布施琳太郎「絶縁のステートメント」 at SNOW Contemporary(六本木)
上記のようなコンセプトで企画されたこの展覧会は、入場してすぐの部屋中央に配置された「立体折り紙」のような作品の制作プロセスを、別の形式で展開したらどうなるか? という思考過程を経ることで、他の映像作品や詩+生成AIを用いたコンピュータグラフィックスの作品といった多彩なバリエーションの作品群が生まれた、というプロセスを経ているという。
作家には展覧会というものに対して「すべてが現在のなかで操作可能な変数になってしまった時代において、異なる時間感覚を再起動する装置であってほしい」という考えがあるとのことだが、「絵画」や「映像」といった形式だけでなく、「紙」や「デジタルディスプレイ」、あるいは「音」や「文字」といったメディウム/マテリアル自体にも、それぞれに固有の時間感覚が備わっている。
展覧会を単に日常生活から切り離された「気晴らし」のための、俗世から離れて思索の機会を得るための空間として捉えている人も多いだろうが、「異なる時間感覚を宿したメディウム/マテリアルからなるオブジェクトを、ひとつの空間に包含できる形式だからこそ(展覧会は)面白い」という提案を、非常にコンパクトな形で行っているのが本展である。
だから本展は単なる「気鋭作家のショーケース」などといった枠組みに収まるものではなく、文化における時間や空間という単位に対する批評=問い直しであると思った。最近作家がウェブメディアに国立西洋美術館(の記録映画)についてのテキストを寄稿していたのも、この意味で地続きなのだろう。
ありえる未来を構想し具体的なモノ(プロトタイプ、模型)に落とし込むことで対話をうながす、というのは、昨今ビジネス領域でも注目される「SFプロトタイピング」や、デザインファームIDEOが定式化した「デザイン思考」の手法なども想起させる。
美術領域では、ベルクソンやアイシュタインの時間論の研究をバックボーンとする哲学者、エリー・デューリングが提唱する「プロトタイプ」概念も想起させられる。これは美術作品を評価する際に、作家による「崇高なもの」への挑戦を評価するのでも(ロマン主義)、社会協働型の「プロジェクト」としての成否を評価するのでも(関係性の美学)なく、抽象的な問題について様々なメディウム/マテリアルを駆使しながら思考する不断のプロセス――つまり「制作」という美術領域おける独特の行為――の中継地点に表れる、〈モノ〉としての側面を評価するという態度のことだ。
展示タイトルにも掲げられた「絶縁(とその対立概念としての親密さ)」という主題以上に、そうした思考/制作の過程が詳細に記述された「作品解説」が一番面白く感じられた……という感想は、ともすると「個展」としての本展に対する批判になるのかもしれないが、しかし先述したように作家自身が展覧会というメディウム自体への批評的な視線を持っている以上、ある程度は避けられないことのようにも思える。ともかくも筆者自身も文章という〈モノ〉を作る者として、非常に鼓舞される展示だった。
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