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育休中の学び直し、当事者として思うこと

先日、岸田首相が産休・育休中の学び直しを後押しすると答弁したことに対して批判が噴出している。「子育てをしたことのない人の発想」、「昭和のオッサン」、「周りに子育てしたことがある人がいないからこうなる」等々、SNSを見ていると批判的な意見が目に付く。

しかし、実際に2回の産休・育休を体験した自分の実感では、この意見に対して批判が殺到する事態は意外だった。私自身が、育休中に勉強をし、資格を取った経験があったからだ。また、私以外でも「育休中にMBA取得」等、資格取得を後押しする試みは直近で増えているような印象があった。

こう書くと、「そんなことできるのは、近くに面倒を見てくれる家族がいる人だけ」「ベビーシッターを雇う経済的な余裕がある人だけ」と反論が来そうだが、私の実家は遠方だし、ベビーシッターは雇っていない。(夫も私とは時期をずらして育休を取ったが、夫はべビーシッターを利用しながら難関の資格を取った。その余裕がある人は、利用すればよく、批判の対象になるべきではないと考える。)

「子育ては大変」とは言うが、24時間泣いている赤ちゃんはほとんどいない。昼寝をする赤ちゃんが大半だと思うし、ちょっとした隙間時間でテキストの1節分を読んだりもできない、というケースの方が少ないのではないだろうか。

もちろん、子どもがどのような状態で生まれてくるかは事前に分からないし、産後の親のコンディションも人それぞれなので、「全員、学び直しができる」という前提で話をするのは間違っている。赤ちゃんのペースは一定ではないので「毎日4時間は絶対勉強しよう」などと目標を立てても、なかなか実行は難しいだろう。しかし、「産休・育休は子育てが大変。学び直しどころではない」といった意見を前景化させすぎると、「そんなに大変なのであれば、子どもは産まない」と言う人の背中を押してしまうのではないか、と心配になる。(実際、私の周囲では子どもを産まない選択をしている人が少なからずいる。)

子育てと仕事の両立が一般化した今、女性だけではなく男性が育休を取るケースも増えるだろうし、増えてほしいと思っている。その前提で考えると特に、こういった「育休中にリスキリング」という意見を全面的に「そんなの無理」と非難することよりも、育休中の過ごし方の選択肢を増やす、という方向性を推し進めることの方が重要ではないか。ここで「育休中の学び直し」の可能性を摘むことよりも、「学び直しをしたい人のために、短時間預かりの制度を拡充することも大事では?」といった対話に持っていく方が良いのではないだろうか?

子育てはそれ自体から学べることがたくさんあるし、一般的な資格や語学などというわかりやすい学び直し以上の価値を感じることもある。しかし、何に価値を感じるか、育休中に何をしたいか、といったことについては、人によってかなりのグラデーションがある領域であり、その選択はそれぞれに任せても良いのではないか。

その前提に立つと、この岸田総理の発言を「子育てしたことないおっさんの発想」と切り捨て、子育て当事者との対立を発生させることよりも、「そういう考えもあるのか」と受け止め、対話に発展させていくことの方がずっと価値があることだと私は考える。

近年、「子育ては大変」ということが強調されすぎではないかと個人的に思っていたところ、キッズライン社長の経沢さんが以下のようなTweetをされていた。この意見には全面的に同意する。(キッズラインのサービスはまだまだ改善余地があると思うが、サービスと意見は切り分けて考えるべきと考えている。)

子育ては、狭義の自分個人のキャリアや仕事という視点から見ると、直接的なメリットがあるとはなかなか言い難い。1日24時間である以上、子育てに時間を充てることは、仕事の時間とのトレードオフになってしまうからだ。

ただ子育ては、仕事をしているだけでは得難い、豊かな視点を人生にもたらしてくれる。自分の親やそのまた親は、こんな苦労をして育ててくれたのだな、ということが実感されることで、今の自分の生き方を見つめ直すきっかけにもなるし、この子どもたちの未来を今よりもいいものにしなければならない、という責任感も生む。また、目の前で日々大きくなっていく子どもを間近に見ることは、人という存在へのなんとも言えない信頼感も育ててくれる。合理性だけでは測りきれないものがそこにはある。

もちろん、このような意見が、今子育てをしんどいと感じている人から言葉を奪う理由になってはいけない。しんどい人はもちろんそう言っていい。しかし、「しんどい」だけに覆い尽くされないよう、自分自身も気をつけたいし、社会をより良い方に変えていくきっかけとして捉えていきたい。

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話はずれるが、私は「てぃ先生」が好きだ。以前、インタビューで「保育士の辛さが強調されているが、自分は著書を通じて、子どもと接するのは楽しいと言うことを伝えたい」といった趣旨のことを言っていたのが印象に残っているからだ。

自分がしんどい時には、そのしんどい気持ちに共感してくれる言葉を集めたくなってしまう。実際に私は、育児が辛い時には、同じく育児の大変さを語ったブログなどを読んで「私だけじゃない」と安心していた。そんな時に、てぃ先生の本に出会い、そこに描かれた子どもたちの姿を見ることで「子どもと接することって楽しいんだな!」と視点を変えることができた。(最近は変わってきた印象もあるけど、数年前は「子育てはこういう風にやるといいよ」という教訓めいた内容ではなく、保育中に接する子どもの何気ない会話、やりとりを心底楽しいという感じで共有する、というスタイルだった。)

「育児は楽しい」が押しつけになるのは良くないが、「育児は大変」の蔓延も危惧するべきだと思う。「大変なこともあるけど、楽しいこともある」、「いろんな育児のやり方があっていい」という世の中になっていけばいいなと個人的には思う。

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