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「書くことが大嫌いだったのに、今では毎日何かしら書いてる」というこの不思議

小学生の時から文章を書くのが大嫌いで、作文や読書感想文の宿題はほぼ白紙で提出してきた。
それは、中学・高校・大学も同じで、文章作成だけはとことん逃げてきた。

それが、Facebookでの近況報告をきっかけに、いつの間にかたまーに詩やエッセイを書くようになった。
感情や状況を詩にしたり、いろんな事柄に対する思いを綴ったり、自分で撮った写真に詩をくっつけてみたりもした。
誰に見せるでもなく、なんとなくペンが動くままに、メモアプリを立ち上げて指が動くままに書いてきた。

数年前に知り合った友人が、昔から小説を書いていると言ってたので、試しに、過去に書いたいくつかを読んでもらった。

これが思いのほか好評で、とんとん拍子に出版社に紹介されることに・・・





なーんて事にはなってないが、
言葉遣いや文章の分かりやすさ、読み手に与える雰囲気などを胸がこそばゆくなるくらい褒めてくれた。
多くの人に読んでもらう事もいいけれど、ただ、私が大事に思っている彼女に読んでもらえたこと、そして、私の書いた文章が彼女の琴線に触れたっていう事実だけで大満足だ。

仕事では数年前から、企画書や分析報告書、改善提案書を書く機会が増えた。プライベートで書くものとは違う、万人が理解し納得できる文章を作る事に頭を使い、もうとことん修行の日々のような感覚で大変に感じていたのだが、ついに、今年はインタビュー取材の仕事が舞い込んできた。
企業の理念や技術・経験などをインタビューし、それをコンセプトに沿って文脈を構成して企業を国内外に向けてアピールしていくという仕事だ。
私にとっては初めての事だらけで、楽しそうだけど不安いっぱいで落ち着かない気持ちだった。

昨日、インタビュー取材の見積書を作りながら、ちょっと立ち止まって考えた。

今までは「仕事だから」と言われたままにがむしゃらにやっていたけれど、あまりにも物書き仕事が私にまわってくる比率が高く、苦しく感じることも多々あった。
思いや事象を文字にする事は、つまり、物事を正しく伝えようとすることであって、生きていくうえで最も必要な事だ。
この仕事が私にまわってくるって事は、今の私に足りていないからなのか、それとも、私の『人生の仕事』になりうる事だからだろうか…

そんな事を考えていた数時間後の昨日の夜、ふと見たネットブログにこう書いてあった。


「自分に起こった出来事自体が、自分が進むべき方向のヒントになっている」

悩みにも似た自分の人生への問いかけに対して、とてもタイムリーでドンピシャなメッセージが目に飛び込んできたものだから、本当にビックリしたのだが、この文章を見たとき、「あぁ、そうか。私は今、新しいスタート地点にいるんだな」と思った。

今回のインタビュー取材の仕事で少しでも成果が出れば、のちに50件つづく取材記事作成の仕事を任される可能性がある。
この一発目のインタビュー記事が、自分の人生を左右するものになるかもしれないと思うと、なんだかもう居ても立っても居られない、ドキドキとワクワクが混ざった、まるで「もうすぐ小学一年生」みたいな心持ちだ。

文章を書く事は、本っ当に大っ嫌いだったんだけど、いつの間にか仕事でもプライベートでもいろんなモノを書くように・書けるようになり、時に人の心に残るような文章を、そして、今度は大衆の目にさらす、ちょっと責任重大な事も任されるような機会が巡ってきたというのは、本当に何度考えても、人生の不思議だね。

最後まで読んでくださってありがとうございます! ありがたく頂戴いたします!