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①『こんなに美しい月の夜を君は知らない』歌詞解説募集キャンペーン投稿録

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※当初、作成順に公開していた内容を『こんなに~』収録順に改めました。

君の名は希望(乃木坂46)

5thシングル『君の名は希望』は、言うまでもなく乃木坂46の代表曲です。ライブやテレビ番組で披露する機会も多く、いずれも重要な役割を託されてきました。

そして何より、歌詞が乃木坂46ならではのものです。後に『Sing Out!』という究極的な愛に辿り着く彼女達ですが、その序章とも言うべきメッセージが『君の名は希望』には籠められています。

そのメッセージは乃木坂46の到達点かつターニングポイントとして、今現在に至るまで色褪せないものです。

キーワードは〈透明人間〉です。その上で、以下のフレーズが示す「事実」が、この楽曲におけるもっとも重要なポイントと言えるものです。

〈僕の存在気付いてくれたんだ〉
〈厚い雲の隙間に光が差して/グラウンドの上/僕にちゃんと影が出来た〉

「スポットライト」な比喩に更に比喩を重ねたようなこのフレーズは、学生であろう〈僕〉と〈君〉のいる風景ともよく馴染み、また〈僕〉のハッとした心情を手に取るように感じられる、歌詞全体で見ても白眉と言える描写です。

そこで示されているのは「誰かに認識されることで自分は存在する」ということです。

まさに〈透明人間〉とも呼応している訳ですが、〈君〉によって認識されたことで初めて、〈僕〉は「自分が世界に存在する」と実感を持つことが出来たのです。そんな〈僕〉自身の心情によって〈僕〉はクッキリとした実体を獲得し、光を浴びた〈僕〉は影で縁取られるのです。

続く〈いつの日から孤独に慣れていたけど/僕が拒否してたこの世界は美しい〉とのフレーズでも〈僕〉の心情が示されています。自分一人の世界で〈孤独に慣れて〉生きてきた〈僕〉でしたが、〈誰か〉と共にいることの尊さを実感し、〈世界は美しい〉と言える程に気持ちを変化させたのです。

一方、気になる箇所があります。それは歌い出しの以下の歌詞です。

〈僕が君を初めて意識したのは/去年の6月/夏の服に着替えた頃〉

上では〈僕の存在〉が〈君〉によって認識されたことを書きましたが、こちらの歌詞には〈僕が君を初めて意識した〉とあります。〈初めて〉です。前後して〈転がってきたボールを無視してた〉〈僕が拒否してたこの世界〉とのフレーズもありました。

思うに、〈透明人間〉であった〈僕〉自身もまた、周囲に対して、興味関心を持たず(あるいは卑屈に陥り)、意識を向けていなかったのではないでしょうか。〈拒否してた〉とまさしく言っているように、自分からのアクションはおろか、むしろ壁を作る態度であったのではないかと想像できます。

であれば、この楽曲が示すメッセージとは「誰かに認識されることで自分は存在する」だけではありません。

それは「自分以外の他者がこの世界には確かに存在する」ということです。

つまり、〈誰か〉が自分のことを救ってくれるだけではなく、そもそもとして相互関係にあるということです。

差し伸べられた手を取るには、同じく自分も差し伸べなければ始まらないということです。

それを理解したことがまた、〈僕〉にとって目が覚めるような体験だったのでしょう。

サビの〈こんなに誰かを恋しくなる自分がいたなんて想像もできなかったこと〉とは、単に救ってくれた相手を好きになってしまって舞い上がっているということではありません。

他者の存在を認識し、それを受け入れる(られる)ようになったこと自体が〈僕〉の身に起きた奇跡であり、そんな〈自分〉のこともまた新鮮な思いで受け止めているように取れます。

そうした〈僕〉の様子は、2022年現在で見れば、26thシングル『僕は僕を好きになる』とも通じています。

『僕は僕を好きになる』の〈僕〉は、〈友達なんかいらないって思ってたずっと〉〈だけど消えてしまった笑顔はどうする?〉〈その背中を向けた世界は狭くなる〉〈やっとわかったんだ〉〈一番嫌いなのは自分ってこと〉〈僕は僕を好きになる〉と打ち明けていました。

他者との間に作っていた壁と、それが取り払われたことで〈僕〉に変化が訪れた描写が、ここまでの『君の名は希望』の読み解きと一致するように思います。

かねてから、『君の名は希望』の〈僕〉や〈君〉に乃木坂46のメンバーを当てはめることが出来るのではと考えていました。

グループが結成される前を振り返った時、人間関係に悩んだ経験を口にするメンバーも少なくありませんでした。そんな彼女達は、『君の名は希望』の〈僕〉の気持ちを理解出来る立場にもあったのではないでしょうか。また同時に、ファンとの相互関係において、時に〈君〉の役割を果たしてくれていたように思います。

そうしたシンクロニシティが、この楽曲とグループとの間にあるのだと思います。

だからこそ、他でもない本人達がそう感じるほどの「代表曲」として『君の名は希望』が育っていったのではないか、と思う次第です。

シンクロニシティ(乃木坂46)

乃木坂46の記念すべき20枚目のシングルである『シンクロニシティ』。この楽曲は、グループの方向性を決定づけた代表曲『君の名は希望』や、後に辿り着く集大成的作品『Sing Out!』などの流れにある、乃木坂46の本質ともいうべきメッセージが籠められた一曲です。

端的に表せば、そこに記されている言葉は「誰かに寄り添う」「悲しみを癒す」ものです。〈シンクロニシティ〉という言葉を「共感」「理解」と意味して用い、孤独を感じる人への思いやり、それによる救いや愛を描いています。

しかし、改めて歌詞に詳しく注目してみると、その様子は弱気なものです。むしろ歌詞中の〈僕〉がこそ、〈愛〉を求めているような状況が綴られています。

〈悲しい出来事があると僕は一人で/夜の街をただひたすら歩くんだ〉

〈すれ違う見ず知らずの人よ〉
〈少しだけこの痛みを感じてくれないか〉

特に1番、サビの前までのパートにこのように書かれています。サビでは〈言葉を交わしていなくても/心が勝手に共鳴するんだ〉と力強く宣言しているため見過ごてしまいそうになりますが、〈僕〉のその態度はむしろ「与える側」ではなく「与えられる側(欲している側)」であるとみて間違いないものです。

一方、サビでそうした描写がある割に、弱気だった〈僕〉がそのような確信に至った根拠となる情報が記されていない事もポイントのように思います。

サビ前のパート、そしてサビで書かれていることは上記の通りでした。2番に入ると、一転して冒頭から以下のように綴られています。これは、サビを経たうえでの「希望」に満ちているように取れます。

〈皆が信じてないこの世の中も/思ってるより愛に溢れてるよ〉

つまり、〈僕〉のこうした想いの背景として、何か「出来事」が示されていないのです。価値観が変わるほどの出来事や出会いに見舞われた(それによって認識を変えた)、という背景が歌詞中には存在していません。

そうなると、遡って1番サビ直前のフレーズに注目せずにいられません。そこにはこう記されています。

〈この気持ちがわかるはずだ/シンクロニシティ〉

前譚で〈悲しい〉〈痛み〉と零していた〈僕〉ですが、それをこの時点でいきなり〈わかるはずだ〉と言い切っているのです。問い掛けるような言葉ですが、そこには妙な確信があります。

それは「同じ想いを抱えた人がきっといる」という確信です。

辛い想いや悩みを抱えていた〈僕〉は、何かのきっかけでそれを理解したというより、ハナから「自分と同じ気持ちの人がこの世界にいる」と確信しているのです。

「背景がない」と書きましたが、それは歌詞の中で綴られた物語(や〈僕〉の言葉)にのみ注目した場合でした。

これを「乃木坂46からのメッセージ」として捉えた場合、話は変わります。「背景」を楽曲の外から見出すことが可能になるのです。

そこには、これまでの楽曲が当てはまるのではないでしょうか。それは冒頭で名前を挙げた『君の名は希望』であったり、連なるシングル曲『今、話したい誰かがいる』、更には『誰かは味方』『悲しみの忘れ方』などの楽曲も含めて良いように思います。

そうした積み重ねを乃木坂46は決して短くないキャリアの中で行ってきました。その積み重ねを根拠に、20枚目である『シンクロニシティ』の中で〈この気持ちがわかるはずだ〉と言い切ることが出来るのではないでしょうか。

加えて、〈僕〉の零した〈悲しい〉〈痛み〉をも乃木坂46は理解することが出来るはずです。グループ結成あるいは加入以前、人間関係に悩んだ経験や、苦しい想いをしたことを後に明かしたメンバーは少なくありません。

だからこそ「寄り添う」ことが出来るのでしょう。まさに〈シンクロニシティ〉ですが、理解しているからこその共感を彼女達は届けることが出来ます。

同時に〈悲しい〉思いをした張本人でもあるのです。それを〈この気持ちがわかるはずだ〉と力強く放てる説得力を、乃木坂46の活動以前の経験や、活動を通した積み重ねによって強固なものに育てています。

上では〈シンクロニシティ〉という言葉を「共感」「理解」と訳してしまいましたが、むしろ「言わなくても/聞かなくても知っている」くらいの意味なようにも思います。

この楽曲が示しているメッセージは、単に「君の気持ちがわかる」ということではありません。「同じ気持ちを持った自分がここにいる」ということです。「共感」や「理解」に収まらない、「一人じゃない」というメッセージです。

これほどまでに「寄り添う」ものは無いでしょう。ある意味、『Sing Out!』程のスケール感ではどうにも為しえない、どこまでもミクロなメッセージです。

それを一筋の〈涙〉で表す、ひっそりとした締めくくりもまた秀逸です。乃木坂46の理念や意義が、どこまでも個人に寄り添ったものであることを示しているように思います。

不協和音(欅坂46)

『不協和音』は、欅坂46(現・櫻坂46)のグループの方向性そのものと言うべき楽曲です。1stシングル『サイレントマジョリティー』を更に深化させたような、彼女達が進んだルートにおいて、良くも悪くも「引き返せない」ところまで導いてしまったのが本曲の及ぼした影響と言えます。

それは、極端に言えば「闇堕ち」のようなものです。その後長く続くことになる、MVやテレビ・ライブ出演時の殺伐とした雰囲気、余裕のない様子、極限状態とでも表現できそうなその状態は、『不協和音』の以前・以後で区分け出来てしまえる程です。

(一転してクールかつ軽快でアッパーになった『風に吹かれても』でも、それは引き戻すことはできませんでした。)

ともかく、単体で見たときの楽曲のクオリティやメッセージ性の強さは屈指のものですが、欅坂46のヒストリーの一部としては、手放しで称賛し難い存在感を持つと言えます。ハッキリ言えば、ネガティブな(方向に進んだ"元凶"のような)イメージを持ってしまっている楽曲です。

しかしながら、その中身をよくよく見てみると、それは決して邪悪なものではありません。

むしろ、「虐げられている人」に寄り添った優しささえ見出せるものです。それは『サイレントマジョリティー』から既に始まっていた、欅坂46が届けようとしていた切実なメッセージです。

〈僕はYESと言わない〉

いかにも「反発」な宣言からこの楽曲は始まります。〈首を縦に振らない〉と続きますが、一見するとその態度は、のっけから強情と言えるものです。

しかし実際のそれは、強情と言うより、むしろ「確固たる心情」と言えます。〈僕〉は何も、法やルール、モラルを拒否している訳ではありません。その対象は「常識」「空気」だと吹聴されている〈既成概念〉です。それに対して〈僕〉はNOを突き付けているのです。

〈僕〉は自らを〈不協和音〉と例えていますが、むしろ「和音」に当たる存在がこそ、安易にその後を追うべきではないものです。

そうした周囲との(関係性の)断絶も以下のように示されています。

〈見えない壁が出来てた〉

〈見て見ぬ振りしなきゃ仲間外れか〉

〈仲間外れ〉に追いやられた〈僕〉は、つまるところ「孤独」な状況にある訳ですが、それでも折れて迎合することはありません。むしろ、折れるくらいなら死なば諸共とでも言うような態度を貫きます。

〈支配したいなら僕を倒してから行けよ〉

〈欺きたいなら僕を抹殺してから行け〉

それほどまでに一貫したスタンスの〈僕〉です。どこまで行っても少数派にあり続けるであろうことが想像できます。

こうした〈僕〉が描かれているのが『不協和音』という楽曲です。具体的な思想や、正義・非正義が示されている訳ではなく、「1対多数の構図にあっても折れない姿」そのものがシリアスなサウンドに乗せて描かれています。

そのような姿は、短絡的な(ポーズとしての)「孤独」の肯定ではありませんが、しかし「そうであって良い」というメッセージでもあります。

いきなり飛躍しますが、広く見れば、語り口が異なるだけで乃木坂46の『シンクロニシティ』と似たメッセージとも言えます。

あちらは、〈誰か〉と〈抱え込んだ憂鬱とか胸の痛み〉を分かち合う(分かち合える)ことを謳っていますが、一方で歌詞中の〈僕〉が〈悲しい〉〈痛み〉と、それを元から抱えていることを吐露してもいました。

だからこそ〈一緒に泣く誰かがいて乗り越えられるんだ〉と強く言い切れてもいます。同じ想いを抱えている人に対して「僕も同じ気持ちでいる」と信号を発している楽曲であるのです。

〈世界中の人が誰かのこと思い浮かべ/遠くの幸せ願う〉と言うように、物理的に至近距離にいなくとも、「同じ想いを持った人が存在する」ことを糧にしてその想いを〈乗り越えられる〉と励ますメッセージが籠められた楽曲です。

『不協和音』も本質は同様ではないでしょうか。取りまとめれば、こちらもあちらも「同じ想いを持った人が存在する」ことを発信しています。

〈理不尽なこと〉〈大きなその力〉への抵抗を示している『不協和音』ですが、それは上述したように、法やルール、モラルに反する態度ではありません。そしてその姿はただ単に「抵抗してやったぞ!」と見せしめるものでもなく、他者へのメッセージとして〈意志を貫け〉と叫ぶものでした。

そういった意味では、〈僕は〉と繰り返していること自体が「遠くの誰か」に対する意思表示です。

〈僕はYESと言わない〉

〈僕は嫌だ〉

これらの言葉は、歌詞中で指した〈君〉ではない、聴き手である「君」に対して「僕はこうする、じゃあ君は?」と投げ掛けるものです。同時に、「こうする僕が確かにいるから、」と肩を抱くものでもあります。

手を差し伸べるのか、背中を見せつけるのか、その違いがあるだけで、この2曲は同じ主張をした優しさに満ちた楽曲であるように思うのです。

語るなら未来を…(欅坂46)

『語るなら未来を…』という楽曲は、「過去よりも未来に目を向けるべきだ」とメッセージを発しているように思います。

歌詞を読む限りそう読み取って間違いなさそうですが、曲調も含め、全体的な雰囲気はどこかシリアスです。「未来」を謳っている割には、それらしい明るさや前向きさとは程遠い印象を受けます。

よくよく見ると、現れるワードも不穏さを感じるものが並びます。「だから進むしかない」という論調ですが、にしてもネガティブなニュアンスを感じてやみません。

〈割れた〉

〈戻せない〉

〈意味がない〉

〈終わった〉

〈そこに無い〉

これらは〈過去〉の要素から派生したものですが、〈振り返る余裕ない〉〈腹立たしさとか悔しさは思い上がり〉と続くように、むしろ後ろ髪引かれているような様子さえ見出せます。

〈過去〉に対する「未練」「後悔」、それへの「諦め」がこそ、この楽曲で本質的に描かれていることであるように思います。それを強引に振り払そうとしているからこそ、〈語るなら未来を…〉と自らに言い聞かせているのではないでしょうか。

裏を返せば、そうした「未練」「後悔」が「確かにある(拭い切れない)」姿そのものが描かれているように思います。

その「未練」「後悔」の根源たるものは、明言されてはいませんが、〈ガラス瓶〉と例えられています。それが〈割れた〉場面から歌詞は始まっていますが、〈割れた〉理由を以下のように語ります。

〈不意だった/ただのアンラッキー〉

あくまで不運な出来事であったと言います。しかしここからも、「自らに言い聞かせている」雰囲気を感じてしまいます。「言い聞かせる」言葉は、以下のフレーズも当てはまるように思います。

〈終わったんだ〉

〈誰のせいでもないだろう〉

〈しょうがない〉と続きますが、〈もう失った人生なんて語るな〉〈今だから言えることは語るな〉との言葉と心情がリンクしているように思います。

あの時こうしていれば、とか、本当はこういうつもりだった、とか、そういった言い訳や後出しを封じる言葉です。ある意味「結果がすべてだ」と潔くも見えますが、しかしスッキリした様子には思えません。

むしろ、〈ガラス瓶〉と例えていた某が失われたことで湧き上がる気持ちを抑えるために、元々の想いを否定、あるいは矮小化しようとしているようです。「大したことじゃなかった」「無理なら無理で、別に」と軽口でごまかしているような雰囲気です。

〈何が入ってたかなんて明かしても意味がない〉

〈言葉にすれば安い願望とオーバーに盛った真実〉

しかしながら、本音はそうではありません。終盤、〈ガラス瓶〉に当てはまるものの答えをやんわりと吐露しています。

〈人は心の中にガラスの瓶がある〉
〈愛や夢を詰め込んで割らぬように大事に守っているけど〉

それが覆っていた殻を破って飛び出してしまいそうになったところで、気を持ち直して再び「自らに言い聞かせる」言葉を繰り返すのです。

〈もう失った人生なんて語るな〉

〈今だから言えることは語るな〉

〈過去など自己嫌悪しかない〉との言葉には、頭に「どうせ、」と付けて口にしていそうです。あくまで〈振り返る余裕ない〉と嘯く「僕」(とは書かれていませんが便宜上)は、自分をせっつくように〈語るなら未来を…〉と言い通し続けるのです。

ここまで、『語るなら未来を…』の歌詞を、「僕」の自らへの言葉として読み解いていきました。

そうではなく、仮に聴き手に対しての言葉であると受け取ることも可能です。しかしそうであった場合、辛辣と言うか、非情すぎるように思います。

それこそ「未練」を強引に断ち切らせるような論調です。実際は、確定した結果があったとしても、振り返ることで次に繋がる目標が生まれたり、分析が出来たりするものです。

というか、「僕」の自らへの言葉であっても、それは同様です。前を向こうとしているのかもしれませんが、その様子は強情と言わざるを得ない視野の狭いものです。

気を張って強情でいる分、むしろその後ろ姿からは悲しみや苦しみが滲んでしまっています。

ある意味、そんな「僕」の小さな背中を反面教師として、「過去を振り返る」「(叶わなかった)夢や想いと向き合う」ことを謳っているようにも思えます。

『語るなら未来を…』とは、その実、「時には過去を」というメッセージであるのかもしれません。

永遠の白線(けやき坂46)

『永遠の白線』は欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されています。

当時けやき坂46は、欅坂46のアンダーメンバー的な立ち位置で活動しており、単独でCDをリリースすることはなく、今回も欅坂46名義のアルバムに収録される形で楽曲を発表していました。

ドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』を始めとして、その立ち位置や活動的制約などの自身らを巡る状況について、本人たちが複雑な思いを吐露する場面も少なくありませんでした。

アルバムの後に発売された5thシングル『風に吹かれても』で欅坂46の選抜メンバーに加わる話も一度上がったようですが、公表されることなく、あくまで2つのグループとして分かれたまま活動を継続していきました(詳しい背景は不明ですが、当時からして正しい判断だったと思います)。

そんなけやき坂46は、言ってみれば「線を引かれた者達」でした。

線の外側に追いやられ、上記のような苦労を身に受け、自身らの存在価値を見失いかけたこともあったと言います。

その渦中にあったタイミングに与えられたのが『永遠の白線』という楽曲です。こうした背景を踏まえて聴いてみると、彼女達へのちょっとしたエールのように聴こえてしまいます。

〈白線/どこまで引くのか?〉
〈校庭を真っ直ぐに進んで/このまま途切れずに続いて行く未来〉

2番の歌詞に注目するところから始めると、想像しやすいように思います。

〈野球部の補欠達〉
〈声を枯らし身構えるけど/ボールに無視されている〉

〈汗をかいたその分/願い一つ叶えばいいけど〉
〈取り残されて終わるだけなんだ〉

〈野球部〉を例えに現れる〈補欠〉という表現が、もはや直接的すぎるくらいと言っても良いでしょう。けやき坂46の彼女達を重ねてしまう部分です。

一見ネガティブな言葉が並んでいますが、何も〈補欠〉である存在に対して、無駄だと言い捨てたり、揶揄して嘲ったりしている訳ではありません。そこに続く言葉こそ本質です。

〈そう人は誰も皆/自分から諦めてしまう〉
〈よく頑張ったと言い訳が出来ればいいのか?〉

そこで諦めてはいけない、というエールです。補欠だからダメだということではなく、その状況に甘んじて、声掛けだけで頑張ったつもりになってはいけない、ということです。

だからこそ、以下のようにも言います。

〈教室の片隅でガラス窓を開けてみたって〉
〈本当の風は入らない〉

〈教科書をめくるほど/強い風が吹くわけでもなく〉
〈無力な僕は溜め息しか出ない〉

教室の隅で、窓際でただ待っているだけでは、〈強い風〉はやってこないと言います。〈風〉と〈溜め息〉の対比が秀逸です。ここに続くように、その弱々しい姿を変えるのなら自分から動かなければ、と背中を押す言葉が爽やかに紡がれます。

〈授業が終わったら/制服を脱ぎ捨てるように〉
〈さあ外に出て新しい世界を探そう〉

それを踏まえたサビの歌詞は、明るいものに聴こえます。

〈白線/どこまで引くのか?〉
〈校庭を真っ直ぐに進んで/このまま途切れずに続いて行く未来〉

〈白線/どこまで引くのか?〉
〈永遠はこの先にあるのか/空の下で何度も問い掛けてみる〉

上では「線を引かれた者」「線の外側」と表現しましたが、ここでの〈白線〉とは、むしろそれを辿って進んでいく道標のように用いられています。

〈何度も問い掛けてみる〉と言うように、その先に待ち受けるものは確定的ではありませんが、明るい言葉であろう〈永遠〉に想い馳せています。

〈夢と石灰はまだ残ってるはず〉
〈誰も行っていない永遠はこの先だ〉

〈石灰はまだ残ってるはず〉と、その〈白線〉は自ら引いているものだとも読み取れます。〈白線〉は上下や優劣を区別するものではなく、「それぞれの道を行く」と比喩されるものに当てはまるように思えます。

事実、〈自分の方から立ち止まれないだろう〉〈僕らの前に永遠の白線がある〉と、これから先も歩み続けることを示されています。

奇しくも、けやき坂46に次与えられた楽曲は『それでも歩いてる』でした。あちらも力強い言葉を繰り返した前向きなエールのような楽曲です。このささやかなリンクも相まって、『永遠の白線』が前向きで明るい未来に進むための楽曲であるように思えてなりません。

この当時のけやき坂46のメンバー達は活動が思うようにいかない事もあったかとは思いますが、現在の日向坂46としての目覚ましい活躍は、『永遠の白線』を歌っていた頃から地続きにあるように思います。

『こんなに美しい月の夜を君は知らない』、幻冬舎より発売中。

その2。


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