ラン子

楽に息が吸えるようになるまで心にしまいこんでいたことを少しずつ書いていきたいと思います…

ラン子

楽に息が吸えるようになるまで心にしまいこんでいたことを少しずつ書いていきたいと思います。人生色々あるよね。

最近の記事

ひとつの希望

ある日突然、今までの自分を全て否定され奪われそんな毎日の中でもなんとか必死に生きてきた。 最近、やっとこうなりたいという目標を見つけて頑張り始めたところにまた否定された。目標に向かっている途中の人間をなんの権利があって上から目線で言うんだろう。あなたの思い通りにはならないよ、これは私の人生なんだから。

    • 前を向けるようになるには

      膝を抱えたまま暗い水の底を漂うような毎日だけど、もう私大丈夫だよと自分で口に出して言えるようになるまで水の底を漂って、時間がたつのを待つのだ。 そのうちプカプカ浮いてくる。時間が解決してくれるということはこういうことだと思う。

      • 溢れるコップの水

        辛いことがあったとき その人にはその人に耐えられる許容量というのがあって それは他人には決して理解できない。 だから、これは落ちるな これ以上は立ち直れなくなるなというところまで 悲しみが襲ってくる前に 一旦休憩する 休むことは大切なのだ 少し目を瞑って5分だけでもいい 大丈夫。大丈夫って心のなかで繰り返せば本当に大丈夫になる気がしてくる。 実はまだ辛いんだけど。 なんとかなる。

        • 米を要求する女と家庭科 今昔

          昔、今では考えられないくらいビックリするほど常識が欠けてる先生がたまにいたように思う。 とある家庭科の授業のとき、 食器用洗剤を溶かしたボウルで 野菜を洗いましょうとか (諸説あるようだが間違って伝えられていたらしいとあとで聞いた) まな板は洗剤で洗わず水だけで洗いましょうとか 今じゃ考えられない衛生観念。 私の担任だけがおかしかったのだろうか。 当時の私はガールスカウトなどに参加したりしていたので、まな板は洗剤で洗い、出来ればお湯をかけて熱湯消毒しましょうとか 野菜は水で何

        ひとつの希望

          あのころの小さな私

          幼少期の体験は、思い出すのも嫌で誰かに話すことなどしてこなかったけれど思いきって吐き出してみようと思う。 あれは小学校に入学してしばらくたった頃。 身体の小さかった私は、休み時間に校庭で遊ぶクラスメイトになかなか馴染めずに日々を過ごしていた。 ある日、思いきってみんなが遊んでいる滑り台のところへ行き、元気の良さそうなクラスメイトに声をかけ仲間に入れてと言ってみたところ 彼女は首をかしげながら「このすべりだいはあ、もうこれ以上のっちゃだめなんだよ」と訳のわからないことを言

          あのころの小さな私

          誰のせいにもしたことないけど、自己犠牲から解放されたい。 大切にしてくれる人たちを大切にして生きることで少しだけまっすぐ生きていられる気がする。いつもありがとう。

          誰のせいにもしたことないけど、自己犠牲から解放されたい。 大切にしてくれる人たちを大切にして生きることで少しだけまっすぐ生きていられる気がする。いつもありがとう。