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他人とはどこまでも他人でいたい

心の平穏。ニュートラル。 

深い感謝の念も、絶望するほどの断絶もなく、ただそこには他人が他人でいるだけだった。
他人が他人でないことは疲れる。精神的に疲れる。

人が人を救えるなんて思わない。
人が人を変えられるなんて思わない。
それは意図的に〜されることを信じられないという意味で。タイミング等々あるので、本当にいつ何時でも人は人が救えないとも思わないし、意図的に行おうとした救いは救いにはならない、とも思わない。(勝手に救われたという方が適切に思える)

けれど、自分が誰かを救おうとか救えるとか、変えられるなんて盲信だ。
貴方が救えると思ったから、相手が救われた訳じゃない。誰かを救えるなんて言っている人がいると人間関係で悩んでる自分から一気に興醒めしてしまう。一喜一憂してる時は自身もそういう事を考えているから、そういう状況から興醒めする。一喜一憂する理由なんて何処にもないやないかーい。

あぁ、あくまで私と貴方は他人同士であってそこに立ち入る限界がある。そんな事に絶望してた時期も一瞬あったけれど、自分と他人の境界線が曖昧になることはやみくもに苦悩するだけ。

他人が他人でなくなりそうな時は、エゴをぶつける瞬間。
エゴをぶつける瞬間は、強くそれを望む。
だから他人が他人である事を忘れることは、相手の尊厳を簡単に踏み躙るかもしれないな。


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