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しごとをやめて

正直、もっとあせると思った。


自分に収入がない。
これからは旦那の給料に頼らないと生きていけない。

大学の講義で、仕事というものは金稼ぎだけでなく、自分のコミュニティ、居場所になるのだと学んだ。
そんな社会的役割、社会的責任から解き放されてしまって、私はやっていけるのだろうか。自己肯定感を保てるのだろうか。


ましてや、管理職の打診までされていた。
友人に相談した時には「管理職なんて責任が増えるだけで給料に見合わない」と一丁前に分かったような口を聞いてみながらも、上司に認めてもらえるのは嬉しくて、挑戦してみよう、と近い将来を夢見ていた。


そんな私が退職した。


本当は休職が良かった。そのつもりで課長に打診した。
職場の福利厚生ハンドブックを入念に調べ、「海外異動帯同制度」というものを見つけた時には心が躍った。

課長は前例がないからなぁと少し困った顔をしながらも、もっと上の人と話をしてくれて、最終的にはあなたの選択に任せるよと言ってくれた。


でも、私は退職することにした。


理由は、赴任期間が不透明だから。
辞令では2年と言われたが、本当に2年で終わる保証はない。駐在経験者の噂に聞くところには5年は覚悟しておいた方がいいらしい。
そして、その次の赴任地も不明。今の勤務地に戻って来れる保証はない。
どうやら、海外赴任中にそのまま他国へ異動なんていう事例もあったよう。


そうなると、籍を置いていても迷惑をかけるだけだ。
退職を決意した。

これで完全に、私の未来は旦那に委ねるしかなくなった…
いや、正しくは旦那の会社、か。


職場の人は本当に優しかった。
私の存在を惜しんでくれて、海外赴任が終わったらまた戻ってきてね、とか。課長の顔パスで採用試験はなしにしてもらおうねとか、そういうことを言ってくれた。こんな縁起の悪いこと言っちゃダメだけど、と一応前置きしつつ、アメリカ生活に疲れたら一人で戻ってきてくれてもいいんだよ、と悪い顔して言う人もいた。

前述の不安のピークは、退職を決めた時だった。
自分の居場所がなくなること、収入源がなくなること、旦那に頼って生きていかないといけないこと。
私たちが小さいときには専業主婦だった母親も、今は手に職をつけて働いている。この時代、専業主婦なんてもうないよねって思っていたしまさか自分がそうなるなんて、想像もしていなかった。

毎日、何をして過ごせばいいのか分からなかった。
旦那は働くのに、自分は家にいる。これといって何もしない生活。
そんなことが許されていいのか、と思った。
旦那から何を言われたわけでもない。むしろ旦那は自分のためにごめんね、と申し訳なさそうにしていた。

マリッジブルーと重なって、ちょっと情緒不安定になった。
アメリカでも絶対働く!!スタバで働きたい!!日本人スーパーで雇ってもらえないかな!と仕事の話ばかりして、旦那を困らせた。

もういっそ、アメリカについてからすぐに妊活を始めてしまえば、仕事のない期間に育児ができて、日本に戻ってからすぐに働けて、すべてがちょうどいいのではないか、なんてことを考えていた時期もあった。


結婚、渡米、退職を報告した時に友人から「日中なにするの?」と聞かれたとき、専業主婦と言うのがどうしても躊躇われて、「うーん、まずは慣れることからかな」と言葉を濁したりもした。
「え、いいなぁ!仕事ないし、思いっきり遊んで暮らせるじゃん」と言う何気ないひとことに、必要以上に傷ついた。


専業主婦を馬鹿にしているわけではない。一切ない。
でも、仕事をしながら子育ても家事も、趣味も両立している人たちをたくさん見てきてしまっていたから、なんとなく自分がそれをするのは甘えなのではないかと思っていた。


そんな気持ちが徐々に薄れ、割り切れるようになったのは、いつからだろう。

退職することを職場の人にも公表し始めた頃だろうか。
退職が決まって、なんとなく、惰性で働いてしまっていた頃だろうか。



少しずつ、やっぱり自分の決断は間違ってないなと思えるようになった。


退職したとしても、私ならアメリカで楽しいこと探して暮らせるぞって。
旦那についてアメリカに行くなんて、なかなかできることじゃないぞ、それを決断しただけでも旦那よ、感謝しろ!って。

もしかしたら、アメリカでも何かしら仕事をするかもしれないし。もちろん、しないかもしれないし。

ボランティアなんてやってみちゃう?ジム通いで美ボディ目指しちゃう?

今や人生100年時代だよ、ほんの5年くらい、こういう生き方もありなんじゃない?
自分と向き合ういい機会じゃん。せっかく時間がたっぷりあるうちに、いろんな知識や効率を身につけて、しっかり充電して、レベルアップして、帰国後にもっと羽ばたくぞって。


そして、ついに迎えた退職の日。
驚くほど現実感がなく、明日もここに来そうな気分だった。
みんなからはなむけの言葉をもらいながらも、あぁ私は退職するのか、どこか他人事のようだった。


退職してしまえば、もう一人暮らしをする必要はなかったから、土日で一気に荷物をまとめて月曜日には実家に帰った。
実家に帰ってからはミーハーな母に連れまわされる日々。
おかげで退職の実感もあまりないまま、寂しさややるせなさを感じることもなく、長い長い年末年始の休暇での帰省が終わった後のような、そんな気持ちで渡米の日を迎えることができた。


これから先も、もしかしたら専業主婦という自分に葛藤を感じることがあるかもしれない。そういう時にはこの記事を読み返して、自分を鼓舞していきたいと思います。


実家での日々は本当に最高だったので、また別の記事に書きたいな。

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