこれが徹底した秘祭であって、ビデオ・写真等の記録禁止、録音も禁止、絵もメモも禁止、携帯もダメ、という祭祀だからだ。
その夜は車の通行も停められ、集落内の街灯もすべて消されるという、徹底ぶり。

本当は、そこで何が起こったのか、口外してもいけないのかもしれない。
数年前、こっそりと携帯で撮った観光客がいきりたった村人たちに追いかけ回され殴り殺されてしまった、というまことしやかな話も聞いた。
もちろんぼくは、デジカメを消音して、、、いやいや(笑)、誤解されるのも怖いのでカメラも携帯もすべて家に置いて祭りを見に出かけた。

禁忌は他にもある。
カミサマの前や後ろを通ることはできない。
だから祭りを見に来た人々は、回り道をしてこれからカミサマの訪れるであろう家に先回りし、その庭先や母屋の袖で待機する。
うっかり通り道に入ろうものなら突き飛ばされんばかり。 一度、知らずに道を渡ろうとして青年団に怒号を飛ばされた。もちろん、移動中のカミサマの姿を垣間見ることも許されない。

なるほど、秘祭だ。
カミサマを迎え入れる家では、建具をすべてとりはずして一族全員庭に面して正装し、お供えも用意して準備万端。僕らは庭先にお邪魔して、ドキドキしながらその時を待つ。
役員が現れてふるまいを飲み、当主が挨拶し、先触れが来て、庭先の観客を端に追いやり、次第に緊張が高まり、どこからともなく聞こえてくる唄声と太鼓の音は段々と近づき、遠のき、再び近づき、、そしてついにこの家にやってきた。

太鼓を持った若者たちが庭先になだれ込み、観客を隔てるように大きく円陣を敷く。
聞いたことのない、ゆったりとした歌。それはもちろん、この祭りのために歌われる、この祭りでしか歌ってはいけない歌。
ヤバイ。これはヤバイ。
自分の顔が蒼白になってきているのがわかる。
めっちゃ緊張してきた。
その刹那。
いきなり太鼓のテンポがあがり、歌声が高まり、突如、闇の中から2体のカミサマが躍り出た……!!

アカマタ、クロマタ。
その姿をここで描写することは、控えたいと思う。
山から下りてきた2体のカミサマは、招き入れられるままにその庭でアソビ、舞い、そして出現と同じように突如としてまた暗闇へと消えていった。
次の家へと向かい遠ざかる太鼓の音と大勢の歌声。
ぼくらは放心したまま何かに憑かれたようにフラフラと庭を出て、遠回りの道を選んで次の次の家へと向かう。カミサマに会うために……。


(2005.8.20)

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