与えられた者たちの芸術じゃないか/笑いのカイブツ

「笑いのカイブツ」ツチヤタカユキ
を読んだ。

久しぶりに夢中になって読んだ。
ハガキ職人の自伝で、遺書のつもりで書いたブログがもとになっているらしい。

没頭する性格や、逃げ場のない日常を忘れるためか、ケータイ大喜利をきっかけにお笑いの世界にのめり込んでいく。

一日中、大喜利を考え、ノートを埋める。
貧困により大学の進学という選択肢はない。
バイト先で見かける同年代を直視できない。
本を読んでも空虚に感じる。
書いてる奴ら、みんな与えられた者たちじゃないか、と。
違うのは、西村賢太と高橋源一郎くらいだ、と。

お笑いの世界に入り、作家の仕事をしても、笑いの才能だけでは評価されない。
コネクション、上の人に気に入られることができるか否か。

そういうことに必要な能力切り捨てて、お笑いにかけてきた人生があり、変えられない。変えたくもない。

評価してくれる人があらわれる。支えてくれていた母の存在に気づく。

バーでピンクの髪にした男と出会う。仲良くなる。男は自暴自棄な生き方をしてきて、久しぶりに会うと刑務所から出てきたと言う。彼は男に笑いの世界への幻滅を伝え、自分のしてきたことの空虚さを伝える。

男は、彼の生き方への憧れを伝える。
自分にはそこまで賭けたいと思えることがなかった。これまでしてきたことはなにもしたいことがなくて退屈を殺すためにしてきたことだと言う。お前は笑いができて、退屈と戦えるじゃないか。

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あれがない、これがないと空虚に感じることがある。自分に手の中にあるものの大きさに気づけない時がある。

なにもなくて、どうしようもなく笑うこともある。笑ってばかりいて、自分が悲しいのか、楽しいのか、なんにも分からなくなる時がある。

そういうことがあるな、と切実に迫ってくる本だった。


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