『当たり障りのない話』/乃木坂46の歌詞について考える
17thシングル『インフルエンサー』のカップリング曲『当たり障りのない話』。生駒里奈、井上小百合、星野みなみ、堀未央奈の4人によるユニット曲である。
この曲が大変好きである。シングルの発売前、ラジオで初オネアーされた当時から好きである。
可愛らしさとクールさのバランスが絶妙なユニットメンバー、切ないシチュエーションと想いを切り取った歌詞、それと比べ意外なほど爽快感のあるメロディとアレンジ(弦楽器の音色が気持ちいい)。この曲の持つ様々な要素がとにかくニクい。通常版のカップリングという立ち位置もまたニクい。
そんな『当たり障りのない話』、この曲に対してずっと感じていた違和感(のようなもの)があったのだが、最近になってやっとその答えが出せた気がする。なので今回はその話がしたい。
珍しい視点
まずはこの曲の歌詞の大枠について語りたい。
流れとしては、昔好きだった人にたまたま出会ってしまい、その偶然につい何かを求めてしまうけれど、結局何の進展もないままに……という内容がおおよそ語られている大枠である。
ここで明らかにしておきたいこととして、この曲には他の乃木坂46の曲にはあまり見られない珍しい特徴がある。
それは「女性目線」であることだ。乃木坂46(48Gも同様だが)の楽曲では、多くが「僕」という一人称と「君」という二人称が使われている。つまり、基本的には男性目線である。
女性アイドルが男性目線の曲を歌うことについては色々考えられそうだが、今回は割愛するとして、ともかく『当たり障りのない話』は乃木坂46の抱える楽曲群の中でもそう多くない女性目線の楽曲である。
しかし、これが先述した"違和感"ではない。これは歌詞を素直に読めばすぐ分かるただの前提である。
だが女性目線の歌詞であることは、その違和感と紐付いている。
それは違和感というよりは既視感というのが正確だろうか、『当たり障りのない話』の歌詞を読めば読むほど、何か浮かびそうな、でも出てこない、でも何か引っかかる……という感じにモヤモヤしていたのだが、ふとした気付きをきっかけに、遂にその答えを得ることが出来た。
これはaikoだッッッ!!!
歌詞で描かれているシチュエーション、切り取られている情景とその細部、主人公が秘めた心中、そして2人が迎える結末、それによってこの曲が纏う雰囲気すらも、どこをどう考えても
これはaikoだッッッ!!!
話は逸れるが、あらかじめ白状しておこう。これは以前から拝読している上田啓太氏『真顔日記』というブログのテンションをそのままお借りしたものである。
なんなら、こちらのブログのカテゴリ:aikoのエントリを一通り読んでいただき、『当たり障りのない話』の歌詞を見ていただくと、本noteで言いたいことは大体理解できるかと思う。
そうはせず、とりあえずこっちを最後まで読んでみよう、という方だけ続きに目を通していただければ。
「あたし」と〈あなた〉
いきなりでなんだが、この楽曲のキモを挙げたい。ここで言う「この楽曲のキモ」とは「『当たり障りのない話』がいかにaikoであるか」ということである。
例えば以下、冒頭の歌詞だ。
あまりにも具体的な状況描写。その映像は歌詞を読むだけで脳内に鮮明に浮かぶ。手首にドラッグストアか何かの袋をぶら下げて、雑誌に目を落としていたところ、気配を感じてふと顔を上げると……という様子まで想像することが出来る。こうした細かい描写は康の得意とするところであり、またこれはaikoである。
aikoは常に「あたし」と「あなた」のミクロな恋の世界を描く。故に、それは生活の一端を切り取った細微な状況で行われ、また更にフォーカスを絞り込んでは「あなた」の身体の隅々にまで想いを行き渡らせる。
もちろん、切り取るのはその情景の描写だけではない。aikoは「あたし」の複雑にうずまく心境をそのままに綴ることが出来る。
そしてそのことは『当たり障りのない話』もまた同様である。〈あなた〉と出会った「あたし」の中では、2つの想いが同時多発的に発生している。
偶然の〈あなた〉との再会に、走馬燈のように当時の思い出が蘇り、同時にあの頃は果たすことのできなかった「好き」が時を超えてその輪郭を取り戻していく。
その一方で、今の自分はあなたにはとても見せたくないような普段着姿。おそらく、部屋着から下だけジーンズに履き替えてファストファッションブランドのダウンを羽織ったくらいなのだろう。こんなことになるなら〈ちゃんと着替えれば良かった〉。
蘇る〈あなた〉への想いと、今の自分への後悔。この2つの想いが交差するように絡み合いながら頭の中をぐるぐると巡っている。一行ごとに入れ替わる歌詞の構造が、それを示している。
そんな胸中でいるさなか、不意に〈あなた〉は「あたし」の髪型が当時とは違うことに触れる。そのことに思わず「あたし」は喜びをちらつかせる。
(余談だが、〈い・ま・に〉と〈な・ん・て〉という譜割が最高に可愛い)
恥ずかしい〈普段着〉姿を見られたくないという気持ちと、当時の自分とは違う外見に気づいてもらえて(自分のことを覚えていてくれて)嬉しい気持ち。
「見てほしくないけど見られて嬉しい」という、一見矛盾したような想いが「あたし」の内にはある。
そう、本当の思いとは裏腹な行動を取ったり、本当の気持ちに従って行動を起こせない、恋する女性のそんな複雑な思いを切り取ることが出来るのがaikoであり、また『当たり障りのない話』はそれを成し遂げている。
サビの歌詞もまた同様だ。「あたし」は本当に聞きたい話題は自分から出すことが出来ず、どうでもいい内容の〈当たり障りのない話〉ばかりしてしまう。
〈まさか聞けるわけもない〉という言いぶりから、話題を出せずにうずうずしているというより、最初から諦めているようにも取れる。
ただの同級生としてなら、当たり障りのない話なら、気兼ねなく続けることが出来る。『当たり障りのない話』の「あたし」はその想いをひた隠したまま、〈あなた〉と昔話に花を咲かせる。
顔で笑って心で泣く。aikoが描く「あたし」は「あなた」の前ではそうそう感情を露わにしない。「あなた」の前では明るく振舞い、そして一人になって涙を流すのだ。
同級生の写真でも見せ合ったか、互いにスマホを取り出すところまではいったものの、もう一歩が踏み出せない。
気まずい沈黙が流れ出し、自然と別れの時間が訪れようとする。
そんな折、「あたし」は勢いづいて本当に聞きたかったことを聞くことが出来る。他に話題も無いから、なんて無言の言い訳をしているかもしれないが、それでも確かに勇気を出したのだ。
返ってきた答えは内心期待していたものながら、しかし、それを聞いて何かすることもできない。いっそその期待を裏切ってほしかった。その方が何も考えなくて済んだのに。
いや、自分でさえ自分がどうしたいのかわからない。そんな複雑な心境を抱えきれなくなった「あたし」はその場から逃げ出してしまう。
〈あなた〉と別れた「あたし」は、何の行動もできない自分自身を卑下するように、自嘲気味にこの運命的な再会を否定する。たった一度の偶然で〈あの頃〉の続きが始まることはないと、自らに言い聞かせるのだ。
そんな風に、今日の出来事を自分で納得するための言葉を声無く並べ、足早に帰路に着く。頬を拭った上着の袖には点々と跡が残る。玄関の扉を開けたときにはもう、家を出る前と変わらない自分。話した内容だけは、やけにはっきりと覚えている。
まとめ
着地点が思っていた感じと違くなったけど以上。説明した箇所にしても、そうでない箇所にしても、この曲がいかにaikoを放っているかがわかっていただけたかと思う。
一回目の乃木坂46時間TV『ガチバトル THE 歌王』にて、さゆにゃんこと井上小百合がaiko『桜の時』を歌っていたのを聴いて以来、彼女になんとなくaikoのイメージがあって、それも『当たり障りのない話』に抱いたイメージにも寄与しているかな、と。個人的に。
さゆにゃんが卒業する前に生で見たいなぁ…。バスラでやってくれるかなぁ……。
(追記)
全曲披露形式で無事披露されましたね。
行ってない日だから見れなかったけど……チクショウ!
以上。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。