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vol.1 青く生きるひと

泡盛やガジュマルの灰と共に発酵した「琉球藍」の液中へ、インドの手紡ぎ布「カディ」が沈められた。

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何かを確かめるよう、布を静かに泳がせる横顔は子を沐浴する母を想わせる。

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立ち込める藍の香りと、柔らかな陽に包まれたその窓辺は美しく、眺めるともなくみていると、じっとり湧く汗も、耳をつくセミの声も意識から消えてしまう。

ここは沖縄本島北部、今帰仁村の山あいにある「Ajin」。藍染の泉さんと、青写真の道生さん夫婦が暮らす、自宅兼工房だ。

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藍汁したたるカディは固く絞られた後、庭の竿に広げられた。するとどうだろう、淡く染みていた黄緑は、みるみる力強い藍色に変わってゆく。

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初めて見る光景に目を奪われていると、泉さんが「魔法みたい」と呟いた。つい先ほどまでの母の表情とは打って変わり、少女の様な横顔だ。

色の変化にも驚いたが、毎日見ているであろう現象で、こんなに表情を輝かせる泉さんには、もっと驚かされた。

人里離れた山奥で、幼子2人を育てる夫婦は平成生まれ。年上のようにさえ感じるたくましさと、ずっと年下に感じさせるような瑞々しさ。ふたりのそんな相反する魅力に、強く惹かれる。

酸素に反応する事で藍色に変化するという事は、その後教わった。琉球藍にまつわる歴史や雑学、収穫から精製までのノウハウなど、泉さんはとても嬉しそうに話してくれる。

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静かに耳を傾けていた道生さんがキッチンから現れ、今帰仁スイカを差し入れてくれた。ほどよい大きさに切り分けられたスイカが並ぶ皿を「美味しいですよ」とか「どうぞ」など添えずにテーブルに置いていく様子が、なんとも彼らしくて心地良い。

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いつも少し離れたところに立ち、多くを語らない道生さん。時折ボソリと口にする言葉は、濃度が高く、切り口が鋭い。京都出身で、学生時代に辺野古へ取材に訪れて泉さんと出会い、今に至る。

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2人と出会ったのは昨年のこと。僕が営む「Proots」で展示会をしたいと持ち掛けてくれたのだ。道生さんは、日光で像を映す古典的な写真技法「青写真」の作品を。泉さんは、麻や芭蕉紙、ドライフラワーなどを藍で染めた装飾品を、主に展示した。

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Ajinの作品は、いずれも素朴で生命力に満ちているが、憂いもあり、すぐファンになった。あの作風は、どんな暮らしや想いに裏打ちされたものなのか。

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「私はハルサーなんです。ただ土にコミットした暮らしをしていたい。藍染家とか、アーティストとか呼ばれるのは、なんかしっくりこなくて」と笑った。

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「私が藍染に向かう気持ちは、料理や食事に近いです」。彼らはモノづくりを「仕事」でも「自己表現」でもないところに位置付けている。藍染や青写真が「収入を得る」「才能を周知させる」手段になっている事に違いないが、それを目的としてはいないのだ。それは彼らの暮らしにさりげなくある行為であって、「生きる」上でなくてはならないもの。

作品のクオリティはもちろん、そんな彼らのスタンスにこそ、僕は惹かれたのだ。

きっと、 「藍の抗菌作用」や「サスティナブル」など、「売り」になるコピーを前面に出し、コンスタントに生産できるものを考えた方が、安定した収入を見込めるだろう。でも、彼らはそうしない。「自分たちがインドアだからこそ、家の中でふと目をやった時、“あぁ”と心がほどける何かをつくれたら」と。

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Ajinがつくる青の世界は、見つめるべきが自身の内側だと教えてくれる。

「私たちの作品を迎えた家庭にお子様がいたとして、毎日目にする自然の青が、その小さな心に、何か1つでも残してくれたら」と祈りを添えた。

工房の壁にふと目をやると、愛娘・森(もり)ちゃんの描く「藍染をするお母さん」がにっこり笑っていた。

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【萩原 悠】
1984年生まれ、兵庫出身。京都で暮らした学生時代、バックパッカーとしてインドやネパール・東南アジアを巡る中、訪れた宮古島でその魅力に奪われ、沖縄文化にまつわる卒業論文を制作。一度は企業に就職するも、沖縄へのおもいを断ち切れず、2015年に本島浦添市に「Proots」を開業。県内つくり手によるモノを通して、この島の魅力を発信している。



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