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模倣するもの、模倣されるもの

こんにちは、ゆってぃです。

今日も本noteを訪れていただき、感謝いたします。さっぱり読み進まない模倣の罠から、模倣するもの、模倣されるものについて語っていきたいと思います。お付き合いくださいませ。

模倣するもの、模倣されるものの「もの」は「人」で考えてほしいです。この「模倣」する人、される人って、上下関係が生じやすくて、模倣される人は上から目線、模倣する人は何となく圧を食らうって気がしています。小さいこと、期間が短いこと、理由があること、等であれば模倣されるものは尊大になることもなく、模倣するものも卑屈になることもなく、お互いに対等な感じで進めたりするのかもしれません。

あとはお金を間に挟んだ利害関係のほうが、逆に気持ち的に割り切れる場合もあるのかもしれません。ケースバイケースかな。

「模倣の罠」は共産圏にあった、中欧や東欧がEUに入るようになって、急激に西欧化していったけれども、西欧化していったことは果たして正しかったのか、正しくなかったことなのか、良かったのか、悪かったのか、幸福なことだったのか、不幸だったことなのか?そういった面で考えることすらも良い事なのか、悪い事なのか、まるでラビリンスに入り込むような感じの本の内容になっています。

私個人的には物事は、「諸行無常」であり、「盛者必衰」の理であり、アイデンティティというものは、時代に即して変わっていくもの、変わらざるを得ないものって思っていて、永遠もないし、永久もないし、その辺はドライに考えていて、状況に応じて、臨機応変に変わっていかざるを得ないなと思っていたりもします。

私は「日本」が好きですし、「日本語」も好きですから、是非、残っていってほしいと思いますし、次も生まれ変われるのなら、日本人がいいなって思うくらいなので、日本大好きなのでしょう。それでも、1000年後に日本があるのかって言ったら、世界中の誰もがわからないことですし、1万年後に人類が生き残っているのか?っていったら誰もわからない。誰しも、「はい、生き残っていますよ」なんて断言はできない。

だから、変わっていく文化、消えていく宗教なんかはいくつもあるし、新しい文化もうまれてくるし、新しく生まれてくる宗教なんかもあったりするんだろうって想像しています。これが絶対、これじゃないとダメっていうのは、相当覚悟も必要だし、殺されるくらいの気概ないと、実は文化や習慣は残せないのかなって極端に考えたりもしています。

それでもね、一生懸命生きている人、利他に生きている人の社会が私にとっては一番大事な気もしますが、今は利他に生きている人には非常に生きにくい世の中に変わっているような気がして、やっぱり、最後は血を見て滅ぶしかないのかともの悲しい気持ちもあったりもします。

もうちょっとゆるーくできればよいのですが、緩さが消えて行っていてうーん、生きづらい世の中かもって思ったりもしています。

まとまらなくなりました。もうちょっと模倣の罠、思考を進めます。

最後まで読んで頂き、感謝します。

それでは、また。


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