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vol.006 プレートの中のゆいまーる

那覇の街を太陽が照らし始めて間もなく、シンと澄んだ与儀公園の空気を心地よく揺らし始めたのは、見慣れない弦楽器やパーカッション。そして、そのリズムに乗せて呼応する唄。

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これは「カポエイラ」という武術だ。

演奏隊に囲まれ対峙する者同士が、楽器のリズムに乗りながら踊る様に、駆け引きの攻防を型で繰り広げる。

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その演舞中に唄われるのはポルトガル語で、意味などは分からないのだが、遠い昔から知っていたかの様な原始的な音の響きに、自然と身体が動いた。

武術とは言え、年齢も性別も多様な参加者達がみな等しく唄い、踊り、鳴らすその光景は、とても調和が保たれていて平和だった。

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「そもそもカポエイラは、アフリカからブラジルへ連行された黒人奴隷たちが、支配層の様々な弾圧をかいくぐる過程で発展させた護身のすべであり、コミュニケーションの手段なんです」と教えてくれたのは、この場を指導する奥薗良輔さん(おっくん)とさよ子さんご夫妻。「アイタル食堂」というカレー屋を営む傍ら、20年近くカポエイラをライフワークにされている。

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5年前、関西出身のお2人はカポエイラ修行でブラジルにいたのだが、半年ほど滞在して沖縄へ移住した。カポエイラ仲間が園長を務める、糸満市の農園で働く事になったのだ。沖縄にはどこかブラジルに似た風土や価値観があって、以前から惹かれていたという。ところが急きょ農園の規模縮小が決まり、なんと移住3ヶ月後には無職になってしまった。

前途多難な沖縄生活の幕開けに思えたが、すぐに「店をやりたい」という考えに切り替わったそうだ。もともとお2人はカレーが大好きで、南インドに伝わるカレーの基本を学び、身に付けていた。そして島野菜の美味しさに、大きな可能性を感じていたのだ。

「沖縄でなら最高のカレーがつくれる」

その瞬発力はすさまじく、無職になった翌月には「ちむちむ市場」という糸満市のイベントにカレー屋として出店。それから、古びた糸満市場の片隅にある店舗を曜日限定で間借りし、アイタル食堂をオープンさせた。

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3年前に僕はここで初めてふたりに出会い、カレーを食べた。学生時代にインドで口にしたカレーを思い起こさせる美味しさに加え、ふたりの内側から滲み出ている自然な笑みと活気のファンになった。

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間借り営業をしながらも、県内各地で開催される祭りやフードフェスへ次々と出店し、場数を踏みながら繋がりを広げて行く。アイタル食堂のカレーに入る野菜は、こうしたイベントで出会い、繋がり、選ばれる事が多いのだ。「並んでいる状態を見たり、生産者と言葉を交わせば、その野菜たちがどんな想いでつくられているのかが分かる」と。

そんな繋がりを持つ生産者の事も気になり、レモンを仕入れている糸満市の「座安樹苗園」さんを訪ねた。

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広大な敷地内には多様な植物や果物が活き活きと茂る。「できるだけ自然に近い環境で見守り『大自然から頂く』という気持ちで向き合っています」と生産者の座安岬さんは言う。そして「レモンを始めエディブルフラワーなど口に入るものは特に、うちから旅立ったあと誰がどんな風に使い、どの様に食べられているのかまで気になってしまう。なので顔が見えない距離でのお取引はしていません」。

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樹苗園を後にして、そのまま向かったアイタル食堂。座安さんのレモンはアチャールという漬物になって添えられていた。配膳する際はいつも、1つ1つの食材と料理名を丁寧に説明してくれるのも嬉しい。

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「カレーを食べてもらって、『美味しい』って感じてもらえて、その裏側にある生産者の想いや、この島の野菜の素晴らしさを知って頂けたら、もうそれだけでいい」。そう話すつくり手の言葉と、野菜生産者の言葉が、プレートの中でまあるく繋がった。

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手と手、目と目が届く範囲の「縁」と「円」を大切にするということ。

SNSなどのオンライン主導で、あらゆる物事が進む風潮に翻弄される毎日。そんな僕の内側の空虚を、このカレーはゆっくりと満たしてくれた。

先日見学させて頂いたカポエイラの練習の終わりに、参加者全員が手を取って円をつくり、目を閉じて詠んでいたポルトガル語の意味がふと気になって尋ねると、それは、ふたりの中に脈々と流れるソウルを言語化したかのようだった。「ゆいまーる」ってこう言う事なのかもしれない。

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- 私はあなたの手を取ります

1人ずつでは出来ない事を成しえる為に

私は全てのものと調和します

大切なのは個人の願望より習慣なのです -


※アイタル食堂さんは2020/12/23を最後に、「自然食とおやつmana」さんでの間借り営業は終了し、「カポエイラ道場とカフェを併設した店をつくりたい」という創業当初からの夢へ向かって新たなステップを踏まれます。


【萩原 悠 プロフィール】
1984年生まれ、兵庫出身。京都で暮らした学生時代、バックパッカーとしてインドやネパール・東南アジアを巡る中、訪れた宮古島でその魅力に奪われ、沖縄文化にまつわる卒業論文を制作。一度は企業に就職するも、沖縄へのおもいを断ち切れず、2015年に本島浦添市に「Proots」を開業。県内つくり手によるよるモノを通して、この島の魅力を発信している。


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