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『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』は怠慢である

推しに対して「やばい!」で片づけるのは怠慢でしかない。そう思った。

ただあくまでこの感想はライブレポを書いたり、他人に感想をシェアしようという意思がある前提での話。

別にライブの最中に「うわ~〇〇の頭についてるエクステがきらびやかで、ここ最近の衣装で一番似合ってる~!」とか口に出せという話ではない。それは単なるヤバい人だ。

ただわたしは少なからずライブレポを書いて「このライブのここがよかったわ!」というのをシェアすることがあるので、何か感想をシェアする以上「やばかった!」で片づけるのはただの怠慢なのだなと感じた次第である。

本書で学んだことは5つ。順に記していく。


1.伝えたいことが伝わるのが上手い文章だ

本質である。

ポエマーでも小説家でもないんだし、別にかっこいい文章とか書く必要はないと再認識した。

伝えたいことを伝える。あくまで言葉を媒介しているだけであって、気持ちを届けることが終着点であることを見失っていた気がしたので、いい学びである。

2.言語化とは細分化である

「やばい」じゃなくて、どこがどうやばかったのかを考える。

どうしても「やばい」しか出てこないんです~、という人がいるらしいが、嘘つけと思う。

心が揺さぶられている時点で特異点があるのだから、そこは深堀りできるはずだ。

といっても冒頭の通り、例えばライブの最中とかにそれができないのは同意である。あくまで文章化したり感想をシェアしようという意思がある状態での話。

語彙力じゃなくて細分化力。別に推しに限った話ではない。仕事ができる人は皆細分化力があると思う。

3.情報格差を埋める

相手と自分の推しに対する理解度が情報格差。これを埋めない限り会話に壁ができる。

まぁそうだよね。

こちらも推しに限った話ではない。"お話"するときに「こいつ何言ってんだ…」となるとき、基本的にこれが根本にある気がする。

4.自分の体験に落とし込む

これめっちゃいい。自分では気づかなかった。

「これを見てこの体験を思い出した」を書く、という観点はなかなかなかった。

例えば何だろう…と考えてみる。

念願のドーム公演を叶えたアーティストを見て、その背景の血のにじむ努力を想像し、自分もアホみたいに勉強してつかみ取った大学合格を思い出した、とかだろうか。

いざやってみると難しい。

5.文章は修正が前提

まじでそれな。

ここ1年くらい、ブログ運営やら本職やらで文章を書きまくっている。

そこで痛いほど学んだのが、最初から完璧な文章なんてないということ。

考えてみれば当たり前。ノリで作って後から調整。それでいい。わたしがいつも作るテキトーな料理と一緒なのである。

ところがどっこい、文章に書きなれていない人ほどここを知らない。

初心者の文章なんかクオリティなぞ一切求められていないのである。

"修正が前提"は、これから文を紡ぎたいという人にとって意外と重要なライフハックかもしれない。


正直ジャケ写で本書を手に取った上、自分が世の中の平均よりは文章に書き慣れていると自負しているので、そりゃそーでしょと思う部分も多かった。

しかし、30分そこらでこんなに多くをアウトプットできるほど学んでいたようだ。

超余談だが、この本、「~というものがありますが、後で詳しく解説します」という書き方が多くもどかしかった。

余談すぎるか。

なんとも後味の悪いnoteの締めである。

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