ここは、そういう所ですよ
勤務している日本語学校からある場所に派遣になった。
先輩が退職するということで、その仕事を引き継いだ。学生は二人、一人ずつプライベートレッスンをする。
先輩によれば、Aさんは熱心で優秀で、宿題などもいつもきちんとやってきて、とても良い学生で、Bさんは宿題はやってこないし、覚えも悪いと。
イメージはまるで明と暗。
はたしてフタを開けてみると、イメージとは違った。
先輩は最初の2～3回のレッスンには同行してくれて、丁寧に引き継いでくれた。その後、同行しなくなった直後から、Aさんは態度が変化したように見えた。Bさんは、確かに勉強はしてこないし、覚えも悪いが、派遣先の仕事に向いているように思えた。
Aさんが宿題もやってこなくなり、あくびをしたり、やる気がないので、
何度かどうしたのか尋ねると、いつも「日本の夏は暑くて…」と答えた。熱帯からやってきた人なのに。Aさんにとっては、学んでいる内容は難しそうではなかったし、授業は、先輩のやり方をそのまま引き継いだが、改善の余地があると感じていた。でも猛暑で辛いなら、猛暑が去るのを待って、難易度を上げようと思った。
9月初旬、さあ、今からだと思った矢先、突然、その仕事からはずされた!
まだ数回の授業、問題があるとは思っていなかったが、なぜ?
理由は、Aさんのクレーム。授業がおもしろくないし、質問にも答えてくれないとか。
授業は前任者の後を継ぐやり方、質問には「やさしい日本語」レベルで答えていた。それは小学生中学年くらい。大人の日本人のレベルで説明して欲しかったらしいが、まだ無理な日本語力だ。それにしても、直接、相談してほしかった。考えたのに。
教務は、私が「学生の意向についていけないことを重く見て、はずすことにした、当面はこの類の仕事には戻せない」と言った。
しかも電話一本で。
これって何? 私にしてみると、ちょっと待っての異常事態。
私の言い分も聞かず、Aさんの言い分に100%従ったわけで、全く解せない。Aさんの言い分の中身を吟味すらせず、講師を交替させると提案したのは学校側だそうだ。クライアントを失うことを恐れて。
救急車の乗務員がうどんを食べている、というクレームに対して、乗務員を交替させたのと同様だ。納得できる方がおかしい。
学校全体が「現場に責任をおしつける」ことを正しいとしている。真向反対だ。しかもBさんの意向はどこにも見当たらない。聞いてもいないのだろう。
私はとてつもないミスをしたのか? 控えめに見ても、そうは思えない。
譲って50%ミスをしたとしても、教務は中間管理職と同じ、双方の言い分や状況などを考慮して、落としどころをさぐらなければいけない立場だと思う。
それを仕事を取り上げる、という行為で私を貶めた。
そのとき言われたことば、
シビアですから。
そのまんま、教務にお返ししておく。心の中だけで。
(前のエッセイにも書いたが、最近は、言っても無駄だとわかると、私は貝になる)
この話を、仲間の一人に愚痴まがいにこそっと話した。年配の男性である。日本語教師には、国内で名だたる企業を定年退職したり、そうそうたるキャリアの男性が少なからずいる。その一人だ。その人は、今まで見たことのない厳しい表情で、こう言った。
ここは、そういう所ですよ。
さすが、見抜いていた!
この話には後日譚がある。
実はAさん、私と交替した先生にさぞ満足したのか、あと1年残った学習を切り上げて、さっさと帰国してしまった。
日本で資格を取って仕事に就きたかったはずが、親の決めた相手と結婚をすることにしたのだと聞いた。
私がひそかに感じていたこと、誤解かもしれないが…。
実はAさんは、若い女性である。そして、私に引き継いで退職した講師は、若い男性で、とてもやさしい人だ。先輩がいなくなった途端の、授業態度の変化、数か月もたたないうちに決めた結婚……もしかして、先輩に対する片想いが実らなかったか…。その後のやる気のない態度をごまかすために、私のせいにしたのか…ほんとうは仕事も学校も日本の生活もいやだったが、彼がいたから、我慢していたのかも…もしそうであるなら、なんだか納得の構図である。
ここに書いたのは、もたらされた少ない情報と、自分の感覚からの話だ。もしかしたら、もっと私に厳しい事実があったのかもしれないが、少なくとも、もし教務が、私に様子を聞いてくれたら、意見を求めてくれたら、いろいろ検討できたかもしれないが、後の祭りである。
この事件で私はひどく傷ついた。仕事がとても怖くなった。いろいろな人に話を聞いてもらい、なぐさめてもらい、自責の思いを振り捨て、怒りを心に秘めることにより、立ち直った。
この話を聞いてくれた方のほとんどが、そこは辞めなさいと言った。
その悪質は変わることはないと。
その通り!
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