誰の何からも目が離せない『怒り』
やっぱりこういうシビアさのある映画は見た後の余韻が物凄い。
全くもって楽しい映画ではないが、無駄・いやらしさのない演出と妙なリアリティの不思議なバランスのおかげで、自分の中でかなり印象に残る映画となった。
存在は知っていたがストーリーは知らなかったので、ほぼ前情報ゼロでの視聴である。
一部かなり重いテーマがあったり、ヒューマンドラマ的側面もあったりで感じることは多かった。
今回はそんな『怒り』の感想を、演出/ストーリー/演技に分けて記録してみる。
演出 - 性犯罪とタオルケット
いきなり精神的ダメージの大きい場面から入るが、やはり感想を書く上で外せないのは泉(広瀬すず)が米兵にレイプされる場面。
一人で沖縄のアングラな繁華街に迷い込んだ時点でどう考えても最悪な想像をせざるを得ない。まんまとフラグは回収されてしまった。
後に物語の犯人である田中も現場を目撃していたことから、映画全体としてのキーにはなっている。そういった意味で外せないシーンだが、それにしても平静に見ていられるものではなかった。
しかし、直接のシーンよりも印象に残った演出があった。
それが、レイプされた次の場面、家で母親と眠る泉の様子。
たしか泉は母親と寝ており、その口元にはピンクのタオルケットを添えていた。このシーンのせいで、米兵の過ちが尚更グロテスクなものに感じられた。
監督の意図かは分からない。が、あれは泉がまだまだ幼い子供であることを見た人に再認識させる演出だったのではないかと思う。
濁さず言えば、米兵は少女を強姦したという、視聴者が絶対にはっきりさせてほしくない事実を1枚のタオルケットで示したのではないだろうか。
実際、タオルケット(ブランケット)症候群というものがある。
幼児期に見られる、精神的安定を毛布やぬいぐるみに求めてしまう症状のことだ。
天真爛漫で、田中のようなよくわからない大人ともすぐ打ち解けられる泉はかなり大人に映る。
実際、劇中で飲酒をしていた辰哉と同級生なので、少なからず成人はしているのだろう。
にもかかわらず、タオルケットを口に添えて寝ていた。
母親が隣で寝ていたことからも親離れが十分でなかった可能性は十分あるし、とにかく泉は子供なのである。
間接的な表現ではあるし、実際にそうした意図が監督にあったのかは不明だが、一番印象的で嫌な気持ちになる演出だった。
演出について全体を通して。
冒頭でも書いたが、いやらしさのない演出が物凄く気に入った。
例えば、BGMがだんだんと大きくなって驚かせにくるとか、主人公の後ろから怪しい人物が迫ってくるとか、そういう見せ方がなく自然だった。
いや、冷静に考えてみればもちろん、ストーリー自体は「こんなことないでしょ」と言い切ってしまえるものなのだが、演出の自然さのおかげでより物語に入り込めた気がする。
犯人を判明させる際も、もっと直接的に、ショッキングさを前面に出しながら視聴者を驚かせるなどもできたはず。
でも冒頭の「怒」につなげて、間接的に犯人を明かすという巧妙な見せ方だった。まぁそれはそれでびっくりするのだが。
とにかく、個人的には「いや~そうはならんやろ」という演出が苦手なので、すごく落ち着いて見終えることができた。
ストーリー - 最後まで誰が犯人かわからない
各パートでスピンオフ作れそうなくらい内容が濃かった。
1つの事件を3つの視点から描くというのは、もしかしたら映画界ではよくある技法なのかもしれない。
しかし別に特段映画マニアという訳でもないので、単純に"飽きずにみられる仕様"として最高に興味をそそった。
3人の犯人候補とその周りの人物をめぐるストーリーが展開されるわけだが、皆それぞれの事情を抱え、誰を切り取ってもやや重たいヒューマンドラマを垣間見れるのが新鮮だった。
3軸もあれば1つは「ここの世界線面白くないなぁ…」となっても良さそうだが、主軸となる事件に全員が上手く絡められているせいで微塵も退屈しなかったのは巧妙。
犯人は"一見いい奴そう"な浮浪者、田中であったわけだが、彼は結局何者だったのだろうか。
事件当時の回想を見るに、人に裏切られたりこき使われたり、挙句優しくされたと思ったら殺してしまうというサイコっぷり。
というか精神的な病気という方がニュアンスが近そうである。
最後、田中の関係者が取調室で「虫のように扱われたのが堪らなかったんだろう(ニュアンス)」と田中の心中を察する供述していた。
被害者の奥さんに水を出されたこと、それが見下されたように思えたということだろうか。
やはりサイコパスか精神障害かで片づけてしまいたいくらい異常である。
争点は何に「怒っていた」か。
…正直、考えても全く分からない。ただ単に島の人たちに本性を隠していたサイコパスが、最終的に素を出してしまったという終わり方にしか捉えられなかった。
こういう時こそ他の人の意見を拝見する。
そして気持ちの良い(良すぎるかもしれないが)解釈を見つけたので引用させていただく。
考えもしなかった。要は田中良い奴エンド。
一部引用なので是非リンク先に飛んで全文を読んでいただきたいが、要は田中は最後まで気のいいアニキ的存在だった、というオチ。
筆者様の推論なので、あくまでイチ意見だが、全体的に重めのテーマの中で救いを見いだせたレビューであることに非常に価値がある。
まぁ過去に衝動的殺人を犯していることや、自分の顔をハサミで切って整形しようとしていたことを踏まえれば、どちらにせよ正気ではない。
が、田中にその正義があるのであれば、信じてみたくなった。
演技 - 愛子と宮崎あおい
見た人全員が驚くのではなかろうか。そう思ったのが宮崎あおいの演技だった。
映画やドラマを見てると、どうしても「あ、広瀬すず出てるんだ~」と、どうしても"本人"がよぎってしまう。
もちろんこれは、演技の上手さだけでなく、知名度とか最近テレビに出てるとか、そういう要素がいろいろ絡んだゆえの結果である。
でもあれは完全に、愛する人に依存した愛子という女性そのものだった。恐ろしささえ感じた。
喋り方、雰囲気、ボディランゲージなど、言ってしまえば"技術"なのだろうが、それにしても凄まじいキャラクターとして映った。
これは余談だが、本noteを書きながら作品について調べる中で、どうやら愛子は軽度の知的障害を持つ人物として描かれていたらしい。
そう言われて納得できてしまう演技をこなす宮崎あおい。今までイチ女優としてしか認識していなかったが、強烈な印象を残した。
宮崎あおいにフォーカスしたが、そもそもキャストが実力派かつ有名俳優・女優ばかりで、この作品が当時どれだけ力を入れたものだったかがよく分かる。
いまさら「渡辺謙の演技が凄かった」などと言ってもどうしようもないので、演技についてはこの辺にしておこう。
またキャストと言えば、犯人役の3人+整形後の犯人写真について。よくもまぁあんなに全員の要素を全員が揃えたものだ。この感想だけ見ているベクトルが違うが、どうしても感心してしまったので触れておく。
まとめ
終始ヘビーな内容だったが、見ごたえは十二分にあり、サスペンス的要素も相まって退屈しない映画だった。
本筋の殺人事件とは直接絡んでいなかった登場人物も、皆それぞれの事情を抱えており、幸せな場面も少なかった。だからこそ彼らが、見えない物語の中でこれからは救われるといいなと思った。
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