企業の評価軸を変えること

この数ヶ月、ずっと悶々としていた。大学を卒業し、大手の企業に就職して自分で稼げるようになった。結婚して子供も生んだ。車も買って、家も買った。家族はみんな健康で、生活に大きな不自由はない。安定した生活だ。それなのに、ここ最近はどことなく満たされないような、後ろめたいような、気分の晴れない日々を送っていた。

原因は主にふたつある。一つは、子供が生まれてから世界への向き合い方が変わったこと。子供が生まれるまでの私は、自分の生活がより裕福になれば満足だった。企業が利益を上げ続け、結果的に自分の収入も増え、より経済的に充実した日々が過ごせれば十分だった。しかし子供が生まれたことで、未来への責任を意識するようになった。そして、「未来への責任」というフィルタを通して、今の私の仕事を見つめ直したときに、今の仕事があまりにも不誠実なものだと感じられた。これが二つ目の原因である。今の仕事が、より良い未来の実現というゴールに対して、何の役にも立っていないという無力感に襲われたのだ。

しかし、モヤモヤしていても何も解決しない。どうすれば解決できるのかについて、ここ数ヶ月はずっと考えていた。しかし解決策がなかなか見当たらなかった。

ただ最近、解決のための条件の一つが「企業の評価軸を変える」ということだ、ということに思いあたった。お金をより動かし、利益を上げる事業や製品を評価するというその軸を変えていく必要があると思う。
企業ステートメントで「お客様、社会、そして従業員の幸せのために」と掲げている会社は多い。これ自体は理想的なステートメントである。しかし実態はどうだろう?自分の子供には使わせたくない製品を作り出していないだろうか?短期的な売り上げだけでなく、長期的な社会への貢献という視点で製品を作っているだろうか?仕事が忙しすぎて、子供たちにしわ寄せが行っていないだろうか?そう聞かれたときに「はい、今私が作り出している製品は10年後、20年後の世界をよりよくするものです。自分の子供にも誇れるものです。家族との時間も十分とりながら、充実した毎日を送れています!」と答えらえる人がどれほどいるのだろう。

ただ、目指すべきはほとんど全ての労働者がそう答えられる世の中だ。少なくとも、自分の子供が大人になったときに「別にこんな製品がいいとは全然思ってないけど、お金のためには仕方ない」とか「毎日残業で子供の顔なんて何日も見ていない」と言ってほしくはない。

こんなことを書くと、そんなのはきれいごとだという声が聞こえてきそうだ。しかしこれをきれいごとだとして、実現できないことと考えてしまうと将来は閉ざされる。「間違ったことをしなくても稼げる社会をどう作るか」を考えなければいけないのだ。ここに対する解はまだないのだが、人が生きるため(例:医療、水道などのインフラ)、もしくはより良く生きるため(例:教育)に必要なものを提供することが評価され、十分な対価を得られる社会にしていく必要があるだろう。これについてはこれからもしっかり考えていきたいし、方向性が見え次第、実行に移していきたいと思う。

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