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④『こんなに美しい月の夜を君は知らない』歌詞解説募集キャンペーン投稿録

これのその4。

(その3)

※当初、作成順に公開していた内容を『こんなに~』収録順に改めました。

僕は僕を好きになる(乃木坂46)

3期生メンバー・山下美月さんをセンターに迎えた26thシングル『僕は僕を好きになる』。これは乃木坂46が新章に突入する第一弾として用意された楽曲であると感じています。

『君の名は希望』や『シンクロニシティ』で発信してきたメッセージの究極系である『Sing Out!』、グループの重要メンバーの一人であった白石麻衣さんを盛大に送り出す『しあわせの保護色』など、直近のシングルには集大成的な作品が名を連ねていました。

これに続くシングルとして、その方向性を更に突き進めていくのではなく、(グループの世代交代に準ずるように)新たなストーリーを始めるための1曲として『僕は僕を好きになる』が作られたのではないでしょうか。

実際、ゴスペルチックな楽曲に乗せて愛と平和を謳った『Sing Out!』の地続きのメッセージとして『僕が僕を好きになる』があるとは言い難いように思います。

むしろ『Sing Out!』で救われる(べき)一人として『僕が僕を好きになる』の〈僕〉がいる、くらいに見た方がしっくりきます。

そんな『僕が僕を好きになる』には、周囲に心を閉ざした〈僕〉が描かれています。思わずヒヤッとしてしまいそうな言葉がそこには綴られています。

〈今一番嫌いな人とその理由も〉

〈無視されたら無視してればいい〉

〈友達なんかいらないって思ってた/ずっと〉

これらからは、思わず『新世紀エヴァンゲリオン』を想起してしまいますが、「他人への拒絶感」が見られます。「傷つくくらいなら逃げ出した方が良い、関わることから拒絶した方が良い」という態度にさえ思えるものです。

その強情な態度に〈僕〉自身が違和感を覚える様子も描かれています。拒絶して心を閉ざしてハイ終わりで本当に良いのだろうか、という自問自答です。

〈その背中向けた世界は狭くなる〉

〈誰にも気付かれない痛みや叫びを/書き出したらなんて陳腐な言葉の羅列なんだ〉

〈死にたい理由ってこんな些細な事だったのか?〉

その自問自答を経て、陥った心境について〈僕〉は以下のように答えを出します。

〈傷つきたくなくてバリア貼ってただけ〉

〈生きにくくしてる張本人は僕だ〉

〈一番嫌いなのは自分ってこと〉

他でもない自分自身が周囲に対して壁を作っていたことを自覚したのです。

〈そんなに悪い人はいない/やっとわかったんだ〉という箇所からも、〈僕〉の置かれた環境が元からそう悪いものでなかったことも示唆されています。

そうして〈僕〉の新たな一歩として、タイトルに集約されていきます。これは曲全体のテーマと言うよりも、この物語を通して至る境地と言うべきものです。

〈僕は僕を好きになる〉

歌詞全体で特徴的なのは、これまでの楽曲と対比するとわかりますが、「〈僕〉が自分の力で踏み出している」という点です。

例えば『君の名は希望』は〈僕〉が〈君〉の存在に救われるものでした。『シンクロニシティ』や『Sing Out!』では逆に〈僕〉こそが〈誰か〉を救おうとする様子が描かれています。

『僕は僕を好きになる』の場合、そのどちらでもありません。「ノートに書き出す」という行為をもって、〈僕〉が〈僕〉自身の過ちに気付く物語です。

これにはある逸話を重ねてしまいます。

「鉄鋼王」と呼ばれたアメリカの実業家、アンドリュー・カーネギーの逸話です。

あるとき彼は自殺を決意しました。しかし実行する前、「自殺の理由となる悩みが実際いくつあるだろう」とノートに書き出してみました。

1000はくだらない、とアンドリューはペンを走らせましたが、70辺りで手が止まったのです。

更に書き出した内容を見ると、解決の糸口があるものも含まれています。そこでアンドリューは書き出した悩みを重みづけする作業だけ行い、その後妻と食事に出たというのです。

『僕は僕を好きになる』の〈僕〉が行った作業はまさにこれではないでしょうか。抱えていた悩みを整理して具体化、言語化することで初めて〈僕〉は自身の悩みの大きさや中身を知ったのです。

Dメロの歌詞で謳っているのは、それそのものです。むしろ〈僕〉が他者に、自分が立ち上がるきっかけとなった方法を届けようとしているようです。

〈辛いことがあったら/心に閉じ込めずに/ノートの上書いてごらん〉

〈ハッとするよ/大したことない/箇条書きした不安破り捨ててしまおう〉

これまでは他者の存在に救われ、救う物語を綴ってきた乃木坂46でしたが、その新章においては、自分の力で立ち上がる姿が描かれました。

もちろんそれを他者に届けることも引き続き行われますが、この楽曲によって、乃木坂46のメッセージが新たなステージに進んだことを確信しても良いのではないでしょうか。

気づいたら片想い(乃木坂46)

『気づいたら片想い』は、乃木坂46の8thシングルにして、西野七瀬さんが初めてセンターを務めた楽曲です。

西野さんはグループ在籍当時中心人物の一人だったと言って間違いないと思いますが、個人的な印象として、そのような存在に「なるべくしてなった」というよりは「時間をかけてその方向に進んでいった」風に感じています。

例えば、1st『ぐるぐるカーテン』からセンターに選ばれた生駒里奈さんのような「抜擢」のストーリー性でもなく、初期から雑誌の専属モデルとして一人活躍していた白石麻衣さんのようなある種「君臨」するスター性に基づくものでもなく、抽象的な表現になりますが「種から芽が出て花を咲かせた」ようなプロセスを踏んだ印象を受けます。

あくまでも極端な例の挙げ方ではありますが、あながち間違いではないようです。

秋元先生が『乃木坂46のオールナイトニッポン』に出演した際、パーソナリティ・久保史緒里さんとの会話の中で西野さんについて語った内容がそれを示しています。

曰く「ファンから教えられた」とのことでした。当時の握手会の申し込み状況の盛り上がりを例に挙げ、彼女の人気を(予期せずして)目の当たりにしたように語られていました。

つまり『気づいたら片想い』でセンターに選ばれたことは、おそらく"プロデュース"による采配というより、気づいたら「それにふさわしい存在になっていた」といった背景があると言えるように思います。

そんな西野さんの歩みがあったわけですが、まさにそれが『気づいたら片想い』の歌詞に重ねられているのではないでしょうか。

〈気づいたら片想い/いつの間にか好きだった〉

西野さんが自然に存在感や支持を増していった様子を〈気づいたら片想い〉と表現しているように思います。というか、彼女のそのような道程から〈気づいたら片想い〉という言葉が導き出された、とした方がもしかしたら正確だったりするかもしれません。

そんな流れで誕生した(であろう)『気づいたら片想い』は、乃木坂46のシングル表題曲にしては珍しく女性目線で歌詞が描かれています。

〈だめよ/あなたがどこにいるか気になるし〉
〈無理よ/電話かけて声を聴きたい〉
〈いやよ/あんなに苦しくてつらい日々〉
〈涙だってもう涸れた/今の私よ〉

所謂"恋愛ソング"である楽曲はそれまでにも一定数発表されていましたが、女性目線の、しかも何やら悩ましげな様子が描かれています。

『おいでシャンプー』のような瑞々しく淡い恋心という感じでもなく、『制服のマネキン』のようなエネルギッシュで暴走気味に関係性の進展を求めるものでもなく、〈私〉は自分の想いを認めようとせず頑なで、どこか疲れたような印象も受けます。

その背景は歌詞に記された内容からおおむね理解することが出来ます。恋愛に積極的でなくなる程度の過去を〈私〉は歩んできたことが示されています。

〈人は生まれて何回の出会いがあるの〉
〈今度こそ運命だなんていつも信じて〉
〈それでもなぜかすれ違って傷ついて〉
〈絶対恋なんかするもんかとあれから決めていたのに〉

とは言え、具体的な物語はさほど重要ではありません。これは〈気づいたら片想い〉というワードの威力を高めるための背景設定です。詳細な描写を重ねることで、〈私〉の心境を伝えるためのものです。

その極致として、大サビで怒涛に転調する箇所が挙げられます。

〈気づいたら〉
〈気づいたら〉
〈気づいたら片想い〉

楽曲的にも音程と共に大いに盛り上がっていきますが、同時に歌詞中の〈私〉の想い(の高まり)と密接にリンクしており、その気持ちの動きを聴き手が感覚でも理解することが出来る珠玉のパートです。

過去の傷が癒えないまま、〈でも〉〈だけど〉と繰り返してきた〈私〉でしたが、それでも〈あなた〉の想いが抑えられず、遂に……という物語が見事にメロディによって演出されています。

そのような形で「高まり」を仕立て上げてみせることが、『気づいたら片想い』の一つの意義であったと個人的に理解しています。

そのような形で「高まり」を仕立て上げてみせることが、『気づいたら片想い』の一つの意義であったと個人的に理解しています。

つまるところ「西野さんの増していった存在感や魅力」という冒頭の話に帰結するのですが、『気づいたら片想い』とはそれをそのまま象徴的に楽曲化したものではないでしょうか。

5thで一つの到達点を迎えて以降3度目の「新センター」であった『気づいたら片想い』は、「初のセンター交代」「新メンバーの抜擢」とあった前2作と比べて、今作はまた違う意味合いを持っていたように思います。

後にも複数に渡ってセンターを務める西野さんは、グループにおける「主人公」の一人だとも称されていました。

そんな彼女がいよいよストーリーに参入するタイミングにおけるテーマソングのように、西野さんの存在そのものにフォーカスを当てた楽曲が産み出されたのではないでしょうか。

三角の空き地(乃木坂46)

乃木坂46のシングル表題曲と、同シングル収録のアンダー楽曲は、対になった関係にあると常々感じていました。

それは単にセットになるという意味ではなく、「楽曲のテーマ、メッセージも共通している」ように思います。

21thシングル『ジコチューで行こう!』 に収録されたアンダー楽曲『三角の空き地』の関係もまた、それに則したものであると考えます。

突き抜けるほどポップでテンションの高い『ジコチュー』と、耽美な世界観の中に悲しみが漂う『三角の空き地』とでは、一見似ても似つかないように感じます。

しかし、「楽曲のテーマ、メッセージも共通している」とは、楽曲として似通ったものである必要もなく、もっと言ってしまえば同じ言い方をしている必要もありません。

『三角の空き地』は『ジコチュー』のメッセージを真裏から語ることで辿り着いた悲しい結末を描いています。いわば、2曲でハッピーエンドとバッドエンドのそれぞれを描き、「(だからこそ)こうするべきだ」と語っているように思うのです。

そもそも『ジコチュー』はタイトルの通り、自分の意志を貫き通すことを強く推すメッセージを放っていました。

〈周りなんか関係ない〉

〈やりたいことをやるんだ〉

〈ジコチュー〉とは言葉通りの「自己中心的」という意味ではありません。「周りに気を遣って、自分の本当にやりたいことを押し殺す必要はないんだ」というメッセージを孕んだものです。

「自分のことを一番に考えていいんだ」と明るく断言するこの曲は、おそらくキャリアを重ねた当時の1期生をはじめとした乃木坂メンバーに贈られたものではないでしょうか。

この点を深掘りはしませんが、乃木坂46というグループが成熟したタイミングにおいて、個々のメンバーの内にある新しいステップに進みたい想いに対して、背中を押すために『ジコチュー』という楽曲があるのではないかと思います。

一方、『三角の空き地』です。この曲は「背中を押す」ものではないでしょう。しかし「やりたいことをやる」に関しては、その一側面が描かれているように思います。

この曲は〈僕〉と〈君〉の恋模様、おそらく既に別れを経験した後の様子が描かれており、『ジコチュー』と比べて、比喩の割合が高いものです。歌詞の登場人物に直接乃木坂46(のメンバー)を当てはめ難いように思います。

そんな歌詞で多く語られているのは〈僕〉の後悔する言葉です。

〈ああ遠回りすればよかった〉

〈何も気づかなかった僕のせいだよ〉

〈あの時その理由を聞いてあげてたら〉

〈水をあげる事さえ忘れていたよ〉

「~すればよかった」という表現に象徴されますが、〈僕〉は「すべきことをやらなかった」故に〈君〉と離れることになったと想像できます。

「やりたいことをやる」をポジティブに謳った『ジコチュー』に対し、「すべきことをやらなかった」(ことで悲しい結末を迎えた)『三角の空き地』、という対比です。

歌い出しには〈雑草伸び放題の三角の空き地〉とあります。これは、Y字路に差し当たった時の真正面、文字通り「分岐点」で立ち止まった時に目の前にある空間のことではないでしょうか。〈僕〉は何もせず、そこから進まず佇んでいるのです。

選択肢のどちらも選ばなかった(選"べ"なかった)末路が『三角の空き地』では描かれており、またタイトルがその場面を象徴的に切り取っているのです。

『三角の空き地』の〈僕〉も、結末を迎える前に行動していたら、違う未来に向かうことが出来ていたかもしれません。表題曲とアンダー曲の2曲でこうした表と裏を描くことで、より「やりたいことをやる」ことの尊さを際立たせているように思います。

沈黙した恋人よ(けやき坂46)

『沈黙した恋人よ』は、けやき坂46の初となるユニット曲です。構成メンバーの歌唱力はもとより、杉山勝彦さんの手掛けた美しいメロディも相まって、グループの楽曲の中でも特に人気を獲得しているように思います。

歌詞もそれにふさわしく美しい風景を描写しています。冒頭から描かれるロケーションは、山に沿ってうねるカーブと、水平線で交わって大きく広がる青い空と海を思わず想起します。

〈岬の灯台/海原見下ろしながら〉
〈眩しい日差しに時折瞳細める〉
〈中古のバイクでどれだけ走ってきただろう〉
〈汗ばむTシャツ/太陽を吸い込んだ〉

肌を撫でる潮風、たなびくシャツの裾、波打ってキラキラと光る海面、焼けた車道のコンクリート。どこかノスタルジックでもある初夏の風景です。2人乗りのバイクが海沿いを走る様子が映像として浮かび上がります。

〈いつもの国道/いくつのカーブ曲がれば〉
〈重なる身体はバランス取り戻すかな〉
〈風切るバイクのエンジンの振動が〉
〈好きだって語っていた君の口数が減ったよね〉

そんな風景の中にいる〈僕〉と〈君〉は、何だかぎこちなく、大して言葉を交わすこともない様子です。付き合いの長さが自然とそうさせてしまったようですが、言ってしまえば「倦怠期」のような状態にあるようです。

〈僕らが変わったこと/ふと気づかされる〉
〈この沈黙〉

〈傍にいることが当たり前で〉
〈そう愛し方を忘れてしまった〉

そんな「あの頃から変わってしまった」様子の2人の描写と、揺るぎなく美しいエヴァ―グリーンな自然風景の描写とが、絶妙に対比されています。それはもはや残酷なくらいですが、その分〈僕〉の居心地悪さを引き立て、聴き手にもそれが伝わるようです。

〈僕〉は季節が終わる頃に思い馳せ、導き出すであろう結論を胸の中で確かめます。

〈この夏が去ってゆく頃に〉
〈僕らは見つめ合って答えを出すんだ〉
〈そう/さよなら〉

それは、もの悲しい結論です。2人のすれ違いも示されますが、その様子は理解し合っているようで、本音を伝え合えないまま積み重なってしまったものであると言います。

〈君は話そうとした/僕も話そうとした〉
〈だけどお互いを想いすぎて何も言えなかった〉

〈もっと素直になれば/きっと言葉に出来た〉

そこはかとない未練も感じさせますが、〈僕〉の想いは終盤に向かっていくにしたがって、大きく膨らみます。それこそ「自分の本当の気持ちに〈耳を傾け〉る」様子が描かれます。

〈沈黙し始めたどこかの恋人たちよ〉
〈言葉に出来ない/その胸に耳を傾け〉

〈トンネルに入る前に〉
〈風の中で/本当のこと/君と僕は何を伝える?〉

〈何を〉の正体こそわかりかねますが、〈僕〉がどういった答えを出したか、これからどうするのかはラストにおいて示されています。

〈傍にいることが当たり前で〉
〈それがダメだ〉
〈どんな時も愛を感じよう〉
〈話さなきゃわからないんだ/黙ってちゃ夏は終わるよ〉

〈夏〉とは〈愛〉のメタファーでもあったことを、ここで理解できます。そうであれば尚更、重ねて描かれた爽やかな風景描写が美しい意味を持ちます。

『沈黙した恋人よ』で描かれた〈僕〉と〈君〉の物語はこのようなものでありました。ストレートなラブソングではなく、複雑な関係と心情がそこには記されていました。

これで締めくくっても良いですが、軽い蛇足として、この楽曲が持つのかもしれない意味について書き加えます。欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』(のタイミング)に収録されたことから見出せるものです。

構成メンバーの5人は、アルバムの後発表された新シングル『風に吹かれても』の選抜メンバーとして参加する予定があったと後に明かされました。

身もフタもない表現をすると、この楽曲は「伏線」のようなものであったのかもしれません。ここで描かれた〈僕〉と〈君〉の歯がゆい関係性は、欅坂46とけやき坂46の微妙な立ち位置や距離感と重なる、と言ってしまうことが出来てしまいます。

同アルバム収録の『太陽は見上げる人を選ばない』や『危なっかしい計画』、『ここにない足跡』、『夏の花は向日葵だけじゃない』など、「夏」のフィーリングが各楽曲には含まれています。

単に発売時期に由来するのではなく、上記したような形で、この「夏」のフィーリングもまたグループ全体の何がしかを表すメタファーであったと読むことも可能です。

そうだとしたら、〈僕〉と〈君〉がそうであったように、『沈黙した恋人よ』は2グループが辿るかもしれなかった一つの未来を示す楽曲であったのかもしれません。

夏の花は向日葵だけじゃない(欅坂46)

当時グループ活動を休止していた今泉佑唯さんの復帰作として、欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されたソロ楽曲『夏の花は向日葵だけじゃない』です。

その背景とも重なるように、艶やかなバラードに乗せて「あなたの存在が必要なんだ」というメッセージが込められているように思います。

タイトルは『夏の花は向日葵だけじゃない』でおり、一見「他にもたくさんの魅力的な花がある」と謳うものである印象を受けます。しかしいざ歌詞を読んでみると、それを語った上で「でも、」としている内容です。

〈夏の花は向日葵だけじゃない〉
〈いろんな種類の花が咲いてるのに〉
〈目を閉じると浮かんでくるのは〉
〈風の中揺れている/Sun flower〉

〈綺麗なのは向日葵だけじゃない〉
〈他にも目立たない花も咲いてたのに〉
〈あなたじゃなきゃ駄目と思った〉
〈愛しさを思い出す/Sun flower〉

「それでも思い浮かぶのは〈Sun flower〉=向日葵だ」と言います。〈あなた〉に対しての〈恋〉〈愛〉を題材に物語が進む中、おそらく〈別れ〉を一度経たのでしょう、〈新しい恋をした〉とも語りますが、それでも〈あなたじゃなきゃ駄目と思った〉と打ち明けます。

そんな〈あなた〉のことを、〈いろんな種類の花が咲いてる〉〈他にも目立たない花も咲いてた〉とする中、ふと浮かんでくる、思い出さずにいれれない〈向日葵〉であるとしています。

個人的に好きなパートが以下です。〈私〉が抱いている〈あなた〉への想いがテクニカルに表現されています。

〈人はその一生の間に何回口づけするのでしょう?〉
〈振り向いて思い出せる程の〉

〈口づけ〉とは数々の〈恋〉を表しているものです。それは一見、〈私〉がこれまで経験したもので全てを振り返っているフレーズと見ることができます。

しかしそこに続く〈振り向いて思い出せる程の〉が、倒置法的に〈口づけ〉に重なっていきます。〈思い出せる程〉大切な〈口づけ〉=〈恋〉とは、他でもない〈あなた〉との間で交わされたもののみを意味していることが明らかになるのです。

〈振り向いて思い出せる程の〉で後から補完されることによって、前半のパートが示す〈恋〉のフォーカスが一気に絞られていく訳です。美しい流れで「心にあるのはどこまでいっても〈あなた〉なのだ」と示している秀逸な歌詞なのです。

さて、そのように記されている限りでは、この楽曲はある種「王道のラブソング」と言えるかもしれません。〈私〉から〈あなた〉への運命的な想いを綴ったロマンチックな歌詞です。

一方、そのモチーフである〈向日葵〉が〈あなた〉の事ではないと読むことも可能です。

〈太陽をじっと見つめて恋をする黄色い花〉
〈もうあなたのことしか私には見えなかった〉

Dメロに当たるこのパートは、「太陽を見つめる黄色い花」のことを「あなたの事しか見えない私」と当て込んでいます。前者は明らかに〈向日葵〉ですから、それを「〈私〉である」としていることになります。

もちろん、「正解はどっちだ」という探り方をする必要はないでしょう。むしろ「〈あなた〉も向日葵であり、〈私〉も向日葵である」とした方が素敵です。隣同士並んで太陽に向かって咲く2輪の花が、合わせるように風に揺れている映像を思い浮かべると頬が緩んでしまいそうです。

そのような、花をモチーフに取って「掛け替えのない存在」を語った歌詞物語が、例えば活動復帰した今泉さんとファンや周りの仲間との相互関係に当てはめられたりしているのなら、これまた素敵なように思います。

思うようにいかない状態にあった今泉さんが再びステージに立ち、それを無理強いしないながら周囲の人達も待ち望んでいたという、それぞれがそれぞれの〈太陽〉と〈向日葵〉であるとしてしまうのは出来過ぎた話でしょうか。

欅坂46に限らずアイドルグループの楽曲は、得てしてそのグループの現状やあり方が落とし込まれるものですが、とりわけ「ソロ曲」となると、その傾向は尚強いように思います。

だからこそ、『夏の花は向日葵だけじゃない』から今泉佑唯さんを取り巻くストーリーを見出してしまってなりません。

既にグループを卒業した現在、思わしくない話題に振り回されてしまった状況も経て、女優としての活動を本格的に始動し活躍していることを思うと、いっそう『夏の花は向日葵だけじゃない』に綴られたメッセージが尊いものに感じてなりません。


『こんなに美しい月の夜を君は知らない』、幻冬舎より発売中。

(その5)




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