見出し画像

両親への感謝と両親の呪い

こんばんは。夜分だったけど、書きたかったので書きます。
今回は私の両親の話。
パーパスに繋がる話だけど、一気には書けないので順を追って。

私が参加していたMINTでは3週間のMind Hackの時間があり徹底的に自分と向き合う時間がありました。

今の私があるのは両親のおかげ。ここまで育ててくれたことには本当に感謝しているし、両親は尊敬しています。それは事実。
でも一方で、ある種の「呪い」が私にはかかっているのかも?と今でも思う時があります。これも事実。

私が物心ついた時から、両親の口癖だったのは
「ちゃんと勉強していい大学に入りなさい、大学で人生は決まるんだから」

中学受験をする友達が小学校には少なくて、放課後なんの制限もなく遊べる子たちが羨ましかった当時。
(こっそり遊んだりしていたら母が玄関の前で鬼の形相で立っていた)
そんな感じで小学校に私の居場所はなくて、仲の良い友達もできなかった。

でも塾にはたくさん友達がいました。
みんな同じ目標を持っているから、しんどい思いをしていたから本音を話せる友達がたくさん。塾に行くのが楽しかった。

でも、塾は厳しい世界。
当時、私が通っていた塾は毎回テストで「ベスト5」が教室に貼り出され、席順は前から成績順、模試の結果次第でクラスの変動がある恐ろしいほどの競争社会。
小学生ながらこの現実を受け止めて必死にやっていたけど、勉強は得意じゃなかったから成績は中の下。
両親は私に勉強するように言ってたけど、当時の私は嫌で嫌で仕方なかったので大号泣で反抗し、両親とも大喧嘩の毎日…(3歳下の弟は地獄だっただろうなあ)

でも、直前で受かるところないぞ〜って先生との三者面談で言われて、泣きそうな顔で落胆する両親を見た時、両親のためにも合格しなければと思い、私も泣きながら勉強しました。
合格通知を受け取った時の両親が泣いていた顔は多分一生忘れないと思います。それを見て私もほっとしたのは今も覚えています。

私立の中高一貫校(しかも女子校)に入ったのは、本当に人生で最高の選択でした。
この学校に行きなさい、と言ってくれた両親には本当に感謝しています。
あの6年間は私の宝物。出会った人は一生の友人になり、大好きなバトントワリングにも巡り合え、尊敬する人もたくさんできました。

このあと部活一筋だった私は、高3にもなって英語の3人称単数もまともに理解できない状態だったので行く大学がなく、1年間浪人を経験しました。浪人したことも両親には金銭的にも精神的にも大きな負担をかけてしまったと今でも後悔することがあります。

そんなに良い大学には入れなかったけど、それなりの大学に入って卒業して会社に就職。
働き始めてから父の偉大さ、一人暮らしを始めて母の偉大さを知りました。

父はずっと1社で長く勤めたサラリーマン、母は専業主婦でした。
両親は私と弟を育ててくれましたが、その分自分の人生を犠牲にしてきたことも多かったろうなと思います。

父はずっと朝早く夜遅い人で、学生時代に顔を合わすのは休みの時だけ。でも反抗期が長かった私は大学生になるまで、まともに会話できませんでした。

母は専業主婦。結婚するまでは一人で旅行に行くアクティブな人でした。でも子供を育てていくうちに社会と断絶されて、今では一人で何もできない人です。厳しかったけど、誰よりも早く起きて、みんなの帰りを待ってくれていた人でした。

MINTのMind Hackで振り返った時に
小学生時代に私が両親から言われた
「ちゃんと勉強していい大学に入りなさい、大学で人生は決まるんだから」

これがずっとどこかにあるんです。
自分に自信が持てない、成果を残すことにこだわるのも
周りに認めてもらって必要とされないと意味はないと思うのも
全部これがある。

私はいい大学に入れなかったから、両親の期待を裏切ってしまったから
という呪いがずっと自分にかかっていて
だからせめて今の会社では頑張って成果を出して両親を失望させたくない
そこから派生して私の周りの人の期待を裏切りたくない、
私自身もっともっと成長しないとダメだ、と自分にストイックすぎるところがあります。
自分に厳しいだけならまだしも、他人にも同じ温度感・熱量を求めてしまい、ついつい厳しくしてしまう。

この負のループから抜け出したいとMind Hackで心から思い
MINTでの学びを深めていくことになるのです。

ああ。。。長くなってしまった。
こんな調子だと本題いつ辿り着くの?笑って感じですけど
緩やかに自分のペースで継続継続♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?