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この気持ちに名前はない

私の居場所はどこにもなかった。
学校に行けばいじめられ、家に帰れば学校から電話が来たと親に怒られて。死にたくて死にたくて仕方がなかった。

居場所がないなら、学校にも家にもいなきゃいいと自分で電話して学校を休むこともあった。

でもそのうち担任の先生から「風邪で数日お休みしてますが、大丈夫ですか?」と電話がきてしまい、休んでいることがバレて更に怒られるという、なんとも救われない結果になってしまった。


友達の牛乳を盗んだと濡れ衣を着せられたり、友達の鉛筆がなくなったと騒ぎになった時なぜかその鉛筆が私の筆箱から出てきたり、いじめっ子から逃げる為に家の近くの中学に入学したらクラスの人から「お受験失敗」と言われたり。

部活で使う自前の物を摘みあげられ「汚い」と投げつけられたり、クラスの人に殴られ蹴られ、下校中に石を投げつけられたり、上靴を隠されたり、SNSで名指しで悪口を書かれたり、急に腕を掴まれて目の前で悪口を言われたり、準備室に5時間閉じ込められたり。

散々だと思った。

学校から親に電話がきて怒られ、本当のことを話せと言われたから本当のことを話したのにも関わらず「自分の都合いいことしか話してないだろ、それは言い訳なんだよ」とまた怒られたり。

今思ったらそれはもう仕方ない。私は悪いことをしてないからいくら本当のことを話しても私に非は一切なく、「娘さんがお友達にこんなことをしてー」と電話を受けた親からするとそれは言い訳にしか感じないから。

ただ、私はそれがショックだった。
幼少期の私は息をするかのように嘘を吐いてたから信じてもらえないのも仕方ないが、他人の物を盗むような人だと思われていることがショックだったのだ。
信じてもらえないことで盗みも平気でやる人だと思われていることが、何より悲しかった。


年は進み中学3年生頃、いじめを受け続けて9年目に差し掛かった頃。

精神的にも限界がきて親にいじめられてて学校に行きたくないと話した時の顔を、私はきっと死ぬまで忘れられない。

今までで1番怖い顔をした母が「明日休んだら明後日からちゃんと行けるんだべね」と言った。
なにも、勉強がだるいとか嫌いな科目の授業があるとかそういう話ではなく、いじめられてるからという正当な理由があっての訴えだった。

それでも母は、私の心よりも体裁をとったのだ。

その事実が私には酷く辛くて、その数日後に持病の薬を大量に飲んで自殺しようとした。

だが帰宅途中に吐いてしまい、家に帰ってから頭痛に耐えることで精一杯になりまともに話せなくなった時、祖母に救急車を呼ばれ、助かって今でも生きている。助かってしまい生きてしまっている。


ここまで来たら高校でもいじめられることはわかっていたので行きたくなんてなかった。でも行かない選択をさせてくれる親ではないのはわかっているしその頃の世の中でさえも中卒は許されない風潮だった。

友達がいればもしかしたら行けるかもしれない、と定時に進学したいと言えばそれも許されなかった。

私の意見は全く受け入れられず、親の意見で私の通う高校は決められた。


適当に家庭教師との勉強をして自習なんてひとつもせず、滑り止めも受けなかったので、ここで落ちれば正当に行かなくていい理由ができると思っていたが受かってしまい、通うしか選択肢がなくなってしまった。


ただ、高校のいいところは担任の先生とLINEを交換してお休みや遅刻の連絡は自分でしなければいけないところだった。

中学から、この子はこういう子でしたと内申書に記載があったのか担任の先生の勘が鋭かったのか、1年生から3年生まで単位を落とさないギリギリのラインまで休んでいたが、それでも1回も親に連絡がいったことはなかったし、先生に休みすぎだと怒られることもなかった。


嫌われている先生だったが、私は今までのどの先生よりも私のことを尊重してくれて、1番好きな先生だった。


でも、いじめのフルコースを受けた傷は思ってたよりもかなり深かったみたいで、社会人になった今、鬱病を発症してしまった。

鬱病だと診断をくだされた時、やっと私のこの気持ちに病名がついた、という気持ちと、こうなるならあの時死んでたらよかったな、というふたつの気持ちが入り交じっていた。


今でもあの時吐かなければ、救急車呼ばれなければ、死んでいれば。そう思うことも決して少なくない。

鬱病になって更に加速したのもあるが、死にたいと思ったことは他の人より多いと思う。死のう。そう思うことも行動に移した回数も、そこら辺の人より多い。間違いなく。

毎日毎日生きることで精一杯で、気を抜けば本当に死ぬんじゃないかとさえ思う。
明日生きて終えられる確証もない。でもそれでいい。

死にたくなればいつでも私は死ねる。
その事実だけで、惰性ではあるが生きられる。


家の近くに進学することになった時、小学校の担任の先生が親に「力不足ですみません」と謝りに来たことを知っても、中学の時に親が担任の先生に「もう娘は限界です」と直談判しに行ってくれたことを知っても、学生時代のことは許せない。許そうとも思わない。

先生だけじゃなく親もクラスの人達も。私は許さない。

今でも夢に出てきて過呼吸を起こして目が覚めたり、同じ学校だった人間を見ると発作が出てしまうくらい私の心には深い傷がついている。

そのことについて文句を言われる筋合いはない。私が言う権利はあっても、周りの人間に言う権利はこれっぽっちもない。

私を助けようとしてくれた人なんていないんだから。


この怒り憎しみ悲しみを本当の意味で理解してくれる人はいないのもわかってるけど、私はそれでもいじめられてよかったと思ってる。

私が思ってるように、このつらさをわかってくれる人なんていないと思っている人がたくさんいると思う。そんな人を寄り添える心をくれたと思えば、少しは報われた気持ちになれる。

そしてそう思っているきみ、1人じゃないよ。
そばで慰めてあげたり話を聞いてあげることはできないけど、同じような境遇の人がここにはいるよ。
でも私みたいにはならないで。
きみが理不尽ないじめで死にたくなんてならないように、祈ってます。

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