あまりにも生きたいから

人生の中に死はなくても、死の話は必要だよ。
君は死なないの?親は?友達は?
不可逆的な事が好きじゃない、自分で終わらすのが好きじゃないと言ったね。そんな君は死に怯えてる。死にたがりの私を理解しようとは思わない。
私の死にたいは生きたいだ。なりふり構わず生きて、、そんで満たされたいということだよ。それまでは生きたい。
君の中には満足がないんだね。常に、可能性があるから。足るを知らないのはとても苦しいことさ。だから君は、自分で自分を認めることは出来ないまま死ぬんだろうね。いや、君はまともな変人だから、適度に今に満足しながらも一歩先を求めていくの?
それが出来るなら、私はそれは幸福なことだと思う。足るを知りながらも、求めていけるのだからね。そうやって生きていければいい。不可抗力の死がくるまでは生きられると思うよ。

私は渇望する。この渇望こそが生だ。だから、満足できる時がきたら死にたい。その時は笑顔で死にたい。満足した後、ただ心臓を動かして生きているということに、なんの意味があるのだろう。死んでるのと一緒じゃん。
でも、一瞬満足したと思ってもムクムクと腹の底から湧き上がってくる期待と可能性に、あぁ…とそれを満たす為に生きていく。期待と可能性ばかりしていく未来は辛い。満たされたと思っても瞬時に湧いてしまうから、私は死なない。死ねない。生きたい。ただ、もし凄く大切な瞬間が訪れた時に、迷いなく喉を掻き切って死ぬ事が出来たら、それはなんて幸せな事なんだろうと思う。そんな事を考える。
生きたいと思う気持ちが、嬉しい時も辛い時もある。当たり前さ。でも、最近は余りにも辛くて泣いちゃうな。
未来を辛いと思わない君が、自由なんだぜと心の底から言う君が本当に好きで、本当に羨ましくて、本当に青いなと思う。もう私は人生は自由だと嬉々と話すことは一生無いと思う。でも、大好きだから変わらなくていいよ。だから君にこの話をするのはもうやめようと思う。ただ、いつか変わってしまったら、その時はその時さ。それが生きていく代償だから。

生の実感を感じながら生きていたい。
死んだ様に生きるなんて、死んでるのと一緒だ。
ただ、これさえあれば!って思い、死ねる程の渇望したことなんて多分なくて、だからこそ強い満足感も少ない。だから死なない。それに加えて、シンプルに死ぬのが怖い、満たされるのが怖いから本当に渇望してるものこそ求めようとしない節もある。満たされたいのに、怖くて求められてないなんて最高にくだらないんだけどさ。それでも死ぬことが怖いんだ。満たされそうになった時、満たされてもないのに想像しただけで本当に体が動けなくなっちゃうくらい怖いんだ。私、死ぬかもしれないって思うから。

満足して人生を終える人に比べれば、私の生きたいは空虚なものだ。私の死にたいも空虚なものだ。
その事実さえ、ひどく私を落ち込ませる。
辛い、死にたい、そんな言葉が出てきそうになる。簡単にあまり考え過ぎず死ねたら、生きれたら、どんなに楽なことだろう。でもそれは求めない。
結局はどういう風に生きていくかしかない。
私は私の生きたい様に生きるよ。



ただ不安な時は、大丈夫だよ、生きてていいんだよって言われたい。怖くても私の為に生きて、と言われたい。
必要とされたい。そうじゃないと、そのくらいの繋がりがないと、生き続ける理由がなくなりそうで怖い。不安だ。死にたいわけじゃないからね。こんな弱い自分大っ嫌い。でも、人間は弱い。

<追記>
ずっとが欲しいけど、ずっとは手に入らない。
それが辛いっていったら、あの人はなんて言ってくれたんだろうな。幸せになってそんで一緒に死のうって言ってくれたかな。一緒に不変になろうって言ってくれたのかな。終わらせようって言ってくれたのかな。心強いな。でも、私、そんな人そもそも好きにならないな。私以外の他人の事蔑ろにしてるからね。
だから、やっぱり満足した時に死にたいんだろうな。
それが、誰かにとってもとてと幸せな事であればいいな。一緒には死ななくてもいい。それは私の生き方だから。
不変の中(幸せな瞬間への)に、消えれるほど今に満足してない。早く不変になりたい。でも中途半端で不変になるのはかっこわるい。

でも、変わってく貴方をずっと見ていたい、も最高に好きなんだよな。


43歳まで生きた父を凄いなと思う。
同じ考えだったかはしらないけど、愛があって、ぶきっちょな人で、照れ屋で、子煩悩で、そんで、大好きだったなぁ。もったいないとは思うけど、寂しいとも思うけど、もうそれ以上はわたしは何も言えない。






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