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食べチョクが本当に素敵だった

先日、初めて食べチョクで野菜を注文した。
入っていたのは、きゅうり、ピーマン、なす、いちじく、つるむらさき、などなど。見るからに新鮮で、ピカピカとしていて、私は胸がいっぱいになって泣いてしまった。

私は今、インターネットに関わる仕事をしている。ユーザーのクリックや視聴数をどれだけ獲得できるかで自分の評価が決まる。しかし、そんな仕事をしていると、クリックが段々と血の通わないものに見えてくる。その先にいるユーザーのことなど十分に考えず、とりあえず目を引くコンテンツを作ってしまうこともある。

しかし、私が元々インターネットの世界に入ったのは、「インターネットは世の中を平等にする」と信じていたからだ。田舎の子供だった私は、東京で流行っている服が買えない、東京では月曜に発売されている本が水曜にしか手に入らない、そんなことが当たり前の幼少時代だった。

それが大学生になり、インターネットが使えるようになったことで、東京の服はもちろん、海外の服だって、本だって、あらゆるものが手に入るようになった。これは本当に画期的なことだと感動し、インターネットが大好きになった。

しかし、最近になってインターネットによって失われたものに段々と目が向くようになった。例えば、町の小さな商店。そこで交わされていた近所の人同士の会話。今よりも若かった私は、そんなものは単なるノスタルジーだと一蹴していたが、今は「それこそ人間の楽しみだったのではないか」と感じている。

人は、自分で何かを作ってみることや、自分が好きなものを人と共有すること、それについて人と会話することを楽しむ存在なのだと思う。何でも効率よく手に入ることだけを追求すると、段々と人生が味気なくなってくる。

欲しいものを検索して、クリック一つで明日には商品が家に届く。それは素晴らしく便利なことで、私自身たくさん助けてもらったけれど、その商品を作っている誰かは匿名の "誰か" だ。そこに想いを馳せる余地はない。

食べチョクにそこまでの便利さはないけれど、送られてきた野菜は、「どんな人が作ったのだろう」「どんな思いで作ったんだろう」と思わずにはいられなかった。野菜を見て涙し、農家の方からのお手紙を読んでも涙した。

食べチョクはまだ新しいサービスで、きっとまだまだユーザー数を伸ばしたいステージだと思う。でも、勝手なことを言えば、大きくなるにつれて今の良さが失われるということがなければいいなと思う。

良いインターネットの使い方を改めて教えてくれてありがとう。これからも、生産者の方々の美味しい野菜を届けてくれると嬉しいです。

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