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〈黙る 主人公〉松本大洋作 漫画『東京ヒゴロ』感想文

 おそらく私たち読者の前には、窓がある。小雨がちらつく肌寒い外を眺めていると、ある光景が目に入る。街をゆく人々は手に傘をもっているが、雨も風も大して強いわけではなさそうだ。ただ皆がしっかりと握る傘を、一人の男だけは飛ばしてしまう。街一帯を包む灰色の気候の合間で、男は傘にむかって手を伸ばし、走る。傘はもう届かないほど離れている。傘を追いかけることを諦めてもよさそうだ。だが男の姿に諦める様子は一切なく傘を追いつづけ、前へ、前へとすすんでいく。
 漫画『東京ヒゴロ』のタイトルは、このような風景の上に描かれている。その文字はまるで、肌寒い外景と温かい室内の境界となる窓表面に結露で走り書いたようだ。
 第1頁。「あ。」と男の口から溢れる。重たい曇り空を背景に、小雨がかかる男性の顔面がコマいっぱいに広がっており、苦い表情を浮かべる。すっぽり覆いつくすほどの曇天に歪まされたような街並み、その奥にむかって、黒い傘が飛んでゆくのがみえる。

 主人公・塩澤は漫画編集者として30年勤めた出版会社を早期退職する。塩澤という人間に文章注釈は要らない。塩澤は、退職挨拶も一言一句はっきりと発音し、各関係者を一人一人訪ねては深々とお辞儀してまわる。帰り道の横断歩道では、小学生の視線を浴びながらも手をあげて渡るほど謹厳実直な男である(11頁)。漫画を主として扱う漫画表現らしく、人物像は言葉がなくともコマ内の情報だけで十二分に伝わる。    
 塩澤は漫画編集者時代に自ら雑誌を立ち上げた過去がある。しかし売れ行きは芳しくないままに廃刊となった。彼にとって早期退職はその償いとして決意付けられるも、退職後、真っ先に挑戦したのは「ふたたび漫画雑誌を創刊すること」だった。塩澤の、雑誌に寄稿してくれる漫画家を訪ね歩く旅がはじまる。

 私が松本大洋作品と出逢ったのは中学二年生のとき、放映されていた『ピンポンTHE ANIMATION』がきっかけだ。忘れもしない。
 いつもならば、帰るとすぐ部屋着に着替えるのに、着替えながらみようと思って不意に録画再生したこの作品に部活着のままテレビに釘付けになった。毎週放映される『ピンポン THE ANIMATION』を取り憑かれたようなまなざしで、一カット取りこぼせば死ぬような呪いを自分にかけながら徹底的に視聴した。そしてすぐ『ピンポン』全巻を揃えて読み込んだ。何かを、愛していると心底感じたのはそれが初めてだった!それに比例して、同級生や学校という集団からどんどん離れていく感覚はあったが、松本大洋が生み出すカット割りや線の起伏を目で追いかけることはあまりに時間を要するし、漫画を読み込むのに忙しくて、中学生らしい悩みは結局どこかへ忘れた。唯一楽しかったテニス部の部活動での試合も、ペコに多大な影響を受け、変なプレイヤーになった。そしてそのまま中学卒業。

 「松本大洋作品」と聞けば多少の期待を整えてしまう私の、読者としての稚拙さは認める。ただ贔屓目でみて『東京ヒゴロ』に感銘を受け、感想文を書きたいと思ったのではない。文章を書くことによって作品の中の取り出したい謎がある気がして、この文章を書いている。よって私が著者として書く文章は、あくまでも松本大洋という作家の存在を極力取り払った文体を採ろうと思う。

 本文では、第一巻で描出される塩澤という人間がいかなる性質をそなえた人物であるか、そして彼を主人公として展開される出来事の数々が漫画として表現されることの余波について論じていこうと思う。そのために今回注視していくのはコマ割りや筆致、「演出」の側面である。

 これはストーリーやプロット、台詞を無視する表明ではない。例として、漫画における戦闘シーンの話をしよう。
 大胆なコマ割りと素早さの感じられる筆致や集中線、そしてページをまたぐ迫力ある描写、ゴシック体で書かれた技名、これだけでも過去に読んだ戦闘シーンが思い出せるだろう。線一本の引き方で戦闘の迫力は変わる。しかしもしも、スピード感を前面に押し出したいコマで、真っ白な空間に動き回る主人公が描かれたならどうだろう?そこでは戦闘の緊迫感も迫力ではない別のことが読者にとっては前景化するし、「演出」の方向が異なってしまっている。「演出」は、台詞やスケッチの上手さというより、読者に、読み進めるうちにさり気なく、無意識のうちに感覚してほしいが故の工夫なのだ。
 これは漫画に限らない。もし、何らかにおいて「これはすごい」「名場面だ!」と感嘆する箇所があるならば、それは絶対的に言葉にする価値がある。例えその場面が一連の正念場でなくとも、何らかの「演出」の種が、どこかに丹念に散りばめられているはずであり、他の読者全員が見逃すような、しがない外面でも、読者自身がそこに微反応でも示したのなら言葉にする価値はすでにはじまっているのだ。

 「演出」は大事だ。ストーリーやプロットに感想を述べる際、読者は、どのような「演出」が漫画作品を下支えするかという感覚が働いている。ただのお喋りならそれを詳しく言語化する必要もないだろう。しかし、本文では漫画『東京ヒゴロ』を支える演出や人物造形がいかになる「演出」によって形成され、作用しているかを記述する。そうすることで、『東京ヒゴロ』の主人公・塩澤は本作においてどのような人物だと位置付けられるか。まずこれ第一に考えてみようと思う。
 お喋りでなくなぜこの文章を書いているか、あるいは私はいったい何からその記述を求められるかといえば、他でもない、些細な「演出」の数々に、である。

※私は当漫画、松本大洋『東京ヒゴロ①』(小学館 BIG COMIC SPECIAL)を所有しているので頁参照して記述する。著作権の権利関係上、該当頁については画像ではなくテキストによって頁指定する。


『東京ヒゴロ』第一巻、特筆すべき演出①


 若手漫画家・青木の我儘により、担当編集者である林は退職した塩澤を訪ねる。昼下がりに待ち合わせ、林から「青木君のネームを塩澤に読んでほしい」と言い渡された。青木は、塩澤が以前原稿をみていた作家で、退職以降その役割は林に引き継がれた。青木・林は、原稿チェック以前に関係がまったく噛み合わない状態にある。塩澤は林の申し出に難色をみせるも、「これは二人で一致した意見だ」と反論を受け、ネーム原稿を受け取ってしまう。
 ホーム端のベンチに座った塩澤はおもむろにネーム原稿を取り出す。ペンで書き込むでも呟くでもなく、青木の原稿に沈黙したまま思考内でコメントを添えていく。コマに描かれた塩澤の逡巡をみると、どうやら後輩編集者・林にとってしまった態度の反省と、ネームを読んで欲しいと依頼されたときに満ちた感情への省察、そしてネーム原稿を読む思考は、駅のホーム内での時間の流れにそって描かれており、一連の流れが生まれていることがわかる。
 「ピン」「ポーン」「プルルルル」、台詞に並行して響く音が、塩澤の思考と駅構内に混ざって流れる。ホームには電車が到着しては去っていく。人々はあちこちへ歩みを進め、どこかへ移動していく。原稿を次、次へめくれば、塩澤が口から発する言葉よりも高い熱量と言葉数が思考内で音になる。電車の往来と人々の雑踏音によって、原稿と塩澤のやり取りは一層速度感をもって感じられるようだ。

 ここに抽出できる演出をみていこう。
 まず「塩澤が青木の原稿を読む」という時間軸の中に、電車という場所で起こる音や人の動きが断続的にカットインする演出が用いられる。青木の悪癖で描かれたネームに指摘を思いつづけた末、塩澤の思考は、悪癖の奥に潜在する彼の素質にむやみに期待しはじめる。ちょうどその間、どこかで猫がニャーと鳴く。林が出版社で忙しなく働く。青木が自室で白紙の上に突っ伏す。塩澤が大家さんからもらった信玄餅のようす。自宅で留守番するインコ。塩澤が居ない、知らない場所で起こる出来事が、青木に対する所在ない期待のあいまに訥々と描かれる。雑多にカットインしたような演出だが、自然界において、同じ時同じ場所で風に揺らぐ、例えば雑木林の雑感ある規則が感じとれる。何にも由来しないネーム原稿への期待感と、いま、塩澤に無関係の出来事の数々が、無関係なままに連なっている(単行本39頁-56頁)。それらはやがて、読者も知らぬ遠いところで結びついているのだろうか。

 さらに滋味深いのは、これらの出来事が起こる場所。電車ないしは駅である。そこには場所は、一日に大勢の人が出入りする。電車、駅構内には、異なる目的地をもつ人々が、偶然にそこに居合わせ、それぞれの目的地に向かって離れていく現象が同時多発的かつ大量に生じる場所だ。だが大勢の人は、誰も塩澤に見向きもしない。
 コマ割りはどうか。塩澤が漫画原稿を読む場面と駅構内で起こる出来事はコマごとに分かたれているか、あるいは同じコマでもある一定の距離・空間をとって描かれている。塩澤も漫画雑誌という媒体も社会の構成要素であるに違いないが、コマを区切る枠線によって分割され、また分割されつつ連携するため、完全に分割された世界が並んでいるという認識はできまい。

 ベンチに座ったまま動かない塩沢の真正面に流れる社会は、まるで塩澤だけを置いていくように感じる。枠線によって分かたれつつ、この社会や世界から距離・空間がやや離れているものの、分割されきってはいない。よって塩澤の位置とは、社会と個人の間にとどまる状態ではないだろうか。
 塩澤はひとり、自分の手元にある漫画原稿用紙と静かに対峙して、黙ったまま言葉を投げかけ続ける。青木や林どころか、きっと誰にも伝えることはないだろう言葉が塩澤の中に沈殿していく。


『東京ヒゴロ』第一巻、特筆すべき演出②


 長作は、長年雑誌で連載を担当する漫画界の重鎮で、以前塩澤も編集担当していた漫画家だ。妻子が去った今でも、自分の事務所をもち、アシスタントも抱え、週間連載を続けている。しかし一部の人間からは、「もう命が感じられない漫画を描いている」などと指摘され、長作はその指摘にきまって激昂する。自分が商業的作品に傾倒した作品を描き続けていることに自覚的な様子が第一巻数話に渡って読みとることができる。
しかしこれは長作が選んだまんが道だとは言い難い。そうでもしなければ、漫画家として生き残れなかったから、選んだ道にすぎなかったのではないか。
 長作は「自分自身の内から這い出ようとする、何らかの衝動」を抑えて日々漫画制作を続けてきた人間として描かれるが、長作の苦しみは、単行本第一巻を読み終えた時点で誰にも発見されなかった。おそらく、ただ一人を除いて。
 『東京ヒゴロ』のなかで特に漫画史に語り継いで欲しい場面がある。(76頁)

 ほっぺたを真っ赤に染めた長作の言動が、断片的に連続して描かれる。バッティングセンターでホームランを満足気にかっ飛ばし、単行本のサイン会で不躾な質問を軽快に飛ばす。そして前妻と電話越しに娘の話を交わす様子がテンポよく過ぎる。その賑やかしさを保ったまま、突如きらびやかなパチンコ台があらわれる。長作は相変わらずぷくぷくと太った少年のような顔つきで台を見つめ、煙草をふかす。次いで、ハンドルとハンドルを握る手のコマが何度か往復する。ふと、一滴の水滴が暗闇の中できらりと光った次のコマ。水滴は手の甲に落ち、長作はパンのようにぷくぷくした両手で顔を覆う。店内には軽快で騒音なアナウンスが響き渡っている。広々として人気のない場所で長作は一人、大きな図体を折りたたみ、パチンコ台に肘をついて咽び泣く。
 忙しなく日々を過ごしていたからこそ放置していられた言葉があったが、パチンコ屋に響く、鼓膜をこじ開けるような騒音にやられて現実が孤独の隙間にはいってきた。そんな佇まいだった。読者の欲望に応えることを最優先に強いられる作家と出版社、読者の構造を描きながら、自らを抑圧せざるを得ない作家の激痛、それに気がつかないでいようとする作家としての鈍さまでもが描かれる。納得できないことを、なんとか納得させて描き続けてきた人間。それが長作なのだ。ただ長作の作家性を保つのは、作家としての懊悩を一切言葉にしないことでもある。彼を縛りつける意地と鈍感さが彼自身の創作活動を支えてもいるだろう。
 長作の葛藤や苦痛は、長作の身に降りかかる日々のことが分割され、時間も場所も異なるコマが隣接されていたりする。時間的・空間的にも離れた、しかしどれくらい離れているかまったく不明な出来事が複数箇所、断片的に描かれる。読者にとっては、長作の手の甲に涙が流れるまで、長作が何を思って漫画を描くのか判然としないままだった。(特に第3話。だが、長作が自分の描く漫画に何を思っているか判然としない・させないのは序盤からだと思う)。
 しかし依然として、コマの断続性によって読者は事の全容や長作の内面をこれ以上深く探ることはできない。物事の因果や犯人が先んじて読者に知られることで生まれるエンターテインメント性はこの話にはなく、むしろ、読者は登場人物らの事情や感情をみることはできるが、描かれたこと以上踏み込むことはできない、と断続のコマ間で毅然とした態度で示されている。漫画家の人生が読者が知らないところで、当然に続いている。

『東京ヒゴロ』第一巻、特筆すべき演出③


 第5話。立花礼子先生の葬儀に参列するところからはじまる。立花礼子先生はかつて塩澤が担当した作家だ。葬儀に集まった大勢の人をおいて葬儀から帰ろうとしていた塩澤は、礼子先生のアシスタント・春子さんに呼び止められる。「最後に仕事場見て行ってよ…」と言葉をかけられ、二階にある仕事場へと一人向かうのであった。
 120頁以降のコマ。塩澤は礼子先生の仕事部屋に入る。それぞれの分割枠には筆やペンの入ったペン立て、描きかけの原稿用紙、転がったままの鉛筆が描かれており、塩澤の手は転がったママの鉛筆にやわらかく添えられている。まるで死者、今ここにいない者が、その人物を取りかこんでいた“モノ”によって立ちあらわれることが確かに感じとれる動作だ。不在をたしかなものとするのも、不在の中に存在をみつけるのもまた“モノ”という語らぬ物体らによって形づくられることが、多分に描出されている。そして不意に、声が聴こえる。

   「泣いてた?春ちゃん」

それは、立花礼子先生の声だった(121頁)。

 礼子先生にも長作と同様、描きたいと思える漫画よりも漫画家として続けていくための漫画を優先して描いていた時期がある。それにより体調も崩したが、礼子先生はあるとき、塩澤のある行動をみて、描きたいものだけを描くと心に決めたのであった(125頁)。
 礼子先生は亡くなり、塩沢の前にあらわれた彼女は困ったような、しかし幸せがじんわりと滲むような調子で「どんどん売れなくなっちゃった」とこぼす(127頁)。
 私は、礼子先生が回想する半生に一瞬虎の姿が重なった気がした。以下、中島敦『山月記』より引用する。

羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懷を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

 『山月記』は、唐時代、詩人になる夢を諦めた李朝が虎になってしまい、その運命と後悔の全容を、友人である袁傪に語るという物語で、中島敦(1909-1942)によって執筆された短編小説だ。
 描きたい漫画を諦めつつあった礼子先生は、ちょうど虎と人間のあわいに置かれていた彼女の体を、不調が襲う。商業的漫画を専門とする漫画家になりかけた彼女を、“一人”の漫画家としてこの世に繋ぎ止めたのは、外でもない、雨の降るなか、着ていた上着で封筒をくるみ、その上だけに傘をさして締め切り間際の原稿を運んだ塩澤の姿なのだ。

塩澤


 塩澤の野望を端的に言えば、自分が思う漫画界最強の布陣を揃えて、最強の漫画を作る。それだけである。だがそうしてつくられる雑誌が売れるとは限らない。
 売れる漫画と描きたい漫画は必ずしも一致しないし、漫画作品や漫画家知名度は良くとも、塩澤の考えるような紙面販売のみとなればターゲットは限られ、宣伝方法や手段も変わってくる。一生日の目を見ないこともあり得る。だからといって売上を無視することは塩澤にはできまい。
 「売れる」とは、作品のどこかしらにおいて社会化、大衆娯楽化が成功しているということだ。おそらく塩澤のつくろうとする漫画雑誌は、第一巻時点では「漫画寄稿者がある世代にとっては比較的著名」であること以外に、売上を見込める計画はほとんどないと言える。だが、それでも私は塩澤という人間の選択の先をみたくて仕方がない。

 塩澤には、人には聞こえない声が聴こえる。例えば塩澤が自宅で買っている文鳥。亡くなった礼子先生の声。大半の人間には、聞きとられず反応すらできない声が聴こえ、会話に至る場面も描かれる。その性質の最たる例は、漫画から漫画家の声が聴こえることだろう。塩澤は行きつけの喫茶店にて出版社を退社することを長作にあらためて伝えようとしたとき、長作本人に「私には君の心がそこに内容に見えるのです」「あなたの漫画がもうずっと長いこと…空っぽになってしまったように感じるのです」と話す。やはり長作はこれに声を荒げる(20頁)。

 この場面だけを切りとれば「率直な感想が言える人」ともみえるが、彼にとっては漫画からそのような悲痛な叫び声が聴こえたに過ぎず、漫画を愛してやまない塩澤にとって無視できる事態ではないから伝える他に術がなかったのだろう。漫画が泣いているようにでも聴こえるのだろう。
 だが塩澤が話すのは、長作として話すその“人”ではない。人のもっと奥の奥に在る、描きながら何かを感じているその人の源の部分と漫画紙面を通じて話しているのだ。つまり、喫茶店での言葉は、寡黙な塩澤は己を語らぬ代わりに、遠くに聴こえた声に代替して語っている最中だということだ。彼の沈黙には意義があり、長作や礼子先生がそうであったように、当人も、周囲の大半の人間も、家族も、聴き難いその声に身体を一時明け渡すが故の寡黙さなのだ。

 塩澤の性質は、外面化せぬか細い声が紙面から聴こえることだ。なぜ彼にこの性質が備わったかは解らないものの、その理由を描かれた演出や事物から構想してみるならば、横断歩道を渡る塩澤の姿がどうしてか思い出される。あの、小学生の目線など気にせず真剣な顔つきで手をピンと伸ばして渡る姿は、実直というよりも「私はここにて歩いている」「歩く私を目に留めてくれ」という行為そのものであり、一般世界とはやや逸れたところで黙る存在の生態であるからに違いない。
 周囲世界と塩澤の間にコマが区切られるとき、そこに映されるのは塩澤自身ではない。塩澤の身体を借りた、か細い声の誰かの声が語っている真っ最中の姿なのだ。塩澤がコマに、あるいはコマ内に距離・空間をあけて描かれるとき、彼の身体とコマの枠線の狭間で反響する別の声がある。
 塩澤に連れられて私たちは、この物語の最後までその声に耳を澄ますことができるか。



引用文献
松本大洋『東京ヒゴロ①』小学館 BIG COMIC SPECIAL、2021年
青空文庫『山月記』

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