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35年前の旅②西ドイツで何があったか 

 オランダを出て西ドイツに入る。陸路、ケルンからだ。
ケルンでは、ユーレイルパスの再発行に、駅警察だとか、普通の警察だとか歩いた。友人を振り回してしまい、申し訳なく思った。

 この友人が、実は、思ったよりムズカシイ人だということが、二人旅ではじめてわかり、途中、何度かぶつかったりした。
 まず、タバコの煙を吹きかけられた。我慢。食事の後、満腹でため息をつくと、顔を吹かないでと言われた。ため息は横向きでした。
 また、何かを見たりした後、そのことについて感想や意見を語り、想像をしたり、分析をしたりして楽しみたかったが「いちいち理屈をこねていやだ、きれいだった~でいいじゃない」と言われ、やがて私は黙るようになっていった。その分、旅日記ノートに書いた。
 旅の終わり際に、別の友人と会ったのだが「だんまりの食事が続いたので、ことほかおしゃべりが楽しかった」と綴っている。
 ま、35年も前のこと、いさかいなどはほとんど忘れ、楽しかった旅の思い出として脳裏に焼き付いている。
 ……この友人が、カルトに取られるまでは。(noteでは別に書いた)

 さて西ドイツのこと、オランダから入り、格段に上がったのが、人の親切さだった。デカい荷物を、高い列車のステップに持ち上げようとしたとき、上から手が伸びてきた。
 なんと、おばさんだった。
 にっこり、あたりまえの様子。感心した。ドイツではそういうことは、随所に見られた。ドイツ人は質実剛健と言われているが、経済大国の余裕もあるのだろうか、オランダに比べて、人間力というか民度というか、完勝だと思った。

 ユーレイルパス再発行の手続きの駅警察のおまわりさん、大柄な体で小さな書類を持って、なんだかかわいかった。でもかっこよかった~。

 ユーレイルパスを取り戻し、安心して、この日はとても歩いた。
いちばん行きたかったドイツ、堪能しなきゃ、である。

 ケルンの有名な塔にのぼった。吹きさらしの石段が確か500段超。こわかったけれど、霧のケルンの街が美しかった。

 その後中華料理で生き返り、アメックスで両替、ハガキとケーキとキャスターを買ってホテルへ戻り、西ドイツ国鉄の特急インターシティーで、コブレンツへ50分。

 中華料理は、お茶が飲みたくなると入った。当時日本食はさがすのが大変だったが、中華ならどこでもあった。メニューは漢字とドイツ語が並んでいるとなんとなくわかった。
 私は日本食はそんなに恋しくなかったが、お茶は飲みたかった。持って行ったティーバッグがなくなった後は、中国茶で我慢した。

 旅に出たら、何より街歩きが好き。日本では決してしない食べ歩き、アイスは、シングルだとコーンの底に沈み、コーンから食べることになる。ダブルだとやっとコーンの上に顔を出す。友人はいつもダブル。私はシングルだった。

 翌日は、城塞へ。
バス移動。乗るときに運転手さんに確認したら、アナウンスの後、わざわざ運転台から来てくれて、ここで降りなさいと。そしてリフトを指さしてくれた。まっこと親切。
 リフトはいはゆるスキー場のあれ。おっさん二人が乗り降りを補助してくれた。

モーゼル川(縦)とライン川の合流点

  この後、ドイツ人の観光地トリアーへ。同じ電車からどっと人が降りた。土曜日だったせいもある。
 ホテルをインフォーメーションではなく自分たちでさがそうと思ったのだが、友人が疲れ切り無反応になってしまい、どうしようかしばし考えた。
(このころ、友人はかなりの頻度でだんまりになった)
 リストから次々に公衆電話。断られ断られ、やっとみつかったホテルに直行。つたないドイツ語で電話だなんて、火事場のバカ力みたいだわ。
 ホテルはきれいでオーナーのご婦人は明るくて親切。私のドイツ語をさかんにほめてくれた。でも道路側の部屋で、石畳を走る車の騒音で眠れず、部屋を変えてもらったら、じめじめしていたのが残念。
 夕食はドイツ料理とビール。食べ残してしまったのが悔やまれるが、またまたすごい量なんだよね~これが。

 私は酒に弱いし、ビールもあまり飲まない。乾杯のとき、量を減らせるなら、1/3程度にしてもらいたい。でもドイツでは1リットルを飲み干した。後にも先にもドイツだけだ。
    空気は乾燥している。洗濯物がよく乾く。ジーパンですら洗っていた。

 トリアーから一足伸ばして、ルクセンブルグに行ってみることにした。
ルクセンブルグのことは何一つ知らない。ことばも通貨もなんにも。
電車で山がちの土地を走り、車掌が来て、フランス語圏だとわかった。
 ルクセンブルグはまたまた美しい街。田舎の都市って感じだけど。
ステンドグラスの美しい修道院は、ステンドグラスの人物にラテン語らしい文字でイグナチウス・ロヨラとあったので、どうやらイエズス会のもの。
 暑い日で、屋外カフェに座る。飲み物……そうそう、それまで砂糖の入っていない冷たい飲み物が見つけ出せなくて…。アイスコーヒーとあるのは、だいたい甘いコーヒーにアイスクリームが乗っている。
 みつけた!  さすがフランス語圏。ペリエだ。助かった~。
 貨幣は何だかわからず。ルクセンブルグ・フランとでも言うのかな。
マルクも使えそうだったけど…。
 なぜかギリシャ料理の店を教えてもらい、イカリングの山盛りと数尾の魚とでっかいサラダとカクトウ。イカリングは20個くらい食べたが10個くらい残した。

ルクセンブルグ駅。パンフか地図を持っている。


 トリアーに戻り、ドイツで一番という大聖堂に行った。祭壇の作彫刻が素晴らしかった。大きな祭壇は吹き抜けになっていて、向こう側の部屋の天井から十字架にかかったキリスト像が下がっていて、近くからだと良く見えないが、遠くから見るととても感動的だった。
 隣の聖母教会は、柱に十数枚の絵と簡単な説明がついた額がかけてあり、一枚ずつ見ると、キリストがゴルゴだの丘を十字架を背負ってのぼり、磔にされて死に、棺に横たえられるまで、簡単なドイツ語で書いてあった。
 
 夜、予定していた日程と、トーマスクック時刻表を眺めて、明日はどこに行こうかさんざん悩み、シュツットガルトにした。

 トリアーのホテルのマダムと別れるのが辛かった。また行こうと思っていたが、35年、マダムは健在でいらっしゃるだろうか…。

 シュツットガルトは近代都市。人も車もいっぱい。
駅近くの商店街で、パンとチーズとソーセージとミルクを買い、夕食にした。
 ドイツでは、パンを買い、チーズ屋かハム屋さんに行くと、パンにはさんでくれたので、よく昼食などにした。

 そういえば、代金の支払い方、ドイツでも日本式は全く通用しなかった。
どういうことかというと、たとえば、85円の支払いに105円を渡し、20円のおつりをもらうようなこと。
 ドイツ人なら即座に計算できるだろうと思ったが…ダメだった。
お金を渡したら茫然とした店員さんに、返す金額を何度か言って、納得してもらった。その後はやらないでお釣りをもらうようにした。
 今ならできるかなあ……いや、キャッシュレスだから、できないね。

 翌朝、フュッセンに向かう。
 駅のおじさんに聞いたら、近くにいたお兄さんと言い争いながら教えてくれた。よ~く聞いていると、どうやら、ここのホームの方がいいだの、あちらの方が早いだのと言っているらしかった。そうこうしているうちに一台のUバーン(地下鉄)が来て、離れていたおじさんを振り返ったら、派手なジェスチャーで乗れ~と。ドアの閉まり際に飛び乗ったところ、親指と人差し指で2の形。二つ目の駅だよの意味か…。手を振ってお礼をした。
 中央駅からインターシティ~ディーゼル。10~12歳くらいの三姉妹?が、大きなバッグと食べ物などを持って大騒ぎ。ウルサイというより、かわいらしかった。降りるとき、荷物を見事に持ち去ったのには感心した。駅まで両親らしい男女と犬が迎えに来ていた。
 
 犬はよく出会った。しつけが行き届いていて、邪魔にならない。しずか。
そのころの欧米では、犬はしつけてリードなしだが、幼児はしつけができないので、ハーネスをつけて大切にかばう、という考え方があった。ぺットは事故にあってもまあ仕方がないが、子どもは絶対守れ、という論理でもあった。
 今でこそ日本でも幼児にハーネスの姿が見られるが、それに対して、なんだかんだモンクを言う人も多い。
 そのあたり、35年は意識が遅れているのかな。

 さて、次回はいよいよロマンチック街道の話。

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