見出し画像

音楽に救われるってこういうことなんだ

僕は日常生活において、どんな時も音楽とともに過ごすぐらい音楽が大好きなんですが、最近になって初めて「音楽に救われる」という体験をしました。

先の記事でも話したように、最近は自分の丈に合わないほどの責任に半ば潰されながら生きています。今はましですがピークだったころには「死にたい」なんて考えてもいいかな。って思っていたほどでした。


すこし話は逸れるんですが、初めて死にたい人の気持ちがわかったような気がします。僕が感じたのは「死にたいな」っていう死への願望というよりも、「死ねばなにか変わるかもしれない」という変化しない現状に対する最終手段かのように僕には思われました。死ぬことで動かない歯車を動かせる、何か変わる。そんな風に感じられました。もちろん、僕のは本当に甘いものでこれ以上の苦しみを持っている人もいることは重々承知の上です。でも自殺志願の人たちの気持ちが少しだけわかったような気がしました。


そんな中、初めて今の沈んだ気持ちに寄り添ってくれる音楽に
出会いました。その曲はキタニタツヤさんの「私が明日死ぬなら」です。

キタニタツヤさんは「青のすみか」であったり、ヨルシカのサポートベースであったりと少し前から存じ上げておりました。しかし、しっかりと音楽を聴いたことはなく本当に無縁に近いような状態でした。そんな中で気持ちの沈んでいたこの時期に本当に運命的な出会いをしました。

たまたまspotifyで流れてきたのですが、その歌詞がまるで今僕のいる状況に声をかけてくれるかのような感覚でした。またその歌詞、メロディだけでなくMVの映像も心惹かれるものでした。「私」が死ぬその手前とあとの時間を表していて美しいと感じました。そしてラスサビ前のほんの一瞬の間だけ、メッセージが表示されるのですが、その言葉に本当に感動して胸がいっぱいでした。一つ一番心に刺さったものを紹介させていただきます。

相変わらず世界はあなたからたくさんのものを奪おうとするけど、
あなたはこれ以上、何も差し出さなくていいと思うよ。

私が明日死ぬなら/キタニタツヤ Music videoより

世界、この周りの環境が求めることすべてを差し出す必要はないんだと感じさせてくれた本当に大好きなフレーズです。

僕は思っているよりも自分が強くはなく、すぐに崩れてしまう脆い人間です。それでもこうやって今をいきているのは間違いなく音楽というものが僕の周りにいてくれることが1つだと思います。(もちろんそれだけではないことも知っています。)この先の人生だって何度も崩れそうになることがあるだろうけど、音楽が奏でるもの運んでくれるものに支えてもらっていきたいなと、そう感じた体験でした。音楽は最高です。

皆さんもぜひ聞いてみてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?