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鏡をもって生きる

「最初はうまくいってたのに・・・」。


組織の運営や人付き合いをする中で、そう思ったことはありませんか?
私は何度もあります。学級経営や人間関係(特に恋愛)が自分ではうまくいっているように思っていたのに、、上手にマネジメントしているつもりだったのに、、と。


自分に足りない「何か」がわからないまま若さに任せて天狗になることもあった20代。自分の鼻をへし折ってくれた本が中国古典『貞観政要(じょうがんせいよう)』です。


『貞観政要』は、中国史上もっとも平和で安定した時代を築いたと言われる唐の皇帝太宗李世民(たいそうりせいみん)とその家臣たちの言行録です。


若干二十九歳で皇帝となった太宗も、私と同じような命題に立ち向かっていました。


「これまでの王朝はなぜ滅びてしまったのか」。


スケールがデカい、笑。


太宗が出した答え。

それは、
「上に立つ者が聞く力を失うからだ」


というものでした。


人は自分が困っている時、苦しい時、誰かへ助言を求めます。しかし、一旦うまくいき始めると、どうでしょう。途端に他人からの忠告が疎ましく思えてくるのではないでしょうか。


(私は、完全にそうでした。「はっ?何言ってきてんの?うぜぇ。俺のやり方があるんだから言ってくんなよ、的な。←ダサい)


そして、自分に同調してくれる人だけの言葉を信じ、耳の痛い事を言う人を遠ざけてた結果、滅んでいく・・・。


太宗は歴史からこの事を学び、「諫議大夫(かんぎたいふ)」という皇帝である自らを忠告するためだけの役職を創設しました。そして、その諫議大夫の一人である魏徴(ぎちょう)から度々忠告を受けます。


(自ら、毎日研究授業を申してで、積極的にダメだしを要請するようなもの、、、できない!)


それらの諫言を受け入れながら自制心を保っていく点が太宗の魅力です。


さらに、太宗は魏徴が亡くなった時、部下を集めてこう語りました。


「金属である銅を鏡とすれば、身だしなみを整えることができる。歴史を鏡とすれば、過去を見て世の栄枯盛衰を深く知ることができる。人を鏡とすれば、その人の言葉を聞いて身を正すことができる。その三つの鏡のうち、私はもっとも大事な一枚を失った。これまで誰よりも私を諫め、正してくれた魏徴がこの世を去った今、各位が私の鏡となることを願う」


しびれますね。

カッコ良すぎます。


皇帝という絶対的な立場でありながら、最後まで謙聴であろうとし続けた太宗の生きざまに学び、自分も「鏡をもって生きる者」でありたいと思う今日この頃です。