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懐かしい、けれど冷め冷め

新人さんは初々しいです

 非常勤で勤務している日本語学校で新しいクラスが始まり一か月がたった。
 そのクラスに数人の新人講師さんが入った。

 日本語教師になって約10年。現勤務校は9年目になる。たいしたキャリアではないと思うが、先輩はとても少なくなってしまった。
 日本語学校はブラ〇ク社会から抜けられずにいる。それをほぼ知らず、日本語教師になる人は多い。かつて私もその一人だった。
 時給1900円。日本語学校の募集要項によく提示されている金額だ。
東京都の最低賃金よりは上だ。でも昭和のときの私の残業代よりずっと下回っている。私の日本語教師としてのスタートはもっと下の金額からだった。

 さらにほとんどの学校が、授業時間のみの支払いだ。授業後に採点をしたり、学生の質問や面談などがあっても、授業の記録や引継ぎがあっても、それは非常勤側のサービスとなる。さらに家で何時間も授業準備が必要だ。
 実質賃金は300円台だ、などという話もあった。

 現職の賃金はこれよりはマシだ。けっこうマシだ。授業外の作業への支払いが低額ではあるが、ついてくるからだ。
 それでも英語教師なら時給4000円とか5000円とか取れるし、フリーダム日本語教師もそうだ。
 だから一定のキャリアを積むと、辞めていく人が多い。その結果、私のように実力不足でぼうっと勤めている人間が残る場合もあるのだ。

 フリーダムになり、ギラギラと情報を集め、ガツガツと儲ける……やってみようと考えたこともあった。セミナーなども受けたし、そんな方々の集まるグループに加わり、私も頑張れば……などと考えてみたこともあった。
 でも、どうしてもできないのだ。なぜか、自己分析をすると、ます性格が合わない。積極性がなく自己顕示が嫌い。営業・宣伝・自己押し出しが強いストレスになる。顔を見せずに参謀・裏方でいることにフィット感を感じる。
 それとバイタリティーが枯渇した。年齢のせいなのかわからないが、以前に比べたら、何分の一も動けない。
 でも、もっともっと根の深い理由が、私の中で持ち上がってきたのだ。

 今の仕事への興味が……。

 良い思い、楽しい思いが現状、ない。淡々と続けている。いや、むしろ、いやいやながら続けている。お金がないから、働かなければならない。高齢だから、今の資格にしがみついた方が合理的だ。先は短いから、成功をめざして進む時間は残されていない。キャリアアップなどより、維持が最大の目標だ。
 また嫌いなディジタルが着実にせめてくる。チャットGPTができない日本語教師は将来仕事がなくなる、などと発言する方もおられる由。そうなのかな、むむむ、やや疑問。
 そんな私にとっては明るくない諸々の事情が、自分の特に精神的な面を蝕み、やる気を削いでいる感じがしている。

 そんな中で始まった新クラス。接する新人講師さんたちが新鮮だ。コロナで新人さんはあまりみかけなかったので、久々の新人さんの山盛りである。新人さんと言っても若くはない。私よりはずっと年下だとしても、立派なおばさんである。その方々が必死に汗をかいて精一杯仕事をこなしているのが伝わってくる。

 みなさん、今の仕事が楽しくて楽しくてなのだ。ああ、なんて初々しい。
そんな新人さんの横で、ひんやりした気分の自分がいる。
 いつからこうなったのだろうか…。いつから冷めたのか…。
 振り返れば、きっかけは二つかなと思う。
 一つは勤務校にイジワルをされたこと。(このことは別に書いた)
かなり傷ついてモチベーションを保つのが大変だった。そして勤務校を辞めようと決めたが、その直後のコロナ蔓延で世の中の事情が一変、私も諸々の事情でそうもいかなくなった。
 もう一つはフリーダムの世界に接して、ついていけないと感じたこと。自信満々でバリバリ進む人たちを見て、そんなんでいいのかと疑問ばかりが浮上する。
 私よりキャリアが下なのに、私の同程度の能力に見えるのに、堂々と売り込むことへの嫌悪感もある。
「学生はキャリアで選ぶわけではない」と言われたことがあるが、にわかに賛成は無理だった。私ならばキャリアで選ぶだろうから。
 日本語学校がダメでフリーダムがダメ……住む世界が見当たらず、夢破れた気分だということだ。

 今後の身の置き所に悩みながら現実を過ごしていくしかないか。
せめて「書こう」と思ってのnote、授業準備に時間をとられ、やっぱり手がつかなくなっているのがかなしいのである。

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