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2000年生まれが『時計仕掛けのオレンジ』を見たら、何もかもが鮮烈だった。

凄まじかった。

2000年生まれが初めて『時計仕掛けのオレンジ』を見たら、何もかもが鮮烈だった。

名作とは言うものの、古すぎて見ていなかったし、前からめちゃくちゃ見たかったのかと言われるとそういう訳でもない。「あ~、名前聞いたことあるな」「このビジュアルなんか見たことある!」程度。

それが見終えた今、まんまと解説を読み漁り、様々な解釈が腑に落ちては気持ち良くなって、というのを繰り返している。

1971年の映画に対し、「ここのシーンはもしかしたらこんなメッセージがあるのかもしれない」なんてことを、2000年生まれのお子ちゃまがいまさら考察などしない。

というか、もう公開から50年経っているので、考えうるすべてのパターンの考察がこの世に出ているだろう。

ということで、ただひたすら 「わたしはこう思いました」 を書く。

開幕早々、字幕の8割意味不明

最初の方、字幕の8割何言ってるのか分からない。本当に8割。

アルトラ、ドルーグ、ビディー、トルチョック。

かなり高頻度で、しかも下線付きでこれらのようなカタカナが続々と出てくるわけだが、結局最後まで何なのか全く分からないまま見終えてしまった(ちなみに、そんな状態でもストーリーは理解できるので大丈夫)。

昔の映画だから、普通に知らん単語がいっぱい出てるんだろうな~と思ったが、どうやら調べてみると「ナッドサット」という人工言語だったらしい。

要はアレックスたちが内輪で使っていた"オレらだけの言葉"ということ。注釈くらい入れてくれよ。

捕まるまで長ぇ~

捕まるまでめっちゃ長ぇ。

これは自分が悪い?というか前提知識あっての感想なのだが、『時計仕掛けのオレンジ』を見る前に、この話が「残忍な犯罪者が刑期を減らせるクレイジーな治療を受ける話」だと思っていた。

いや実際そうなのだが、前半45%くらいは捕まるまでの話だったので、こういう感想になってしまったわけだ。

そしてその前半45%があまりにもクレイジーすぎた。いわゆる胸糞シーンも多い。暴力・窃盗・レイプ・暴力・暴力・レイプみたいな感じ。

現世ではどうあがいてもコンプラを乗り越えられないようなシーンが目まぐるしく展開される。

"世界観"ってこういうことか。

そんな激ヤバなアレックスが捕まるまでのお話だが、妙に引き付けられるものがある。

それが何なのか自認するまでなかなか時間がかかったが、それこそが『時計仕掛けのオレンジ』の"世界観"だった。

例えばアレックスが赴いたレコードショップ(?)。筆者の語彙では十分に言い表せないが「レトロ×キラキラ×シンボリック」みたいな内装。

実際にはまっすぐなレトロという感じでもないし、キラキラよりもギラギラかなぁ…とかも思うが、とにかく見たことのない華やかさ。

他にはアレックスたちが強盗に入った、老人と奥さん(?)が住む豪邸。あの家の間取り、玄関までの廊下もイケすぎている。そんなことを書いていたら、あのチャイムの音が頭に響いてゾクゾクしてきた…。

あとは冒頭のアジト的な場所。女体盛りを模したようなの陶器のテーブルやら、これまた女性を模したウォーターサーバーならぬミルクサーバーやら。

東京でまぁまぁいろんなところに飲みにいったが、あんな異様なところは今のところありそうにない。

アレックスの家・部屋もそうだった。モニュメントのような家具があったし、すべてがカラフルだった。混沌としているけど気持ち悪くはない。センスが凄すぎる。蛇はびっくりしたけど。

とまぁいろいろ印象深いものが思い起こされるわけだが、この辺の世界観、ビジュアルも『時計仕掛けのオレンジ』が名作と言われるゆえんなんだろうなと思った。

果たして公開当時(もう50年前になるわけだが)でも、見た人は同じことを思ったのだろうか。それとも当時の人からしたら違和感はなかったのだろうか。気になるところである。

気づいたら自分がアレックスに同情している恐ろしさ

アレックスはいわゆるゴロツキのリーダー格。家に帰れば普通に両親と一緒に暮らしていたり、学校の先生が面倒を見に来ていたりするので、第三者目線ではゆうても極悪犯罪人といった感じではないらしい。

しかし裏でやっていることは相当クレイジーなので、表ではバレていないだけだったのだと思う。というか最終的にちゃんと捕まっているのだから、全然普通に犯罪者なのだ。

そして、その「裏でやっていること」はかなりえぐい。上述したように、暴力・窃盗・レイプ・暴力・暴力・レイプの日々。

それらの犯罪は生々しい描き方なので視聴者は普通にドン引きし、某治療を受け始めたくらいまでは「いや、しゃーないっしょ。甘んじて受け入れなさいよ」と思うのだと思う。筆者もそのうちの一人。

しかしここから先である。

物語が進むにつれて、「アレックスがかわいそう」と思うようになるのだ。

つい数十分前まで、ホームレスの老人をリンチし、強盗に入っては暴力とレイプをしていたような人間がかわいそうに思えてくる。

端的に説明する。

アレックスは治療を終え、あらゆることに抵抗力がなくなり、今までとは逆に暴力を受けたり、いじめられたり、とにかく逆らうことが不可能な状態で強制的に日々を送らされる。ついには自殺未遂まで冒す。

それが"かわいそう"なのである。

だが一歩引いて考えるとこれは安直な手のひら返しだ。

物語の中心にアレックスがいるからこんな感情になるのであって、もし自分が『時計仕掛けのオレンジ』の世界にいて、あのアレックスの治療について新聞で読んでいたら、「もっとやれ」「治療を普及させれば犯罪が減る」と思っていたかもしれない。アレックスがかわいそうだなんて微塵も思わなかったかもしれない。

なんだか極悪犯罪人に対するSNS上での声が思い出される。

SNS上で「こいつは死刑になって当然」と意見を述べている人も、その犯罪者の生い立ちや獄中での振る舞いを知ったら同情するのだろうか。


『時計仕掛けのオレンジ』がなぜ50年以上たった今でも名作と謳われるのか、映画を見ればよく分かった。「カルト的人気を誇る」という形容がよく似合う。

最初から最後まで鮮烈だった。感想を書くのに使わざるを得ない語彙も過激になるので、このnoteのせいでBANされないか心配である。

余談だが、本作の監督が『シャイニング』『2001年宇宙の旅』『フルメタル・ジャケット』と同じと知って驚いた。恥ずかしながらどれも『時計仕掛けのオレンジ』と同様、「気になってはいるけど見ていない」状態。

次見る映画はいずれかになるだろう。


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