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男性育休の功罪

直近、男性育休の話題を目にすることが多くなった。私の勤める会社でも育休を取っている男性が増えてきた。
「男性育休を取得した」というのは、社会や企業内では良い例として取り上げられることかもしれない。しかし、翻って育児の現場である「家庭」に目を向けたとき、それは本当により良い育児環境を実現するものなのだろうか。

確かに一定の期間、男性が育児を担うことにより、母親は一時的に楽になる部分があるだろう。しかし、育児というのは数ヶ月で終わるものではなく、数年に渡って続いていくものである。その数年という期間に目を向けたときに、本当に「男性育休」は家庭において良い効果をもたらすのだろうか?

このような疑問に至った背景としては、私の実体験がある。私の夫は、第二子の誕生の際、私の育休復帰のタイミングで3ヶ月の育休を取得した。3年前のタイミングなので、今よりも男性育休の事例が少ない時期だったと思う。この間は、第一子の送迎や家事を夫がメインで担ってくれたこともあり、私も仕事に打ち込むことができた。

しかし、育休後は夫は普段の仕事のスタイルに逆戻り。残業続きで、家事・育児は私に丸投げ状態となってしまった。さらに悪いのは「育休を取ったイクメン」として社会では認められたという満足感が「自分はちゃんと育児を担っている」という自信を彼の中に芽生えさせてしまい、育休後に私が家事・育児の平等を訴えても「俺は育休を取った。その間は俺が家事・育児を担っていた」ということ強気で主張するようになってしまった。その後の私のストレスたるや、筆舌に尽くし難いものがあった。

「これはマネジメントの訓練」と自分に言い聞かせ、私と夫の家事負担をポイントとして見える化し、分担をしてみたものの、突発的に「今日、忙しくてお迎えいけなくなったから代わって」といった連絡が来たり、平気でゴミを出し忘れたりという状況が続いた。改善のための話し合いをしようとしても、「育休中は俺が全部やっていた」という過去の話を引き合いに出され、建設的な議論にはならない。彼も仕事の場では、「本来自分がする予定だった育児を妻に押し付けてまで、仕事を全うしようとする」責任感のある人なのだと思うが、家庭という場ではミスだらけだった。

仕事の現場なら、ここまでミスが続き、改善プランにも同意ができない場合、配置転換なども検討できるだろうが、家庭、特にうちのような核家族では転換できるポジションもない。当然、離婚も提案した(というよりむしろお願いした)が、これに対しても頑として受け入れられなかった。

結局、「人を変えようとするのは難しい」ということを悟り、育児の良い部分に目を向けてなんとかポジティブな気持ちを維持できるように努めながら、私が涙を飲む日々が今も続いている。

「男性育休」というのは、企業側としても「取得率XX%」という指標で表しやすく、また実態としては1週間程度の育休だったとしても取得率にはカウントできてしまうので、比較的取り組みやすい施策なのだと思う。ただ、「男性育休取得率xx%」という指標だけが一人歩きし、むしろ「育休を取らせてあげたこと」が免罪符となり、「育休後は今まで通りの働き方でOK」という認識が仕事の現場で強化されてしまうのだとしたら、むしろ「男性育休取得率xx%」などといった指標は、「持続可能な、無理のない仕事と育児の両立」をゴールとした場合に、悪影響を及ぼすことすらあるのではないだろうか。

では、そのゴールに対して本当に有効な解決策は何か?と考えると、おそらく「育休」などといった見えやすく分かりやすい制度というよりも、心や意識を変えていくことなのではないかと思う。私の夫が仕事では(おそらく)ミスをしないのに、育児ではミスだらけなのは、おそらく心のどこかで「育児は取るに足りない仕事」あるいは「育児は妻の仕事」と思っているから、なのではないかと想像する。直接、本人に聞くと否定をするのだが、無意識のバイアスがあるのではないかと思う。これを意識化させ、家庭内で解決するというのは、おそらく普通の人には難しい(私もできていない)。もし、家庭という場における無意識を意識化させ、あるべき方向へ導くプログラムなどがあるのであれば、ぜひ教えて欲しい。


これはあくまで私の実体験を元に考えたことであり、どこまで一般化できる話であるかは分からない。男性育休をとり上げた記事を読んでも、育休によって男性の意識が変わり家庭も好転する場合も多くあるのだと思う。ただ、「男性育休」がもてはやされる中、このような実態もあるのだということを、あくまで一つのサンプルとして書き残しておきたい。


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