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Googleから、Googleで検索される重要な存在へ。【利用者インタビュー第二弾】Beatrust CEO原邦雄

第2回目である利用者SPROUNDERのインタビューはBeatrust原 邦雄さんです!!

原さんがどのような人生を送り、どのような経緯でBeatrustを創業しようと思ったか熱く語っていただきました。彼のように様々なご経験を積んでこられた方が、SPROUNDというコミュニティに参加してくださっていることは、まさにSPROUNDのコンセプト「知の環流」を体現しているのではないかと思います。

聞き手はDNX Ventures(以下、DNX)の稲田 雅彦さんです。

原 邦雄さん
Beatrust CEO

住友商事や初期のソフトバンク及びシリコングラフィックスに参画。その後2度の創業を経て、直近ではマイクロソフト及びグーグル日本法人での執行役員を歴任。コロンビア大学MBA。慶應義塾大学経済学部卒業。
稲田 雅彦さん
DNX Ventures Investment VP

2019年7月、DNX Venturesに参画。AI、IoT、ハードウェア、デジタルマーケティングなどを中心とした投資業務を担当する。


―― 人生を変えたMBA第1号

DNX稲田雅彦さん(以下敬省略) 原さんはSPROUNDにおいて、スタートアップエコシステムの生き字引であり、ジェダイ・マスターのひとり、まさにヨーダのような重要な存在ですよね(笑)。ぜひ原さんご自身の歩みをお伺いできればありがたいです。

Beatrust原邦雄さん(以下敬省略) 一晩以上かかりますよ(笑)。もともとは住友商事という会社に入社しました。どうしても MBA に行きたくて、MBA への社費留学プログラムがある部分に強い魅力を感じていました。ところが 1 年目の時に人事制度に関するお互いの認識に齟齬があったことがわかりまして、自分個人でチャレンジしなければいけないなと、自費留学で挑戦する方針に変えることにしました。

そこで、自分で受験勉強してアプライした結果、なんとかアメリカにあるコロンビア大学の MBA に合格することができたのですが、上司に報告したらびっくりしちゃって。その上司に「1年後には制度が復活させることができるかもしれない」と言っていただき、「それであれば」と、コロンビア大学に1年間入学を保留してもらって待っていたのですが、翌年実際に MBA 制度が復活しまして。そこで念願が叶って、その制度を利用してアメリカに留学することができました。

大学の講義も充実していましたが、ウォール・ストリートでのサマージョブが目から鱗の経験になりました。実力主義の世界を初めて見たんですよね。当時の日本の大企業のイメージは、どうしても仕事や待遇の差がつきにくいし年功序列。一方、アメリカの社会では入社して翌日にいきなり部長を追い抜くとかいうことが日常的です。象徴的だったのがライバル企業に引き抜かれた人をみんなでお祝いしていたこと。成功を受け入れる文化でした。それが今の原体験になっています。企業の自由競争、実力主義とはこういうことだとわかりました。

当時お世話になっていたソロモン・ブラザーズという投資銀行のサマージョブでは、破格の週給をいただくことができて、夕方は豪勢なディナーが出て、帰り道にハイヤーがついて。日本に帰国する際もファーストクラスという驚きの待遇でした。企業側は学生にインセンティブを与え、世界の選りすぐりの学生も最終的にオファーをもらうために、真剣に競争したように思います。

私はその後、オファーをもらうことができて、どうするかとても悩みました。部長に骨折ってもらって会社から MBA に派遣してもらったのに、期待を裏切るようなかたちで帰るなんて、当時の日本人のサラリーマンとしての感覚ではきわめて難しい判断でした。結局、そのオファーをその場で受けることはせず、住友商事の中で海外事業投資や M&A など、非常に刺激的で面白い仕事を経験させていただいて、その 3 年後に転職するという決断をしました。

―― 孫正義との出会い

Beatrust原 住友商事を辞めてソロモン・ブラザーズに行こうと思っていたところ、留学仲間で MIT(マサチューセッツ工科大学)に通う先輩から、すごい面白い起業家がいると誘われたんです。スタートアップの概念が全くなかった時代ですね。

さっそく泉岳寺の小さなオフィスに足を運び、その場で出てきたのが現ソフトバンク社長の孫正義さんでした。当時、ソフトバンクは雑誌の出版やソフトウェアの流通を行う商社でした。当日、実は想定問答も用意して行ったのにもかかわらず、なんと孫さんからの質問が一つもなくて、ひたすら1時間孫さんがビジョンを語り、その場が終わりました。

他にも優秀な人はたくさん会ってきたけど、孫さんのような人にはそれまで会ったことがなく、すごく惹かれるものがありましたね。もちろん給与はソロモン・ブラザーズと比較にならなかったけれど、心からこういう人と働けたらいいなと思えた経験でした。実は両親にはかなり反対されましたが、1992 年にソフトバンクに入社しました。

ソフトバンクには 3 年半ほど在籍しました。上場した後にコムテックスなどアメリカの会社を買収したんですね。当時、出版・展示会・流通の 3 つの事業柱がすでにありましたが、パソコン業界は必ず伸びる、テクノロジーは進化すると信じて、その基盤としての「インフラ」になることを狙おうとしていました。そしてその 3 つの事業も、社会やビジネスにとってのいわゆる「インフラ」でした。

ソフトバンクで働いてる中で印象に残っているエピソードなのですが、ある朝、孫さんが興奮してオフィスに入ってきたことがあったんですよ。「俺はついに見つけた!」「銅線がなくても通信ができるサービスをアメリカで見つけた」と(笑)孫さんは、アメリカで実証段階に入っていたものを誰よりも早く日本に持ってきたいと、その夢をずっと温めていた。そしてようやくそのアイデアが形になって、日本でのブロードバンド事業が実現したんです。

今のソフトバンクは携帯電話通信事業や投資事業で世界的に有名ですが、思い返してみると、時間を経てプレイヤーが変わったとしても、「インフラ」を作り上げていきたいという戦略や想いの基礎は変わらないんでしょうね。

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―― シリコンバレーでの冒険

Beatrust原 その後、私は実際にテクノロジーを生み出している側の仕事に興味が湧き、コンピュータグラフィックスに特化したワークステーション、ハードウェア、ソフトウェアをつくる企業シリコングラフィックス(SGI)に転職しました。SGIは非常にプロダクトドリブンな会社で、正直プロダクトを出せば売れていた経験から、お客さんからの声をそこまで重要視できていない状況のように見えていました。そこで、カスタマーマネジメントに目を向けた組織づくりが必要ではないかと企画書を作ってプレゼンしたら、それが通っちゃった。そうして 1996 年シリコンバレーに移り、それから 10 年間住むことになりました。

そこでまたまた目から鱗の経験だったのが、シリコンバレーってなんて優秀な人が多いんだろうということ。今に通ずるものはありますが、世界中から優秀な人が集まっていましたね。英語がネイティブの人々の中でもフェアで、英語が学べる環境を整えてくれました。また、日本以上に職場にリレーションシップがあったように思えます。日本だと「学閥」があるし、中国だと「家族閥」がありますが、アメリカは「職場閥」だったんです。つまり、同じ職場で仕事していた人たちが仲間になるんです。仕事が変わってもその繋がりが続きました。

そこで経験を積みながらも、途中で SGI も退職することにしました。SGI がいわゆる Down Sizing に乗り遅れちゃったこと、SGI は圧倒的にプロダクトが強くてSuper Computing の方向にに進んでいたことなど、思い返せば色々な理由がありますが、なによりも、独立して自分の力でやりたいと感じたことが大きなモチベーションでした。

そこで、2000 年にようやく自分でコンサル会社を立ち上げました。私の会社は、VC(ベンチャーキャピタル)がお客様となっており、その投資先の海外進出(特にアジア)をサポートすることを事業にしていました。そのときに助けてくれたのが、SGIのOB/OGでした。彼らは SGI を出て、大企業の幹部になるか、VC を立ち上げるか起業するかで、何れにしても私にとってすごく心強いリレーションシップとなっていました。さらに、所属していた SGI の仕事をアウトソースしてくれたりと、会社を辞めた人にも仕事をやらせてくれる、そういうリベラルなところがアメリカのいいところだなと感じましたね。

その後アメリカでのコンサル会社も一度閉めることになって、日本に帰ってもう一度スタートアップを始めました。2006 年、アメリカ人の友人と、デジタルマーケティングのサービスを始めたんですが、これが本当に大変な経験でした。いわゆるHard Thingsで、一番大きかったのは、2008 年のリーマンショックで資金調達ができなくて給与も払えず自分の貯金残高がついに数百円になったこと(Oh My God!)。スターバックスでコーヒーも買えない状況でした(笑)。すでに結婚しており、子供も 3 人いて借金するしかないかもしれないという状況まで追い詰められました。でも、最後は拾う神ありで、大手のIT メディアの会社が事業を買収してくれて、社員の人はそこに就職してもらうことができてひとまず胸を撫で下ろしました。

さぁ、なにやるかと。さすがに子供をこれ以上振り回すわけにもいかないし、妻に相談したところ、「とりあえず大企業に入って」と言われました(そうですよね)。

DNX稲田 それはご家族には頭が上がらないですね(笑)。

Beatrust原 本当に心から感謝しています。まさに戦友です。そうした経緯もあって、2009 年に Microsoft に入社しました。2012 年まで在籍していたんですが、Google とはライバル会社だったので、Google に転職が決まった時、最初は Microsoft の社員には言えませんでしたね。

DNX稲田 それでも Google に行ってみたかった理由はなんですか?

Beatrust原 転職の 1 つ目の理由は、Microsoft が Windows という OS に注力していた一方、毎日進歩が著しかったオンラインサービスに私が取り組みたくなったからですね。そして、2つ目はカルチャーですね。Microsoft はシアトル、Google はシリコンバレーの文化で、住んでいた経験もあった Google のほうが自分にはフィーリングが合うと感じて決断しました。

Google では最初に広告営業の責任者を担い、後半はジョブチェンジで、Strategic Relationships というチームをリードさせてもらいました。世界で徐々に GAFA に対する賛否両論の声が多様化してきた中で、今いちど Google がやっていることを皆に理解してもらうことと、日本にインパクトを与えていくことを目的に、東京 2020 オリンピック・日本のスタートアップ支援・ロビー活動をテーマに選ぶことにしました。

―― Beatrust誕生の経緯

Beatrust原 Beatrust のきっかけは、この Google で創設した Strategic Relationships というチームでの経験でした。最近になってきて、徐々に日本の大企業がオープンイノベーションという考え方を持ってスタートアップに向き合うようになってきて、すばらしい傾向だと感じたのです。でも反面、まだ課題だなと思うのが、ほとんどのスタートアップが日本市場しか見ていなくて内向きなんです。Google でスタートアップ支援をやっていたときも、グローバルな側面が大きな差別化だと思いました。これを目指すスタートアップが少なかった。

そうというのも、エコシステムがそうなってしまっていることが一因だと考えています。そもそも日本市場のマーケットが大きいし、大企業の DX がまだまだ遅れているから国内でスペースが余っている。アジアの新興国と比べても競争はまだ激しくなく組織秩序も強い。多くの投資家も東証マザーズ上場を最初の Exit 先として考えていて、グロースキャピタルも少ない。スタートアップエコシステムがそうなってしまっているんですね。ファンドサイズも大きくなって変わってきてはいるが、その一方で日本の人口推移に見られるように、マーケットサイズ自体はシュリンクしていくと予想されるから、これではなかなか第二の Google は生まれていかない、と感じました。

それではまずは自分たちがショーケースになるしかないと決心し、共感してくれる若手とともにモックを作って、1 年半くらいで原型ができてきたので、今回 Beatrust として事業化することになりました。日本の大企業の幹部と話をしていると、DX やイノベーションにすごく悩んでいるんですよね。「Google はどうやっているんですか?」と聞かれてカルチャーの話をして、「すごいなー」って共感してくれるんですけど、「それは Google だからできること」って言葉がいつも次に出てくるんですよ。変えたいし変えなきゃいけないという気持ちはあるんだけど、どう変えていいかの「How」がない。それをサポートするソリューションを提供したいという気持ちがあったんです。

Google で 7 年半働いた時、12 万人の社員数がいながらイノベーションを起こし続けられる理由が何か考えたとき、そこには 2 つのコアバリューがあると思いました。1 つ目がカルチャーで、オープンかつフラットな利他の精神。つまり、アダム・グラント氏がいう「Taker」だけではない「Giver」、自分のコア業務を離れたとしても頼まれたら返してあげようよ、というマインドセットですね。そして、2 つ目がこれをちゃんと機能させるデジタルインフラ。そのようなデジタルインフラを一般化・提供して、企業の文化を変えていく後押しならできるんじゃないかと思ったんです。それが原点です。

Google のイノベーションの起こし方のキーワードは、多様な人材による「自律的に協業しあえる環境」を作ること。いわゆる自走型の組織です。まさにこれをやらないといけないと思いました。これをやるために必要なのは「人びとの情報の可視化」。どういう強みを持っている人がいるかわからないと探しにいけないですよね。Google の場合は、キーワードでプロフィール検索ができて、1on1 でのミーティングや Sync を申し込める。コラボレーションのネタを議論できたり、20% ルールのプロジェクトが立ち上がったり。従業員同士のラーニングも進んでいて、有志の社員同士でトレーニングや勉強会が行われており、会社の中で人事が主導して行う従業員トレーニングはこの 20% ルールの仕組みしかありませんでした。だから持続的に学び合う文化ができる。

大企業に行けば優秀な人はたくさんいますが、組織も情報もサイロ化されているし、若い人だけじゃなく年長者の人も閉塞感を感じている方が多い。だから、まずはリーチしあえるようにする。そして今後、Google が 20%プロジェクトで実現していたようなマッチング、メンターシップ、トレーニングといったような世界観や、私が多くの方々とのリレーションシップを通じて学んできたことを踏まえて、世界中で「自律的な協業」を促進するための仕掛けをどんどんつくっていきたいと思っています。

DNX稲田 新型コロナウイルスの感染が拡大している今だからこそ企業内コラボレーション改革は、より一層必要性が高まっていますよね。

Beatrust原 まさにそうですね。このコロナウイルスの感染拡大によって2つ起きたことがあって、1 つ目が、従業員同士のコミュニケーション機会が大きく減ったことです。2 つ目がプロダクティビティは上がったけど、クリエイティビティが生まれなくなりました。壁打ちする相手が見つからない、オフィスの仕事がいきなりオンラインになって情報がない。皆さんがそこに必要性を感じています。1 年前にこの話をしたときは、大企業は「まだ日本じゃ早いです、うちじゃできません」と言っていたけれど、今は皆さん何かトライしないといけない風潮になってきました。

DNX稲田 お客様としてどのような方を想定していますか?

Beatrust原 現在は、特に需要を強く感じていらっしゃる大企業(Large enterprise)を対象にしています。現在 10社ほどの会社にトライアルをいただいていますが、ここで成果を実感していただき、従業員の皆さまに使ってもらわないといけない。その上で、できるだけ早く有償化していく方向に移行していきたいと思っています。

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DNX稲田 原さんはまさに「知の還流」の体現者であると思うのですが、SPROUND を今後どのようにしていけばいいと思いますか?

Beatrust原 グローバルに開かれていくことが大事だと思いますね。日本のなかで閉じこもっていると、日本のレギュレーションがどうこうという話になりがちです。TIPS として必要なものももちろんあるかもしれないけど、人を含めてグローバルにしていく、考え方、スキル、想いもそう。まずは SPROUND の組織をつくっていった先に、どんどん外の空気を取り入れながら、グローバル規模で「知の還流」を実現することに、弊社も貢献できればと思います。


知の環流を体現する原さんのお話を聞いていると、インターネット黎明期のワクワクする世界に自分自身がタイムスリップした気分になりました。また、インタビューを通じて原さんから感じられる、新たな世界を開拓する起業家という側面だけでなく、人としての温かさに非常に心惹かれました。

インタビュー中の原さんと孫さんとのエピソードは、Alibabaの書籍の一節を思い出せてくれました。

“we didn’t talk about revenues: we didn’t even talk about a business model…we just talked about a shared vision. Both of us make quick decisions. Jack recalled.”
(Duncan Clark, Alibaba, Harper Collins Publishers, 2016)

孫さんと原さんが初めて出会い会話を交わした日、2人の間で言葉では表現できない何かを感じ合われたのではないかと個人的に感じました。
「Beatrust」が生み出す新しい社会はどのようなものになるのでしょうか。
私たちがこれから目にする大きな可能性を考えたとき、興奮を覚えます。
今回直接お話を聞かせていただいことは、自分の人生の中でも輝き続けると信じています。

(文:奥田 廉 / 聞き手:稲田 雅彦 / 編集:上野 なつみ)


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