(裏方)保育士徒然闘病日記 1話目

思えば5年と長いようで短い時間だった。
裏では小説を書き、自分の本職は保育士。あんまり、自分があーだのこーだのってあんまり言いたくはないのだが、差別されることには何故か慣れてしまった。
(本当はあってはならないのだが……。)
まぁ、それはそれとして、なんでこんなことを書くことになってしまったかって?
「障害持っていたって普通に働きたい。」
それと、障害とかの有無よりも福祉職である限りこんなことあっていいのかな?って疑問には思ってた。
まぁ、書く理由はそれだけかな。
前置きはここまでにして、こっから話すかな。
2019年3月
私は専門学校卒業と共に、思春期からお世話になっている病院からとある診断が下った。
「自閉症スペクトラム」「解離性障害」
その診断が自分の人生を左右することとは思っていなかった。学長に相談すると、「お前は発達障害なんかじゃない。」ってさ、
前置きしておくけど、解離性障害は二次障害の指定となっていたのだ。
以前まで居た職場には解離性障害の事は診断書に書いてもらい、自閉症スペクトラムの件に着いてはクローズで仕事に就くも、やることなすこと何をしていいのかが分からないし、毎日怒鳴り散らされる日々。はっきりいってあの場は良いかと言われれば良いとは言えない。まともじゃない。
上のクラスに行けば普通に子どもに暴言を吐いたりする人もいる。なんなら「お前がやったんじゃないか」なんて視線を向ける先輩までいた。
私は下のクラスの子どもたちを担当していた。下のクラスとはいえ、担当していたのは1歳児だった。子どもたちは毎朝、自分が出勤すると走って駆け寄って来るまで懐いていた子どもたちだった、今でも忘れられない。「先生この園から居なくなくね。」って言ったんだよね、そしたらさ、「嫌だ、まだ行かないで」って言う子どもがいるよ。あの時は可哀想な事をしてしまった。子どもたちを叱ると他の先輩保育士からはまたしても怪訝な目で見られる。それにあの空間だけは異常だったのは今でも忘れられない。なんでかって?だってそりゃ、「保育士自らの事を○○一家」などと呼んでいるからだ。はっきり言うけど、そりゃ差別環境もできるわけだわな。障害ある子もない子も平等に見るのも自分の仕事の役目、なのに普通こんな事する?まぁこの園は1年で退職しました。
問題は次の園での出来事だった。それと同時に別件で地獄を見るとは思いもしなかったのだ。

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