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「口」は「さい」と読む

漢字妄想1 「口」

 立命館大学白川静記念東洋文学研究所がやっている、漢字教育士という資格をとった。文字学の権威のお一人、白川静先生は長年にわたり、漢字の成り立ちを研究された。そのほんの入口を学ばせていただいた。

 漢字の成り立ちは……オモロ。俗っぽい私、知識も浅はか、研究なんて……である。高尚な文章を書くだなんて無理無理。でもこのおもしろさ、多くの人に知ってもらいたくもある。
 漢字一つ一つの成り立ちの講義を受けていると、頭の中に古代中国の様相がひろがりワクワクした。それで、知恵も知識もないまま、徒然なるままにひぐらし…なんて、単なる妄想を軽く思いのまま書いてみることにした。

 まずは「口」という漢字。これはかつては「くち」ではなく「さい」と読んだ。意味も今の「口」ではなかった。古代の祭りや祈りの場で、その祈りのことばを入れる器の形からできたものだそうだ。
 へえ、そう、あらま、びっくり…というのが私の感想だ。長らくつきあってきた漢字の「口」の意味が、元々は全然違ったものだったなんて。

甲骨文字「口」=さい   出典   :     立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所

  私の旧姓に使われている「口」、電話などで漢字を説明するとき、「鼻の下のくちです」などと言っていた。それが「さい」だなんて、どうしてくれよう、まあ説明する機会はないけれど。
 確かに甲骨文字の「口」は縦棒が上に長くて、入れ物状をしている。中ほどの横棒は蓋らしい。大切な祈りだからね。

 祈りの言葉……もしかしたら、祈りを捧げる習慣が長い旅をして日本に入り「祝詞」になったのかな…そんな妄想も浮かぶが、なんといっても、その器の色や模様はどうだったのかなと思う。

 「さい」と言う入れ物、形はある程度統一されていたとしても、素材はどうだったのかな、神が見ている祭りの場で使うとしたら、落ち着きのあるシンプルな色合いか…いやいや、神はハデ好きだぞ、ということは、キンキラキンも花柄もあるだろう。ヒトの文明って繰り返す、昔のものは地味という印象、それは古く朽ちて変色しているものが多いから。作られた当時の色合いは、ド派手もありかもしれない、などと思う。彩色技術のことはさておき。

 少なくとも、村によって違うとか、「さい」を扱う巫女? 巫男?  によって好みが分かれる、なんてことはあったんじゃないかな。
 あと大きさはいかに?  持てる大きさの物が多そうではあるけれど、ドデカもあったかも。力自慢が得意げに持ち上げたりしてね。

  踊りや歌もあったろうね。祭りと言ったら歌えや踊れや、お酒も?

 中国ドラマを楽しんでいる。その中には古代の話もあり、木簡に書かれた文字なども出てくる。そこにはどんな文字が?  などと覗いてみたりして…。どんなに首を伸ばしたって、ドラマなんだから見えるはずもなし(笑)

 「口」はさいなり。さいですか~。

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